マリオネットの最期3
離れ離れになったときのまま、レイヤの記憶のなかでは、彼らはずっと少年のままだった。だが、レイヤが二十二になったのだ。彼らだって成長している。そう理解するのに、つかのま時間がかかった。
「ムツヤなのか? ミツヤ?」
レイヤがかけよると、答えがあった。しかし、変な声だ。天井から響く電子音声のようだ。それはそうだろう。レイヤの兄弟は口に酸素吸入器をつけられ、生理食塩水の瓶のなかに浮かんでいる。ややななめなせいで、右側半分が見えない。
「レイヤ?」
「ああ。おれだよ。ムツヤなのか? それとも、ミツヤ?」
ガラスのなかで、彼の目がふせられる。
「ミツヤは死んだよ。実験に使われて」
「そうか……」
たぶん、そうだろうと思っていた。悲しいが、カズヤやニヤたち、ほかの兄弟が実験台にされ、次々死んだことを思えば当然だ。今まで生きているわけもない。
「ムツヤ。ずっと気になってた。あのとき、おれを逃がして、おまえがどうなったのか。おまえだけでも生きててくれてよかった。今、そこから出してやる。今度こそ、いっしょに逃げよう」
レイヤは人工子宮の近くにある操作盤に歩みよった。きっと逃げださないように、ムツヤはここに閉じこめられているのだとしか考えなかったのだ。が、ムツヤの声がレイヤをとどめる。
「レイヤ。もういいんだ。僕はこのなかでしか生きられない。外へ出ることは二度とないんだ。きわめて特異な実験の結果だから、データをとるためにだけ生かされている」
「ムツヤ……」
レイヤは全身がふるえてくるのを感じた。いったい、どんな実験を行われたのか? ムツヤは兄弟たちのなかで、つねにもっとも優秀で、研究員にも特別あつかいされていた。どんなに努力してもかなわないムツヤに嫉妬しながらも憧れていた。輝いていた。ムツヤのようになりたかった。そのムツヤが今はこのガラスの水槽のなかでしか生きられないとは?
「ムツヤ……」
ムツヤは微笑みながら、水中で体をよじった。隠れていた右半身が、ゆっくりとこっちをむく。それを見て、レイヤは言葉を失った。
レイヤと瓜二つの顔。いや、かつて、レイヤよりさらに整っていたムツヤのおもてが、半分くずれている。皮膚の表面には紫色の静脈が死斑のように浮きあがり、ただれた肉の赤い色が見えていた。むきだしの奥歯が数本のぞいている。顔だけではない。その腐敗は全身にひろがり、とくに手足のさきは灰色になって完全に腐っている。
「ムツヤ……」
レイヤは人工子宮の前にくずおれた。ムツヤのこんな姿、見たくなかった。ずっと憧れのままでいてほしかった。そうすることで、レイヤ自身もがんばれた。もっとやれるという気力を得られた。
ムツヤの姿を見ていられない。涙が床にこぼれて小さな水たまりを作る。
「なんで……なんで、こんなことに……ムツヤ」
「君が逃げだしたあと、僕はヒミコとひきあわされた。でも、ヒミコが僕をペアと認めてくれなかったんだ。ヒミコは君を選んだ。だから、必要なくなった僕は別の実験に使われた。RTR抗体を持つ個体に改良前のRTRを投与すれば、どうなるのか? RTRは破壊衝動はないが細胞が壊死する。改良RTRは壊死しないものの破壊衝動を持つ。二つをかけあわせれば、両方のいいところだけが残るんじゃないか? つまり、腐らず、破壊衝動もコントロールできて、その上、再生もできる。そういう個体を造る実験だったんだ。でも、結果は見たとおり。両方の長所が相殺されて、短所だけが残った。壊死し、破壊衝動を持ち、その上、再生もしない。最悪だ。この人工羊水のなかから出れば、僕の体は一瞬で腐り落ち、あとかたもなく崩れおちる」
「ムツヤ……」
ムツヤの破壊衝動は自己破壊にむくタイプなのだろう。よく見れば、両手は薄い膜のようなもので拘束されているし、酸素吸入器は舌をかまない用心もかねているのかもしれない。
「すまない。ムツヤ……おれのせいで……」
「いいんだ。僕たちはいつか全員こうなる運命だった。僕とヒミコがうまくいっていれば、たぶん、その場で僕らは殺されていたよ。完全なRTR抗体ができれば、僕らは用済みだからね。僕とヒミコのクローンをより多く造るために、精巣や卵子をとりだして、それを使ってRTR抗体プラントができあがっていただろうさ。ヒミコや君だけでも生かされたなら、僕はこれでよかったと思ってる」
レイヤはただ涙が止まらない。あのとき、レイヤがヒミコに会いたいなんて言わなければ、ムツヤはこんなふうにはなっていなかっただろう。だが、ムツヤの言うとおり、RTR抗体が仕上がっていれば、レイヤをふくめ、今ごろはヒミコもムツヤも生きていなかった。
「レイヤ。行ってくれ。君だけは生きのびてほしい。君がいれば、僕らがいた証になるんだ。僕たち兄弟が、たしかにこの世に存在したという証に」
「……わかった。でも、ムツヤ。ヒミコが異端狩りに捕まってしまった。名前は変わっているかもしれない。今また、この収容所のどこかに囚われているんだ」
「ヒミコが……僕らの花嫁。僕には緋色の変化を見せてくれなかったけど」
レイヤはムツヤのその言葉を聞きのがさなかった。
「緋色の変化?」
「君のときには見せたんだってね。ペアの相手にだけ反応するんだ。ヒミコは気持ちが昂り体温があがると、髪が緋色に、瞳が紫に変化するんだって。僕のときには黒いままだった」
レイヤは愕然とし、言葉にならなかった。
それは、つまり——
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