亜種二世3
*
リンが向かったのはシロウの部屋だ。リンにとって、これは裏切りではない。生きていくためのあたりまえの行動だ。
マナブにはさんざん田舎者あつかいされたが、そんなんじゃない。リンはもっと数奇な運命を背負ってきた。異端者なんて知らなかったのは、わりと最近まで、ただの一度も外に出たことがなかったからだ。
リンの母はうんと若いシングルマザーだ。リンを生む前、外国企業の管理職の男と不倫していたらしい。マンションを買いあたえられ、かなりの生活援助を受けていた。ところが、日本にグールがいるとウワサされるようになって、優良な企業ほど早く撤退していった。あるいは規模を縮小し、国内での経営を完全に日本人にゆだねた。指示はリモートでできる。
リンの父も日本を去り、一人で出産した母は、未婚の体裁を通すために、リンをマンションのクローゼットに閉じこめた。生まれたときからそうだったので、リンは自分の境遇に疑問なんて持っていなかった。母はリンを徹底的に世間から隠したが、愛情を持って育ててくれた。だから、不満すら持っていなかった。
だが、いびつでありつつも幸せだったリンの日々は、とつぜん終わりを告げた。あの当時は知らなかったが、たぶん、アレが世の中に隠れひそむ亜種二世だったんだろう。夜中にとつぜん、マンションの部屋に何者かが侵入してきた。そして母を食い殺し、去っていった。
あのときの光景を、リンは忘れない。いつものようにクローゼットのなかで寝ていたリンは、母の悲鳴で目がさめた。扉のすきまに目をあてると、窓からかすかにさしこむ月光をあびて、誰かが母をナイフで切り刻んでいた。暗くてよく見えなかったものの、黒くシルエットになった人物は妙にフラフラして、まるで酔っぱらっているみたいだった。
苦しかっただろうに、母は一度もリンを呼ばなかった。呼べば、クローゼットにリンが隠れていることが、侵入者に知られてしまうからだ。母は命をかけて、リンの存在を恐ろしい殺人鬼から隠した。
殺人鬼が去ったあと、ベッドの四つの脚に四肢を縛られ、首をしめられた上、はらわたを食われて死んでいる母を見て、リンは思わず外へとびだした。母を殺した相手に復讐してやりたくて。でも、相手はとっくに夜の闇に消えていた。
グールとか、グール亜種とか、亜種二世とか、そんなものの存在さえ知らなかった。だが、マナブたちの説明でわかった。母を殺したのは、まちがいなく亜種二世だ。それも、グールのなかでもきわめて破壊衝動の強烈なヤツ。
そのあと、リンは一人で世間を放浪した。リンには戸籍さえなかったので、母を失うと、何一つ頼るものがなかった。生活のすべもなく、大人の顔色を読みながらパシリみたいなことをしたり、ゴミをあさったり、ノラ犬みたいにただ生きてきた。
リンが生きのびてこられたのは、するどい勘のおかげだ。力のある人物を一瞬で見抜く目。そして、強い者には徹底的にへつらう。その人の力と威光を盾に危険を回避する。野生の山猫みたいな勘だけを頼りに生きてきた。
その勘がシロウについておくべきと告げている。シロウには力がある。リンのよく知ってるタイプの男。ホヅミやマナブほど思慮深いわけではないが、危険な場面で頼れる男だ。
それに、マナブたちの話では、シロウは捜査官の可能性があるという。さっきは異端者かと思い無視してしまった。しかし、ここはしばらく、ようす見で機嫌をとっておこう——と考えた。
たずねていくと、シロウは部屋にいた。大勢の前で恥をかかされ、まだ怒っている。
「なんだよ。今さら、おれに用か?」
すごみをきかせてくるので、リンは土下座した。
「ごめん。おれが悪かったよ。アニキ。おれ、頭悪いからさ。みんなの言ってる意味、よくわかんなくて。でも、安心していいよ。マナブもホヅミも本気でアニキを疑ってなんかないぜ。アニキのこと、捜査官じゃないかって」
さっきのマナブたちの会話をあらいざらい打ちあける。聞き終わると、シロウはニヤリと笑った。
「やつらはヒロキに入れるって? じゃあ、おれとおまえで、セイをあげればいい。どっちかが誤認逮捕だったとしても、確実に一人は異端者が消える」
「えッ? アニキ、捜査官でしょ?」
「いや、市民だ。でも、これで、おれが市民だと証明できるな。今から、セイを通報しちまおう。カードを見せびらかすのは禁止だが、通報現場を目撃されるのはかまわないんだろ?」
「ナイスです! アニキ、頭いい」
シロウが捜査官でなかったのは残念だ。でも、市民だと証明されれば、それはそれで心強い。最後までついていれば、異端者に乱暴される心配はなくなる。
じゃあ、さっそく、ホヅミとマナブにもそう言わなくちゃ——と、リンが考えたやさきだ。シロウが変なことを言いだした。
「リン。おれが市民だって、まだ黙ってろよ。明日になって、ヒロキかセイが逮捕されるまではな」
「え? なんで?」
「やつらの勘違いを利用するんだよ。おれが捜査官だと思わせといたほうがいい」
「ふうん……」
なんだかわからないが、きっとシロウには考えがあるんだろう。リンは従うだけだ。それがリンの生きかただから。
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