湯けむりの中の危機
背後――歩いてきた方角には簡易の脱衣所と衝立があり、その奥に飛訓が控えている。周囲は武官達が見張りに立っているのだろう。微かにピリついた気配を感じる。しかし、気配の箇所は随分と遠く、目視はできない位置だ。容易に皇帝の玉体を見ないための計らいだろう。
「彼の前だと、どうしてちゃんとできなくなるのよ……」
これは任務であり、全うしなければならない仕事だと、あの後、何度も頭の中で言い聞かせた。
それでも、彼といると意識が美花に戻ってしまう。虎文の意識を保たねばならないのに。こんなこと、長く狗哭をやってきたが初めてだった。
「うー……」
――のだが、次の瞬間、
バシャンッ、と大きな音をたてて水しぶきが飛んだ。
◆
「……これは護衛だ」
護衛兵の自分が、そんな分かりきったことを、自分に言い聞かせる日が来るとは夢にも思わなかった。
「意味が分からない」
自分の。
なぜ、これほどにも背中が気になるのか。
皇帝との付き合いは長い。さすがに露天ははじめてだが、今までだとて、このように視察の時に離れて護衛につくこともあった。しかし、思い返してみても、こんなに背中がヒリヒリするほど神経を尖らせたことがあっただろうか。
これほど彼が頭から離れない原因は分かっている。
彼に彼女を見てしまったからだ。似ているからと、単純な自分の思考回路が嫌になる。
「……ックソ」
とにかく今は、仕事に集中だ。
正面は崖だといっても、自分が護るこの入り口以外の場所は、木々くらいしか障害はないのだから。
視認できる範囲にはいないが、同僚達が山の中で警戒網を敷いているはずだ。万が一でも、ここで皇帝が湯浴み中だと知られてはならない。
彼の玉体を一般人の目に触れさせるわけにはいかないのだ。誤って山に踏み込んだ者がいたとしても、露天が視界に入る前に対処できるように、露天を取り囲むようにつくられた警護の輪は大きめだったと把握している。
「宇玄もたまには役に立つな」
今回の皇帝護衛のために編成された龍武軍の中に、あの馴れ馴れしい同僚の宇玄も入っていた。王都からの道中で、「よっ!」と声を掛けられた時は驚いた。よく入れたな、と。
仕事の愚痴を言っているところしか見ていないからか、彼に対する
そんな彼に、あらかじめ道中で警護の概要を聞いていた。
山の中を龍武軍が警戒してくれているのなら助かる。自分はすべての注意を皇帝にだけ注げる。
そんなことを思っていたら、背後――皇帝のいる露天のほうから、バシャンッと、大きな水音が聞こえた。
「陛下ッ!」
明らかに、何かがあったと思われる水音の大きさだ。
◆
「来るな、
もうもうと立ち上る白い湯気の中、視界は良くなかったが、衝立の向こうから
来られたら困る。が、今は
片手を突き出したまま、
すると、バシャンという大きな音の後に、ざぶざぶとした水音が立ち騒がしくなる。正面へと視線を向けると、
「おい、
しかし、
「やッ」
思わず喉の奥で小さな悲鳴が漏れる。
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