気付いてほしくないのに、なんでお前は……

 皇太后宮のこととは、先日毒入りの茶を出されたことについてだ。皇太后は内密にと言ったが、飛訓フェイシンには何があったのか伝えていた。元々、毒が盛られることを見越して、彼には皇太后の席に同席せず、単独で動いてもらっていたのだから。


 それもこれも、もしかすると皇太后に毒を盛られるかも、と警戒しての策だったのだが。まさか、皇太后まで毒を盛られるとは思わなかった。いや、結局どちらの茶に毒が盛られていたのかは、不明なままとなった。犯人にしたら、どちらに当たろうが良かったのだし。


「よろしいわけはないが……だが、お前が探しても見つからなかったんだろう?」


 悔しそうに、飛訓フェイシンは「はい」と言って唇を噛んでいた。


「侍女達の話ですと、茶を運んだのは見ない顔の新人侍女がいたという話ですが、気付いた時には姿が見えなくなっていたと。私も、茶を運ぶ者を注視していたのですが……面目ありません。女ならば後宮から出ることはできません。まだ後宮内にいる可能性が高いですし、顔を覚えている者もいます。探した方がよろしいのでは……っ」

「いや、きっと見つからないさ」


 飛訓フェイシンが気を付けていたのに、姿をくらますことができたということは、並みの者ではない。


(ということは、皇太后宮に内通者がいるわけではなく、都度送り込まれていたわけね)


 もしかすると自分と同じように、暗殺者が侍女に変装して潜り込んでいたのかもしれない。そのような者が、いつまでも後宮内をうろついているはずがなかった。探すだけ無駄だ。

 よっぽど手の込んだことをする黒幕だ。絶対に害してやるという強い意志を感じる。


「それに、人捜しなんてしたら、何かあったと言うようなものだからな」


 ハハッ、と美花メイファは肩越しにヒラヒラと手を振った。

 すると、「陛下」と飛訓フェイシンが回り込んできた。目の前に立たれ、美花メイファの足はその場でたたらを踏む。


「なんだ、飛訓フェイシン。邪魔――」

「何かありましたか」

「は?」


 いきなり何を言い出すのか。


「変なことを聞くもんだな。別に何もないさ」


 美花メイファ飛訓フェイシンを避けるようにして進路を直角に変える。役所内はそれなりの広さがあり、建物と建物の間も通り抜けできたりと、道はあってないようなものだ。

 やはり彼も駆け足で、美花メイファの後を付いてくる。


「陛下、誰が気付かずとも私は気付きます」


 美花メイファの手が拳を握った。掌に刺すような痛みを覚えるが、今はその痛みが意識を逸らしてくれてちょうど良かった。


「……お前が私の何を知る」


 痛みがなければ、湧き上がる感情のままに彼に声を荒げていたに違いない。


「お前が知っている姿など、まやかしに過ぎないというのに」


 そう、すべて偽物だ。自分は陛下でもないし虎文でもない。皆に望まれ、愛され、大切に育てられ、母の命を奪うことなどなかった兄とは、正反対の存在なのだ。


「陛下……?」


 飛訓フェイシンの戸惑った声が聞こえ、美花メイファの足が止まる。

 やめろと誰かが頭の中で叫んでいたが、すぐに塗りつぶされた。

 腹が立った。

 何も知らないくせに、踏み込んでこようとするな。


「お前に私の苦しみなどわかるはずがない」


 飛訓フェイシンか戸惑っているのが空気で伝わってきた。

 それすら、腹が立つ材料にしかならなかった。

 塗りつぶされた自意識が、まだもやめろと声を上げようとするが、一度開いた口は閉じることを拒む。


「せっかく……せっかく思い出さないようにしていたのに……これが終わるまでは忘れていようと思っていたのに……っ、どうして放っておいてくれないんだよっ!」


 美花メイファは振り向くと同時に飛訓フェイシンの胸ぐらを掴み、力任せに壁へ押しつけた。


「――っぐ!」


 ダンッと鈍い音が、狭い路地に響いた。

 光が入らない路地は暗かった。しかし路地の先は、燈火によって明るさが保たれた通路となっており、互いの横顔を照らし出す程度には、明るくもある。

 身体は闇に溶け込んだように見づらくなるが、表情はささやかな光源によって陰影を濃くし、いらないことに分かりやすくなっていた。


「自分の存在が、皆の大切な人を奪うことになったんだぞ! 望まれずに生きる者の気持ちが、お前にわかるかっ!」


 飛訓フェイシンの瞳が揺れていた。さぞ驚いているのだろう。

 何もないように上手く振る舞えていたのに。気付かれたところで何も言えないのに。

 何も知らない振りをしていてほしかった。気付かないでほしかった。

 どうあがいても、ここでは美花メイファではなく虎文でいなければならないのだから。


(ははっ、もう手遅れかもしれないけど……)


 今更だが顔を隠すようにして、美花メイファ飛訓フェイシンの胸に頭をもたれた。


「お前だって……本当に必要としているのは、私なんかじゃないくせに……」


 口から出た声は、自分でも嗤ってしまうくらい、か細かった。

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