残酷な一夜7

 *



 ヒロキが浴室で悩んでいると、セイが帰ってきた。すりガラスの向こうから声をかけてくる。

「ヒロキ。入っていい? ずいぶん長いけど、倒れてないよね?」

「大丈夫……」

 ヒロキの返事に生気がなかったせいだろうか。あわてたようすで、セイがガラスドアをあけてくる。そして、息をのんだ。かけこんでくるので、ヒロキのほうがおどろく。

「な……何?」

「どうしたの? ヒロキ。血が——」

 セイがヒロキの頭に手をかけてくる。ヒロキは気づいた。思い悩んでるところに長時間、頭から湯をかぶったので、いつものアレが起きたのだ。

「……変でしょ? わたし、なんでか知らないけど、こうなるんです。興奮したり、体が熱くなったとき。まるで……化け物ですよね」


 涙がこぼれてくる。ヒロキは顔をそむけた。いったい、いつからだろう? こんなふうになったのは。子どものころはこうじゃなかった。収容所に入ってから……たぶん、あの審問会のあとからだ。首輪をつけられて、何度も電流を流されたからだろうか?

 ふだんは髪も目も黒い。なのに、体温があがったときに動揺したり、気持ちが高揚すると、血に染まったように髪が赤くなる。ひどいときには、目の色までグリーンをふくんだ薄紫色になる。そんなことはめったにないが。

 異端者というだけで化け物あつかいされるのに、その上、こんな特殊な変化を肉体に起こすなんて、ほんとに人間ではないみたいだ。


 うなだれていると、セイの手がヒロキの肩にかかった。優しい微笑。

「変じゃないよ。とても綺麗。お人形みたい」

「このこと、ほかの人には言わないでください。これ以上、変な子だと思われたくない」

 レイヤに……知られたくない。

「誰にも言わないから、もう泣きやんで。あなたは笑ってるほうが可愛いよ。さ、食事にしましょ」

 セイの思いやりが身にしみる。ヒロキはセイを姉のように慕い始めている自分に気づいた。同じ虐げられた仲間。心の底でつながっているようなシンパシー。

 セイがベッドの下のひきだしから、非常食をとりだす。缶詰やレトルト、お菓子などが入っていた。固形のスープも。水道から出る熱湯でコーンスープを作ってくれた。あたたかい飲み物が人心地を誘う。

「ありがとう」

「わたしたち、仲間だからね」

「うん」

 セイはヒロキのためにクローゼットから服をとりだした。配給が数着ずつくばられている。そのとき、セイの私物のカバンがクローゼットに入れられているのを見た。ウサギの可愛いマスコットがついている。小さいのに振袖を着て、花柄のマスクや花簪はなかんざしまでつけている。とても手がこんでる。そういえば、セイは人形作家だと言っていた。

 セイはヒロキの視線に気がつき、マスコットを外した。

「気に入った?」

「うん。すごく可愛い」

 セイは心から嬉しそうだ。

「これね。わたしが作ったの。あげる」

「いいの?」

「わたしにはもう、これしか作れないから」

「嬉しい。大切にする」

 でも、こんなに親切にしてくれると心苦しい。ますます選択に悩む。

 セイもヒロキに言いたいことがあったようだ。ヒロキが落ちつくのを待って言いだした。

「ヒロキ。昼間のことだけど。ほんとはレイヤのカード、見たんじゃないの? わたしの場所からでも、わたしのとは違うマークが見えた。丸い輪が二つ紐でつながったような……あれ、手錠だったんじゃないの?」

 ヒロキはセイの瞳を見つめた。ふたたび、涙があふれてくる。

「ご……ごめんなさい。わたし、何も言えません」

 セイはため息をつく。

「ヒロキ。レイヤに惹かれてるんだ」

 ヒロキは黙ってうなずいた。

「わかるよ。彼、とても神秘的だからね。だけど、わかってるよね? あなたは異端者だと、みんなにバレてしまった。明日か、あさってには沈められてしまう。それをまぬがれるには、今すぐ、あなたとわたしでレイヤを『殺す』しかない」

 ヒロキは力なく首をふる。

「わたし……そんなこと……」

「勇気を出そう? さっき、レイヤは助けてくれた? 違うよね。ドアの魚眼レンズから見てたけど、彼、あなたを見すてて、さっさと逃げた。レイヤにとって、あなたはただの異端者。かわいそうだけど、なんとも思われてないよ。そんなレイヤのために、残りの一生をささげるの? 今日みたいなことを、これからもずっと耐えていくの?」

 ヒロキはある決心をして、セイを見返した。

「これから行って、登録してきます」

 時刻は一時四十五分。

 今なら、まにあう。

「さっき、わたしは登録してきたよ。はい、これ。テーブルの下に落ちてた」

 そう言って、セイはヒロキのIDカードをさしだしてくる。ヒロキはセイに助けられて自室まで帰った。

「もう大丈夫。ほかの人に見られたら、セイが困る」

 セイはうなずき、帰っていった。

 ヒロキは金庫から、カードを一枚とりだした。名前を書き、ロビーカウンターで登録した。だが、そこに書かれた名前はレイヤではなかった。


 その夜、ヒロキは朝まで泣いた。ヒロキが裏切ったと知れば、セイはどう思うだろう。

 ヒロキとセイは同じ異端者。心を焼き殺された弱者だ。捜査官が、明るい未来はない。ふたたび異端に堕ち、屈辱を受け続けなければならない。よくて誰かの愛人になるか、あるいは看守たちに弄ばれるか……そんな人生だ。そのうちには研究の実験台になって死ぬ。


(ごめんね……ごめんね。セイ)


 翌朝——

 ヒロキはほのかな安堵を味わった。より深い悲しみとともに。

 セイは永遠の眠りについていた。ヒロキの裏切りを知ることなく……。

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