露天だけは勘弁!

 よく考えたら、温泉に入るということはこの衣装を脱がなければならないということ。王宮では、着替えと同じ理由でひとりで沐浴してきた。浴場は日華殿の中にあるし、皇帝がいらないと言えば誰も入ってこないし近寄らない。寿鼠府でも同じく、そこまで気にする必要はなかった。だが、外となると話が違ってくる。

 おそらく、直接見るようなことはしないだろうが、周囲に護衛の武官達が立つことになる。


(てっきり岩室とか、泉室とかがあるかと思ったら大自然の中なの!?)


 馬車の窓からチラと景色を見たが、民家や建物の影はひとつも見えなかった。


(露天……)


 口端が痙攣した。

 しかし、このまま馬車の中でじっとしているわけにもいかず、美花メイファは皇帝の顔を貼り付け馬車の外に出た。

 にこやかな顔の可府督の傍らに飛訓がいた。目が合ったが、昨夜のことが思い出されて、美花メイファはフイッと逸らしてしまう。


(いくらお酒が入ってたからって、あれは駄目でしょう……っ)


 完全な八つ当たりだった。皇帝としてでなくても、人として駄目だったと思う。


(恥ずかしいぃ……)


「陛下、お手を」


 しかし、飛訓フェイシンは気にしていないのか。聞こえた声は、まったくいつも通り淡々としたものだった。チラと横目で彼を窺ってみたが、残念ながら俯きがちな顔からは表情が読み取れない。もしかしたら、昨晩は酔いを覚ますと言っていたし、忘れてしまっているのかもしれない。それだったらありがたいのだが。

 美花メイファは差し出された手に自分の手を重ねた。

 相変わらず、彼の手は少し熱い。


(……恥ずかしい……)






 美花メイファは可府督に案内され、山の中に突如現れた『雲泉堂』という屋敷に入っていた。

 湯治に来た貴人達の休憩所だという。建物は王都でよく見る貴人の屋敷と造りが似ており、どうやらこの中に温泉もあるようだ。


(良かった……外じゃなかったのね)


 心底安堵した。


 そうして、美花メイファ達は雲泉堂を管理しているチュウウンという年嵩の女から挨拶を受け、部屋へと通された。

 飛訓フェイシンは入り口の脇に立ち、顔を突き合せて座るのは美花メイファと可府督、そして項中書令。項中書令は相変わらず岩のようにむっすりとしており、可府督は気まずいのか少々顔が強張っている。

 美花メイファはそろそろ分かってきたが、項中書令にとってこのむっすり顔こそが通常なのだ。しかし、そんなこと知るはずもない可府督にとっては、ただの苛立っているかもしれない上級官でしかない。可哀想に。


「こ、こちらは休憩所と言いましても、泊まることもできまして。もし、ご希望であれば本日こちらに滞在なさっても問題ありませんよ」


 沈黙を嫌うように可府督が口を開いた。

 丸っこい可府督は座ると、さらに全体的に丸くなる。そんな彼が、焦ったように身振り手振りでどうにか間を持たせようとしている姿が面白く、美花メイファはフッと頬を緩めた。彼が喋るたびに身体もポヨンポヨンと揺れ、大きなタヌキが踊っているようだ。


「ああ、温泉が気持ち良すぎて寝てしまうかもしれないからな。その際は頼もうか」

「陛下がお泊まりになられたのなら、この雲泉堂も箔がつきますし、ますます温泉を訪ねる者も増えるでしょう」


 彼が嬉しそうにするとポヨンポヨンと腹が揺れる。タヌキ可愛いな。


「それはそうと……可府督、中央の者のせいで迷惑をかけたな」


 可府督は最初なんのことか分かっていない様子だったが、項中書令が「元尚書令が」とボソリと呟くと、「ああっ」と手を打った。


「気付かずに申し訳ありませんでした。同じ中央を与る者として情けない限りです」


 寿鼠府に関しては、まさにこの温泉を掘削するための人手派遣を誤魔化しだった。寿鼠府の温泉は運営は民の手によって行われているが、所有権と全体の管理は官公省が行っている。


 なので、掘削では工部から人手を派遣し、その者達が数ヶ月寿鼠府で生活するための資金も公金扱いとなるのだが、元尚書令は派遣人数を多く申請し、実際に現地に送っていたのはお手伝い程度の人数だったという。可府督は当然、送られてきた人数を見ても中央がそれしか承認しなかったと思うし、苦情を言っても受け取るのは尚書省のため、必ず元尚書令で止められていた。

 だからこそ気付くのに時間が掛かったのだ。


 以前から、項中書令が元尚書令の羽振りの良さや動きに目を付け、地道に証拠集めをしてくれていなかったら、未だ地方には辛酸をなめさせていたかもしれない。


「いえいえいえ、そんなとんでもございません! た、確かに派遣された人手を少なくは思いましたが、やはり将作監の方々。さすが、様々な国家の土木工事を請け負ってきただけはありますね。寄せ集めの人足達の得手不得手を即座に掴んで組み分けをされ、実に的確に指示されていました」


 将作監とは、工部直属の土木建築実行部隊である。

 尚書省には、役割によって六つの部がぶら下がっている。しかし、実際に各地に行って対応するのは、この六部ではない。さらにその下にぶら下がった九寺五監という、実行部隊がいるのだ。六部は中央で、現場から上がってきた案件の対応をする。


「それは良かった。帰ったら、将作監達になにか褒美をやらないとな。なあ、項中書令」

「予算を微増させましょう」

「微増か! 手厳しいな、項中書令は」

「あそこは、増やしたら増やした分だけ測量器を買い集める集団なので」

「……微増で良いか」


 どんな集団だろう。今度見に行ってみようか。

 美花メイファと項中書令の会話に、可府督が細かく頷いていた。きっと、寿鼠府でもその片鱗が見えていたのだろう。


「それに、寿鼠府は人だけは多いので。それほど困らなかったのですよ」

「ああ、街を通る時も思ったが、随分と活気ある街だな。良いことだ」

「ここの他にも、あと数カ所温泉地がありまして。それによって観光客も来ますし、そこで雇用が生まれて人も増えまして。ありがたい土地ですよ」


 自分の政治手腕のおかげとおごらないあたり、可府督はできた人間のようだ。

 そこへ、「失礼いたします」と扉が叩かれた。楚雲の声と分かり、美花メイファが目で促せば飛訓フェイシンが扉を開けた。

 彼女は茶を三人の前へ置いて最後に、美花メイファの茶の毒味を終えた飛訓フェイシンへも手渡していた。


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