残酷な一夜4

 *



 部屋に帰ると、ヨウコはベッドのひきだしに入った救急箱をとりだした。左手の感覚がない。血が流れすぎて頭がクラクラする。包帯を出して、右手だけでなんとか、左の手首を縛る。

 しかし、これでは傷は回復しないだろう。今すぐ縫って輸血をしないといけないと、素人のヨウコでもわかった。ことによると、このまま二度と左手が使えなくなる……。


 それでもよかったのだ。

 沈黙のマリオネットに一矢むくいれるなら。殺すと宣言した。こうして自分を囮にしておけば、きっとマリオネットはやってくる。


 沈黙のマリオネットが最初に現れたのは、たしか五年前だった。ウワサになる前にも殺人を犯していた可能性はあるが、世間に知られているのは、そのときからだ。

 亜種二世は基本的に破壊衝動が亜種一世より低い。しかし、沈黙のマリオネットだけは他のすべてを凌駕していた。幼児や老人にも容赦がない。一晩に一家七人を殺したこともある。そのときは遺体をならべ、全員の腸と腸をむすんで輪にしてあったとか。家族の作るグロテスクな円だ。まるで、それが平和の象徴であるかのように。

 あるいは、冷蔵庫のなかに、恋人どうしの生首がむきあって置かれていたり。羽毛布団の羽で死体のまわりに翼を描いてみたり。母の腹が引き裂かれ、そこに赤ん坊の遺体が埋められていたり。三人兄妹と両親が全身を包帯でグルグル巻きにされた上、ロープで首をしめられ、一列に梁からつりさげられたり。いずれにも、口を縫いあわせた印を残し。

 そのあまりの凶暴性に、もしや研究所から逃亡した亜種一世がまだ生き残っているんじゃないかとすら言われた。真実がどうだったのかはわからない。

 残酷すぎて、逆に一部の狂信的な連中からは神のようにあがめられてさえいた。目撃者によれば、その姿はとても美しかったらしい。男とも女ともウワサされ、なんなら両性具有だとか、背中に悪魔の羽があったとか。もちろん、それはデマにすぎないだろうが、ただの人殺しを超越したカリスマ性をアイツは持っていた。


 だが、ヨウコにとっては最低最悪の人殺し。今も生きているのなら、必ず息の根をとめてやる。そう思うことだけが、この二年間の心の支えだった。


 世界で一番大切だった人。ヨウコの両親は早くに離婚し、母は再婚するときにヨウコを実母にあずけた。それっきり、一度も会っていない。祖母はヨウコが高校を卒業するのを待つようにして亡くなった。そのあと、ファミリーレストランで働きながら、わずかの額をちょっとずつ貯金するのだけが楽しみだった。趣味もなく、一人で生きることに孤独すら感じなかった。


 だから、アヤカとそんな仲になるとは、最初はまったく思ってもみなかった。そう。ヨウコの恋人は女性。アヤカは同性しか愛せない女だった。ヨウコは自分がそうだとは思っていなかったが、孤独のすきまに、アヤカはすんなり入りこんできた。まるで、水みたいに、すっとしみた。

 もしかしたら、ヨウコは自分が思っている以上に孤独だったのかもしれない。


 人生でゆいいつ幸福なときだった。その期間はあまりにも短かったが。

 アヤカが殺されたのは仕事帰りだったと、さっきは言ったものの、ほんとは大学生だった。じつのところ合コンの帰りだった。それどころか、キャンパスには冴えないヨウコとはまったく違う可愛い彼女がいたとも聞いた。

 そういう事実を認めたくなかったから、よけいに沈黙のマリオネットを憎悪したのかもしれない。アイツに殺されさえしなければ、アヤカの裏切りに気づかなくてすんだのだから。いつの日かアヤカが去っていたとしても、ヨウコはこんなにも傷つかなかった。


 だから、復讐のことだけを考えて、自分をだましてきた。そして、ようやく、ここまで来た。収容所ここに来れば、沈黙のマリオネットに会える。キレイな顔を切り刻まれたアヤカのあの無惨な死体。あれと同じを、マリオネットにもしてやると決心していた。


 だが、それにしても、なぜ、マリオネットは異端審問会にかけられたあとも人を殺せるのだろうか?

 さっきのヒロキを見てもわかるが、首輪をつけられて矯正されたあとは、破壊衝動なんて完全に消え失せるはずなのに。

 それとも、ナノマシンの限界を持ってしても、マリオネットほどの破壊衝動は抑えきれないのか?


 それはまあ、どうでもいい。ヨウコが狩られたとき、たぶん、経歴は調べられただろう。二年前に恋人をマリオネットに殺された事実を神島所長は知っている。となれば、ゲームをおもしろくするために、ヨウコとマリオネットをバッティングさせようと考えたはずだ。きっと、アイツはいる。それはもう確信と言っていい。


 誰がそいつだろうかと、ヨウコは考えた。異端者に外国の血は入っていないから、レイヤとリンは違う。ヒロキも違うだろう。あれではもう誰かを殺すことなんてできない。シロウの年齢なら異端者である可能性はきわめて低い。

 ちょっと怪しいと思うのはショウだ。中性的な美青年だし、さっきのヒロキを見ていたときの目は、強い破壊衝動を抑えているかのようだった。


 とにかく、今夜はもう眠ろう。左手が熱を持ってきた。救急箱には抗生物質も入っていたから、それを水道の水で飲みほした。

 だが、ベッドによこになった直後だ。インターフォンが鳴った。外に誰かが来ている。ヨウコは緊張した。マリオネットかもしれない。さっそくヨウコを殺しに来たのだろうか?

 ヨウコは慎重にインターフォンの前に立った。画面にはとても意外な人物が映っている。それを見て、ヨウコは安心した。年齢から言って、その人物はマリオネットではない。

「何か用?」

 インターフォンをつなぐと、こんな答えが返ってきた。

「さっきの話だけど、マリオネットの……」

「何か知ってるの?」


 モニタのなかでその人はうなずいた。

「じつは、家族をマリオネットに殺されて……そのとき目撃したから」

 ヨウコは驚愕してドアロックを外す。目撃した。ならば、マリオネットの顔を知っている?

「見たの? 誰だった?」

 喜んでドアをあけたとき、ヨウコはふたたび愕然とした。胸にかたいものがすべりこんできた。肺のつぶれるような感触があって、息ができなくなる。

「なん……で?」

 その人のいびつな笑みを見ながら、ヨウコの意識は遠のいた。

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