弟が絶賛気絶中の隣で

「ごめんね、美花メイファ。弟が無礼を働こうとしたみたいだね」

虎文フーウェン!」


 頭の中に虎文フーウェンの声が響いてきた。遠言を使っているのだろう。


「昔から六竜リウロンは私に懐いてくれていたんだが、やはり兄ではなく姉だとつい甘えすぎてしまうのかな」


 美花メイファはチラと長牀で伸びた六竜リウロンを見遣った。ピクリとも動かない。思わず大丈夫なのかと生死を疑ってしまう。


「心配しなや、手加減したわ」

「そ、それなら良いけど……」


 不安げに六竜リウロンを眺める美花メイファの視線に気付いた久里ジウリが、頭をぽんぽんと軽く叩きながらカラカラと笑った。


「だから、陛下。王弟殿下は山に捨ててきて良いです? 陛下がおれば充分でしょ」

「何言ってるの、久里ジウリ!?」


 だから、の使いどころがおかしい。脳内には、ハハハと虎文フーウェンの陽気な笑い声が響いている。兄ながら呑気すぎやしないか。

 その後、美花メイファ久里ジウリに額を小突かれながら、懇々とした説教と男とはという授業を受ける羽目になった。


「……男には気を付けろって……里では誰も手を出してこなかったし……」

「長がおったからや」

「お父様が?」


 どういうことだと父を見るが、彼は知らぬ存ぜぬとばかりに明後日を見ていた。


「手ぇ出したら、夜闇に乗じて首切られとったわ」


 美花メイファは「えぇ」と、そんなことあるのかと弱冠引き気味な声を漏らし父を見遣った。やはり父は明後日を見ていた。


「俺も、この場に長さえおらへんかったら……クッ」


 何を悔しがっているのか、久里は拳を握っていた。






「それで、今そっちはどんな状況になっているんだい」


 美花メイファは、蘭賢妃が一番怪しく、追放された彼女の居場所を唯一知っていそうな項淑妃を訪ねるつもりだと話した。


「なるほど、項淑妃か。先帝崩御の際に後宮を出られて、確か今は南の寿虎府近くの離宮にいるんだったか。先帝の后妃の中で蘭賢妃のことを知っている者は、確かに母上と項淑妃くらいしか残っていないだろしね」

「すごいわね。先帝后妃の居場所なんて覚えてるのね」

「離宮の維持も、私の役目だったから。六竜リウロンの母上に不便な暮らしなどさせられまい」


 黒幕捜しが最優先だといっても、美花メイファも朝議に参加したりと、日々の政務は行っていたのだが、離宮の維持にまで意識が回らなかった。きっと、虎文フーウェンは幼い頃からそういったこと含めて努力して学んできたのだろう。皇帝になるために。皆にそうなるように求められ……。


(それに比べて私は……)


 針の先で突かれたように胸がツキンと痛んだが、美花メイファは緩く頭を振って余計な思念を追い出す。


「しかし、まさか母上が毒を盛られていたとは……」

「多分、あなたに心配をかけないように黙っていたのね。皇太后宮を訪ねてもなかなか会ってもらえなかったもの」


 虎文フーウェンの「母上」と噛みしめたような呟きが聞こえた。


「私……というか、虎文フーウェンの命を狙ってきた武官については、今飛訓が名簿を探してくれているわ。少なくとも、蘭賢妃とは全くの無関係とは思えないのよね」

「蘭賢妃からそのまま武官にまで手が伸ばせそうだな」

「そうね」


 早く虎文フーウェンには王宮に戻ってきてもらわないと。彼の護衛兵が本分を忘れてしまわないうちに。


(飛訓ってば、正体がバレてから遠慮ってもの捨てた節があるのよね。あんな……あんな目で私のことを見るし……)


 熱の籠もった、今にも溶けそうに潤んだ目で。最初に抱いた『冷めた顔をして、明るさや闊達さなど微塵もない』などという印象は今や微塵もない。胡散臭い笑みは、いやらしさが滲む嗜虐的笑みになった。


(……護衛兵として駄目じゃない)


 とにかく、彼のためにも早めに虎文フーウェンと交替する必要がある。


「それで、女人の姿で項淑妃の元へ行くって話やけど、顔はどないすんねん」

「顔? どうするって何が?」


 伸びてきた久里ジウリの手に、前髪をペロンと捲られる。


「密かに訪ねるっていう話やけど、このままやとすぐに陛下てバレるわ」


「ああ」と、美花メイファは頷いた。確かに、この顔は虎文フーウェンとそっくりなのだし、衣装をただの官吏のものに変えても、項淑妃には分かってしまうだろう。


「じゃあ、花美人の顔で――」


 行くわ、と言い切る前に、久里ジウリと父から首を横に力強く振られた。しかも、向けてくる目が『馬鹿か』と言っている。二人とも。腹立つ。


「……なんでよ。お姐様達直伝の化粧なのよ?」


 後宮に后妃として潜入する際、花楼にいる狗哭のお姐様方に化粧法を教わった。通称『これで皇帝の寵愛もほしいまま! 無敵に寵妃顔』だ。皇帝も美花メイファなのだから寵愛云々要素はいらないといったのだが、「他の女に負けることなど許さん」と、結局、寵妃顔化粧術なるものを教えられた。


「だからやろ。あないケバケバド派手な顔で後宮外をうろついとったら、即通報案件や。花街の妓女が逃げ出した思われるわ」


 それほどか?


「ごめんね、美花メイファ。それは私も擁護できない。後宮女人の化粧は綺麗だけど、その……胃もたれするよね」


 声音だけでも『お腹いっぱい』と言っているのが伝わってきた。


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