第七章 追い詰めた真実

だって、久里はそんなふうにならなかったもの!

 宿屋を出てすぐに聞き込みをはじめた。


『蘭仙という女性を知っているか』『雲蘭という少女を知っているか』――今、手にしている情報があまりにも少なく、とにかく数をこなした。


 しかし、聞けども聞けどもそれらしい話は出てこず、朝からはじめたのが、すっかり昼を過ぎていた。

 ただひとつ、「関係あるかはわからないが……」という前置きをして、門兵が話してくれたことがある。


 その門兵は、長いこと寿虎府に地方兵として勤めていた。門ばかり守り続けて十年。いい加減飽き飽きしてくると愚痴を言っていた。そんな彼は蘭仙という女性も雲蘭という少女も知らないと言ったのだが、寿虎府には表の街の他に裏の街というものがあるらしい。


「街でそれだけ聞いてなんの情報も得られないんなら、その二人は裏の街人かもしれないなあ」と言った。


 裏の街と聞いて、飛訓はいまいちピンと来ていない様子だったが、美花にはすぐわかった。暗殺者集団が狗哭だけということはないのだ。同じ穴の狢がいるというわけか。


(この街に排他的な空気が漂ってるのって、この理由もありそうね)


 しかし、街の雰囲気の理由がわかったところで、蘭賢妃の息子の行方はわからない。

 とりあえず、何よりもひとまず休息が先だった。朝から動き続けて、空腹も限界だった。適当な露天で饅頭を買い、遅めの昼食をとる。客もひけ始めていた頃で席は空いており、美花達は軒先に並べられた卓で、一番奥まった場所に座る。


「さすがに一日では無理そうですね」

「……そうね」

「さすがに項中書令が上手くやってくださっているとはいっても、長く伏せっていることにすると、今度は『王弟殿下を……』という余計な声まで上がりそうですし」

「……そうね」

「まだお腹空いてます? 食いしん坊ですね」

「……そうね」


 次の瞬間、ガシッと遠慮ない扱いで顎を掴まれた。

 無理矢理に、


「人と話す時は、相手の目を見てと、教わりませんでしたかぁ」

「あ、あいにく、そんなに良い育ちはしてないもの」


 朗らかな声音だが、絶対に怒っている。

 美花の顔は飛訓の手によって彼へと向けられているのだが、その目は意地でも正面を向かず明後日を睨んでいた。


「朝からずっっっっっっと、俺と目を合わせないですよね」


 鼻先がぶつかりそうなほど、飛訓が顔を近づけてくる。


「ここで、俺のことが好きだと言うまで口づけでもしましょうか」


 艶声で呟かれた言葉に、美花はカッと顔ではなく頭に血が上った。顎を掴んでいた飛訓の手を払い落とす。


「――っな、何よ! 飛訓が悪いんじゃない。き、昨日、あんな……っ、あ、あんなことを……!」


 顔を真っ赤にした美花を見て、飛訓はなぜ自分が避けられているのか察したようだ。ああ、と揶揄い混じりの表情で片口をつり上げた。


「健全な男なら、あれが普通の反応ですよ」

「嘘っ!」

「嘘って……」

「だって、久里は一度もそんなことなかったものっ。寒い時はよくひっついて寝てたり、おんぶしたりされたり、湯浴みだって一緒にしたこともあるけど、全然普通だったもの!」


 すべて幼い頃の話だが。


「こ、この間だってさらしを巻いてもらったけど、別に何も……んむっ」


 飛訓の手が美花の口を塞いでいた。

 美花を見る彼の目は眇められ、口角は不機嫌そうに下がっている。口を塞いでいた手がゆっくりと離れていくのが怖かった。


「あなたを好きだと言う男の前で、他の男の話をするだなんて……俺の気持ちが嘘や気まぐれとでも思ってるんですか」

「そっ……そんなことは……」


 尻すぼむと一緒に美花の視線も下がる。


(だって、あなたは本当の私のことを知らないじゃない……)


 自分は災いをもたらす人間なのだ。世界から不要だと言われ、誕生を唯一喜んでくれた大切な人の命を犠牲にして生きながらえている。誰からしても気持ち悪い存在だろう。

 それでも生きて来られたのは、狗哭という場所だったから。全員が何かしらの傷を持っている。その中でなら、特大の傷をもった自分でも皆と一緒だと少しは思えたから。


 一度目の拒絶は、生まれてすぐの記憶すらない頃。だが、もし彼に話して二度目の拒絶を受けることになれば……。


「どうすれば俺の気持ちはあなたに伝わります? 身体で愛せばわかってくれますか」

「飛っ、飛訓の不埒者!」


 ガバッと上げられた美花の顔は、そこの露天で売られていた蒸し蛸よりも真っ赤に染まっていた。


「どうして、そんな意地悪ばかり言うのよ……っ」

「俺以上に意地悪なあなたが言いますか」

「い、意地悪じゃ……」


 ないとは言えなかった。わかっている。秘密を抱えたまま、拒絶することも受け入れることもできない自分が悪いのだ。

 どうして拒絶できないのか。

 どうして彼に拒絶されるのが怖いのか。

 眉を下げて自嘲する彼の顔が見ていられなくて、美花は視線を彷徨わせた。落ち着かなさを表すように、美花の指は無意味に何度も前髪に触れる。


「……私ばっかりあなたに振り回されてる……」


 皇帝でいた時はこんなことなかった。今までだとて、父や母相手以外に戸惑ったことなどなかったというのに。六竜に正体がばれて脅された時でも、これほどの汗が滲むような思いはしなかった。むしろ、自分ならどうとでも切り抜けると思っていたくらいだ。


 でも、なぜだかそれが飛訓にはできない。美花であるとバレてから、上手く取り繕えなくなった。それが無性に悔しいのだ。

 怖くて、悔しくて……でも、そんなこと言いたくなくて。


「……全部、飛訓のせいなんだから……っ」


 きっと、虎文の姿で美花の感情を吐露してしまったあの夜が、すべてが綻ぶきっかけだったのだろう。

 ようやく美花の視線が、飛訓の視線とぶつかった。

 飛訓が「美花」と、声にならない掠れ声で呟いた。ゆっくりと飛訓は美花へと顔を近づける。

 そして――。


「ちょっと待って、飛訓」

「……なんですか」


 ベチン、と美花の手が飛訓の顔面に張り付いていた。彼女の手の下から、飛訓の不服そうな声が漏れる。これが美花の照れ隠しであれば、彼もこれほど落胆した声は出さなかっただろう。

 美花は、真剣な顔して卓の一点を見つめていた。

 まるで何か重要なことに気付いたかのように。


「ねえ、以前私が言ったこと覚えてるかしら。ほら、寿鼠府の露天で矢を射てきた犯人のことだけど」


 飛訓は上げていた腰を椅子に戻した。必然的に卓を挟んだ位置に戻る。


「……ええ。確か矢は暗殺者が使うようなものだったと」


 そう。犯人は暗殺術と同時に、特殊な弓を引けるだけの武術も身につけている。だから、禁軍の中に犯人はいると思った。

 そして、もうひとつ。飛訓には伝えていなかったが情報がある。というより、美花もさして重要とも思っていなくて、さらりと記憶の隅に追いやっていたのだ。


「実は、あの弓は南部特有のものだって聞いたことがあったの」


 飛訓が息を詰まらせた。

 今、美花と飛訓がいるこの寿虎府こそ、南部と言われる場所なのだ。そして、その南部こそ蘭賢妃が過ごした場所であり、裏の者達――暗殺技術を持った者達もいる場所。


「すべての黒幕は……蘭賢妃の息子?」



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