偽皇帝の周りの男達

「へぇ、相手さんはよっぽどの手練れやな。少なくとも、暗殺術だけやなくて武術の技術も身につけとるわ」


 渡した矢をしげしげと眺める久里ジウリの背後で、美花メイファは着替えていく。

 暗殺者の矢は飛ばすのが難しい。矢羽根がついていないうえに、長さがないので軌道を安定させるのに苦労するのだ。弓の大きさも携行できるほどに小さく、そのかわり張った弦は通常の五倍の強さを要する。

 吹き矢は肺の強靱さがいるが、この矢を射るには弦を引けるだけのりょりょくと、狙いを安定させるだけの下肢の筋力も必要だ。暗殺術を修めている美花メイファでもこの矢は射ることができない。これに必要なのは全身の筋力――つまり、武芸者のような均整の取れた身体なのだ。


「それで、どうして久里ジウリがここにいるのよ」


 蚊の鳴く声で久里ジウリに尋ねた。

 普通ならば、背を向けている者には聞こえはしない声量なのだが、狗哭の者達は耳が良い。これくらいでも難なく言葉を拾える。


「王都から出るからな。万が一のことも考えて、付近を見回ってたんや。それにしても、さすがは禁軍の武官やな。輪の内側に入るん結構苦労したわ」

「じゃあ、もしかして犯人の姿も……!」


 久里ジウリが苦労するくらいなら、輪を抜けるのも大変だろう。まだ山中に隠れているか、動き回っていると考えられた。

 しかし、久里ジウリは首を横に振る。


「実はな、お前に矢が飛んでいくのは気付いたんや。それで射元へすぐに向かったんやが……」

「見つけられなかったのね」


 今度は久里ジウリの頭は縦に揺れた。

 気配を感じてすぐに追ったらしいのだが、姿を捉える前に武官の警戒網に到達してしまい、それ以上は追えなくなってしまったという話だった。それで戻ってきたら、飛訓がいて声を掛けるに掛けられなくなったと。


「まったく何してんねん。自分が女やて忘れたんか……そない姿で抱き合って……」

「抱き合ってって、今回は不可抗力よ。それにバレてないし……多分」

「親子共々、語尾で俺を不安にさせんといてくれや」


 チラッと背中越しに目だけを向けられる。が、さらしを締めているところだとわかると、すぐに久里ジウリは視線を切った。


「やから、そういうところやて!」

「何よ、今更じゃない。久里ジウリは私の肌なんて見慣れてるでしょ。昔はよく二人して下衣だけになって、川で魚獲りしてたじゃない。怪我した時も薬を塗り合ったし……あ、ちょうど良いからさらし締めるの手伝ってちょうだいよ」


 はぁと久里ジウリの気鬱そうなため息が聞こえた。


「お前……俺かて男やからな」

「でも、兄弟みたいなものじゃない」


(そうなのよね。久里ジウリとか里の人相手なら、肌を見られても別に恥ずかしくないんだけどねえ……)


 衝立の向こうを見遣った。

 同じ男だというのに、何が違うというのか。


「…………ほらよ完成、だっ」


 ギュッと想像の倍の力で締められ、思わず「うっ」と喉から声がせり上がった。入れ替わりがバレそうな危険な状況に陥ったことに、相当ご立腹のようだ。

 美花メイファは「どーも」と言いながら水気を絞ったヒヤリとする長衣を纏い、身なりを整える。久里ジウリから受け取った矢を懐にしまい、温泉を出ようとした。


美花メイファ、俺はお前のことを――」

「陛下、そろそろ準備は整いましたか」


 久里ジウリの言葉に被せて飛訓の声が辺りに響いた。久里がチッと舌打ちした。

 美花メイファが衝立の向こうに「もう出る」と答えて振り返ったら、もうそこに久里の姿はなかった。




        ◆



 

 一方、美花メイファの危機感のなさに肝を冷やしたのは、現場を崖の上から眺めていた久里ジウリだけではなかった。

 王宮内朝、皇嗣宮の中のとある后妃の部屋。

 左目を押さえていた六竜リウロンは、ガタガタッと椅子を蹴倒さんばかりの勢いで長牀から立ち上がった。


「……ぁ……あいつ……!」


 前触れもなく立った六竜リウロンに驚きを見せる、六竜リウロンの妃である雲蘭。大きく切れ長の目をパチパチと瞬かせ、彼女は「どうしたのですか」と控えめに六竜リウロンの袖を引いた。


「あ……いや、なんでもない」


 袖を引かれるまま、再び六竜リウロンは長牀へと腰を下ろす。

 しかし、隣に己の妃がいるというのに、六竜リウロンはどこかソワソワとしていて落ち着かない様子。


「殿下、先日は申し訳ありませんでしたわ」


 突然、雲蘭が深々と頭を下げた。


「わたくし、殿下のお心が遠くへ行ってしまったらと不安で仕方ないのです」


 先日とは、日華殿から戻ってきた時のことを行っているのであろう。


「不安って……俺が訪ねていたのは兄上だぞ」

「それでもです。女は愛する者の心の端まで、すべてをほしがる生き物なのですよ。しかも、陛下の後宮へもよく訪ねられてるという噂まで耳にしてしまったら……」

「兄上の新たな寵妃という者に興味があったんだ。俺が兄上の后妃に心を寄せるわけないだろう」


 自分が、兄から何かを奪うことなどありえない。


「それを聞いて安心しましたわ」


 雲蘭は六竜リウロンの腕に、たおやかにしなだれかかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る