私のことが嫌いですか
「あまりにも心配で、訪ねさせていただきました。母上」
あの顔色ならば寝殿で伏せっているのかもと思ったが、ひとまず居室がある正殿を訪ねてみた。いなかったら次に寝殿へ行こうと思っていたが、その必要はなかったようだ。
皇太后は、金泥で鳳凰が描かれた赤屏風の前で、鷹揚と座っていた。彼女は椅子よりも座具のほうを好んでいるようで、必然的に
背後で侍女が「申し訳ありません」と彼女に謝っているが、彼女はチラとも侍女へ視線を振らない。
見上げるようにして向けられる彼女の視線はなかなかに迫力があり、真一文字に結ばれたままの口に意志の強さが窺えた。
(化粧で綺麗に隠すものね)
乾いていると感じた肌も、今は煌めくように白く美しい肌になっている。真っ赤な紅を口に乗せ、豪奢で真っ赤な袍を纏い、真っ赤な屏風の前に座す。目元と口元にしっかりと老いをかさねているが、衰えは一切感じさせぬ皇太后として申し分のない威厳だ。
「すみません、強引に訪ねてしまいまして。しかし、何度訪ねても会ってはくださらないので、つい……それほど、気を揉んでいたのだと許してください」
真っ赤な唇が、クッと片方だけ吊り上がった。
「お忙しい陛下の時間を、わたくしに割いては迷惑と思ってな」
「母上に対して、私がそのようなことを思うわけがないでしょう」
にこやかに応答するが、皇太后の目が柔らかくなることはない。つっけんどんな言い方に、
基本的に、太子や公主は産みの母親の宮で養育される。しかし、虎文は生まれてすぐに貴妃が亡くなっている。先代皇帝の最初の男子だったこともあり、当時の皇后――今の皇太后の宮で育てられたという話だが。
(大丈夫よね……? 貴妃の子だったからって、いじめられたりしてないわよね?)
皇太后には子ができなかったはずだし。
「母上、体調はいかがですか」
「見ての通り問題はないわ」
フッ、と皇太后が眉を柔らかくしたように見えた。断定できなかったのは、その表情変化がほんの一瞬のことだったから。再び見た時には、彼女はまたツンと氷像のような顔に戻っていた。
(いつから彼女にも毒が盛られているのかしら)
「どうか、口にするものにはお気をつけください。母上」
「ふふ、誰に言っているのやら」
皇太后は袂で口を押さえ、肩を揺らして笑っていた。手の下からは、嘲笑に似た笑い声が聞こえる。
(本当に、この人が虎文を育てたの?)
どうして、虎文はこのような人に会いに行っていたのだろうか。
すると、見つめられていることに気付いたのか、パタリと笑いを止めた彼女は、同じようにまっすぐに見返してくる。
「母――」
失礼します、と案内した者とは別の侍女が茶を運んで来て、
侍女は、目の前で茶を注いでまた部屋を出て行く。
「では、いただきます」と、
目を丸くする
「今日、陛下は勝手にわたくしの宮に入ってきた。ということは、すなわち陛下はわたくしの客人ではないということ。客でない者に出す茶は我が宮にはない。もう充分にわたくしの顔色は窺っただろう? どうぞ政務に戻られよ」
正直、カチンときた。
「ですが、せっかく母上の侍女が淹れてくれたもの。一杯だけいただいて帰りますよ」
再び
よほど彼女は、皇帝――虎文のことが嫌いらしい。
「……母上はどうやらお元気な様子ですね。安心しましたよ」
これならば、わざわざ会わなくても良かったな……などと思いながら部屋を出た。パタンと扉を閉め、はぁと疲労の滲むため息を足下に落とした。
さて、あとは飛訓からの報告を聞けばいいか――と考えていた時。
ガシャンという、物が割れるけたたましい音が、背にした部屋の中から聞こえてきた。
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