収容所の秘密4

 *



 ホヅミの部屋で、マナブはいつしか寝入っていた。

 夢を見ていた。子どものころの夢だ。視界のかぎり、どこまでもひろがる棚田が夕日に赤く染まっている。

 ああ、イヤだなとマナブは思った。きっと、あの夢だ。見たくないのだが、目はさめない。

 マナブは家にむかって、けんめいに走っている。近づくマナブにおどろいて、すぐ近くから白鷺が飛び立った。茜色の空を優雅に舞う姿に一瞬、目をうばわれる。

 マナブは物心ついたときから、山奥の一軒家に父と二人きりで暮らしていた。まわりに空き家はあったが、人が住んでいる建物は見あたらない。マナブは生まれたときからそこにいたので、自分の生活を変だとは思っていなかった。朝から晩まで川で釣りをしたり、山をかけまわって山菜や木の実、キノコを集めた。父は稲や畑の手入れ。猟もしていた。無口だが優しい父だった。家にはテレビさえなかったが、マナブのために父は町から絵本やオモチャを買ってきた。毎晩寝る前に必ず、その本を読んでくれた。


「ねぇ、桃太郎にはおじいさんとおばあさんがいるのに、なんで僕はお父さんしかいないの? おばあさんは?」

「おまえのお母さんはな。とても綺麗な人だった。都会から来て、おまえを生んで。でも体が弱くて、天国へ行ってしまったんだ」

「ふうん」


 それでもよかった。母は最初からいなかったから、とくに欲しいとも思わなかった。遊び相手のいないマナブのために、父が犬をもらってきてくれた。チャペと名づけた。ニワトリも飼った。ヤギも。

 平穏で幸せな世界。だが、マナブが小学校にあがる年に世界は変わった。少し離れた空き家に親子が引っ越してきたのだ。マナブの家とは反対の母子家庭だった。ちょうどマナブと同い年のユズという女の子がいた。


 ユズが来てからの毎日は、それはもう別世界の楽しさだった。毎日が光り輝いた。もちろん、それまでだって幸福だった。でも、ユズと遊ぶ小川のきらめきや、春にはバッタを、夏にはセミやカブトを、秋にはトンボを追いかける時間の速さときたら、今までとはくらべものにならない。毎日、手をつなぎ、野山をかけめぐりながら笑いころげた日々。小学の最初の三年間なんて、あっというまだった。その小学も学校まで毎日何時間もかけて往復したが、ユズと二人なら楽しかった。


「ねぇ、ユズ」

「うん。何?」

「ぼく、ずっとユズといっしょにいたいなぁ」

「あたしも」

「大人になったらさ。ぼくと結婚しよ?」

「いいよ」

「じゃあ、約束ね。指切り」

「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます」

「指切った」


 たあいない約束は悪夢によってやぶられる。マナブはうなされていた。これ以上、この夢を見ていたくない。

 すると、とつぜん、誰かにゆりおこされた。

「マナブ。マナブ。大丈夫?」

 目をあけると、心配そうなホヅミの顔がそこにあった。見つめるうちに、マナブは涙がこぼれてきた。

「マナブ?」

「怖い夢、見たんだ」

「うなされてたよ」


 ホヅミはちょっと、おどろいている。マナブ自身もビックリした。ユズの夢を見るのは初めてじゃない。泣いたことなんて、今までなかったのに。たぶん、ホヅミが少しユズに似てるせいだ。

「昔の友達……君に似てたから」

「奇遇だね。わたしの友人もマナブに似てたよ」

「えっ? ほんと?」

 ホヅミの表情が暗くなる。

「異端狩りに捕まったけどね。あなたの友人は?」

 マナブはくちごもった。話したくない。でも、話さなければいけない気がした。

「ユズは死んだよ。十歳のとき」

「……ごめん。ご病気だったのね」

 マナブは首をふった。あのときのことは、どこか非現実的だ。闇でぬりつぶされたようにおぼろな記憶のところどころに真紅の鮮血がほとばしり、こびりついている。目を閉じると、切りおとされた少女の腕や、恐怖にゆがんだ生首が稲妻のように浮かびあがる。


「違う……ユズは殺されたんだ。異端者に。ユズのお母さんは異端者だった。それで都会から逃げてきたんだ」

 けっきょくは破壊衝動を抑えられず、娘を食い殺して逃げていった。マナブがあまりにもショックを受けたので、父は山をおりて、街で暮らした。マナブはそのあと一年くらいの記憶がない。街の借家では飼えなかったので、愛犬のチャペも親戚に預けたという。いつのまにかいなくなっていた。


 マナブはこぼれおちる涙をとめられなかった。もう何年も忘れていたのに、なぜ今こんなに鮮明に思いだすのか。大好きだったユズ。大人になったら結婚しようと約束していたのに。もうどこにもいない。

「おれ、あの子を守れなかったんだよ。守らなきゃいけなかったのに」

 泣きぬれるマナブの肩に、ホヅミの手がかかる。

「あなたのせいじゃない。異端者相手に子どもができることなんてないよ」

「そうだけど。でも……」

「マナブ。ねぇ」

 ホヅミの声が真剣だったので、マナブは顔をあげた。そのとたん、ホヅミの唇が重なってくる。

「マナブ。わたし、あなたに会えてよかった。わたしたち、たとえ、ゲームに失敗して異端に堕とされても、いっしょにいようよ。わたしがあなたのユズの代わりになる」

 涙が止まらない。

 でも、それは嬉しさで……。

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