残酷な一夜6

 *



 少し前。

 セイがヒロキを自室に保護するのを確認して、ショウは廊下へすべりだした。

 困ったことになった。さっきは、つい自分を抑えきれなくなってしまった。無抵抗なヒロキがあまりにも嗜虐的しぎゃくてきで。けっきょく、じっさいに切断まではしなかったが、あれはやりすぎた。あそこは自重しておくべきだった。市民には評価ポイントがつくというのに。


(まいったな。まさか、暴力の魅力に抵抗できないなんてね)


 これまでの苦労はなんだったのか。そう思うと苦い気分になる。まだまだ修行がたりてない。

 ショウは自分の暴力傾向を少年のころから自覚していた。今でこそ、こんなに落ちぶれているが、もともと、ショウは政府関係の上流市民だ。

 父は特別治安隊のエリート軍人。それも将官だ。教育は厳しく、しばしば体罰を受けた。幼いショウの体から、青アザが消えるときは一日たりとなかった。誰もが羨む上流階級に生まれ、はためには何不自由ない生活。だが、その裏では父の虐待ぎゃくたいに心の底からふるえあがっていた。勉強もスポーツも、つねにいい成績を求められた。できなければ、なぐられた。ストレスと苦痛で、ショウの心はがんじがらめだった。


 母がいれば、少しは違ったのかもしれない。が、母はショウがまだ小さいころに死んだと、父からは聞かされていた。ほんとは男を作って逃げたのだと、近所のウワサで知った。

 母は父の上官の娘だった。たとえ、エリートの父でも、若い男と浮気して出ていった母をつれもどすことも、罰することもできなかったのだ。父がショウに必要以上に厳しかったのは、そのせいかもしれない。ショウは母親似だから。ショウの顔を見るたびに、いまいましくなったのだろう。


 それでも、子どものころは父を信じていた。どんなに厳しくても、父はショウの将来のためにそうしているのだと。

 しかし、ショウが中一のとき、父は再婚した。世界は一変した。父は新しい母に夢中になった。ショウには見むきもしなくなった。あれほど厳しかった教育もおざなりになった。ショウは家のなかで、いつも一人だった。新しい母が男の子を生むと、もはや、ショウはジャマ者でしかなかった。

 では、これまで耐えてきた、あの苦痛はなんだったのか? 来る日も来る日も血が出るほどぶたれて、ゆるしをこい、父に愛されようと続けた努力はなんだったのか?

 まったくの徒労だ。そんなの、なんの意味もなかった。父にとってショウは、最初から逃げた女への腹いせの道具でしかなかった。


 そうとわかったとき、ショウのなかで何かが壊れた。ショウは家庭で暴力をふるうようになった。これまで父から習ったゆいいつのことを継母に返してやった。

 継母はおとなしい女だった。ショウの心の傷を見ぬいていた。どんなに暴力をふるわれても、それを父に言いつけようとはしなかった。だが、それが結果的に最悪の事態を招いた。高校二年のとき、ショウは継母に重傷を負わせて病院送りにした。さすがにこれは父に知れた。父は外聞を気にして表ざたにはしなかった。そのかわり、ショウは親子の縁を切られ、戸籍を抹消されて、地方都市にすてられた。

 それからの苦労はショウの想像を絶していた。あたりまえに目の前にあった高学歴高収入の未来は一瞬で消えた。異端狩り。変質者。まだ高校生だったので、生活にも困った。金を得るには働かなければならない。保証人のいない未成年にできる仕事なんて、たかが知れている。食うのがやっと。どうにか生きてこれたのは、ショウが苦痛には強かったからだ。ひどい暴力を受けるとき、ショウの意識は空白になる。たとえ、それが言葉の暴力でも。そのときだけ、どこか別の世界へトリップできる。それだけが父から授かった恩恵。どんなに叱責されても、図々しく立ちまわれる。手先も器用だった。

 今さら家に帰りたいとは思わない。ただ、ずっと気になってならないことがある。なぜ自分は、自分を苦しめた父にではなく、優しい継母に鬱憤うっぷんを晴らしたのか。

 継母が父をうばっていったからか? いや、自分は父を愛してはいなかったと思う。

 では、彼女に母性を求めたのだろうか? 彼女が実子の弟を愛するように、自分もかまってもらいたかったのか?

 何をされても従順だった彼女。彼女の泣き顔が頭から離れない。

 最近になって思う。自分は彼女を男として愛していたのではないかと。彼女の気をひきたかったが、親から暴力しか教わらなかった。自分にはその方法がわからなかった。人を愛する方法が……。


 さっきのヒロキの姿は、継母を思いださせた。ショウの暴力に耐えていた継母のおもかげが、ヒロキの無抵抗にかさなった。

 暴力は異端——

 家を出てから、ずっとその言葉を戒めに自制心をつちかってきたつもりだった。なのに、ヒロキのあの姿には、あっけなく堕ちた。やはり、虐待は心地よい。すっと胸がすく。こんな思い二度とすることはないと考えていたのに……。


(やめてくれよ。今さら呼びさまさないでくれ。おれはヴァルハラ市民になって、もう一度やりなおすんだ。今度こそ、ふつうに女を愛して、ふつうの家庭を持つ。それが夢なんだ)


 でも、それももう叶わない夢かもしれない。あれは重大な過失だった。ヒロキを拷問したことで、自分は堕落するだろう。

 ショウはため息をつき、食堂へ向かった。テーブルの下にカードを置く。ヒロキのポケットからぬきとったIDカードを——

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