あるトリック4
ヒロキがルールブックを読みおえたときには、十四時をすぎていた。昼食は十四時までなので、もうとれない。が、食堂にはセルフサービスのドリンクコーナーがある。
さっきのトランプのメンバーと会うのは怖い。でも、できれば、レイヤと話してみたい。レイヤとセイ、ヨウコはトランプにも来てなかった。ずっと室内にこもっているんだろうか。いったい、何をしているのだろう?
ロビーに出る。
第三区画の個室は、ショウ、リン、レイヤ、セイの順番。つきあたりの二室の手前が食堂の出入り口だ。ドアはない。食堂の反対側にも出入り口があり、第二区画につながっている。
レイヤの部屋の前からは、ガラス壁ごしに食堂が見える。食堂にレイヤの姿はない。ということは、室内にいるはずだ。しかし、チャイムを鳴らしても返事がなかった。せっかく、貸してもらったタオルを洗って返しにきたのに。
ため息をつく。
そのとき、背後から声がかけられた。
「何か用?」
ビックリしてふりかえると、レイヤが立っていた。いったい、どこから現れたのだろう? レイヤはロビーにもいなかったはずなのに。
「あ、あの、タオル、洗ってきました。ありがとう」
「そんなの、もういらないって言ったろ」
レイヤは肩をすくめて、部屋のキーをIDカードで解除する。そのまま室内へ入ろうとした。
レイヤの冷たい態度に、ヒロキの胸はズキリと痛む。自分はやはり、レイヤに惹かれている。たぶん、あのとき、ほんの一度、優しくされたから。それほどヒロキにとって、あれは嬉しいことだった。神島の恐怖による支配とは異なる感情がわきあがる。
レイヤにはこのゲームに勝ちあがってもらいたい。彼の立場がどんなものでもいいから。もし、彼がヒロキと敵対する立場であってもかまわないとすら思う。
ヒロキは室内に入ろうとするレイヤの手に、むりやりタオルを押しつけた。
「待ってください。これ、受けとって」
レイヤがうるさそうにヒロキの手をふりはらう。すると、二人の手のあいだから、タオルと同時にカードが一枚落ちた。裏向きのカードをひろって、ヒロキはレイヤに手渡す。
「落ちましたよ」
レイヤはそのカードを見てハッとした。あわてて手の内に隠す。当然だろう。ヒロキにも見えた。そのマークは手錠。捜査官のカードだ。
「大丈夫です。マークは見ませんでした」
白々しい嘘をつくヒロキを、レイヤは見透かすように凝視する。カードをポケットにしまい、ヒロキの耳にささやいてきた。
「このことは誰にも言うな」
ヒロキはうなずいた。とたんに鼻先でドアが閉められる。オートロックのかかる音。
(レイヤ。伝わった? わたしの気持ち)
ヒロキは異端だけれど、レイヤとは争わない。レイヤが秘密だと命じるなら、誰にも言わない。その気持ち、わかってくれただろうか。
ヒロキの手には、けっきょくレイヤのタオルが残った。異端者が一度でもふれたものは、けがらわしいとでもいうのだろうか。
ヒロキは閉ざされたドアを見つめたあと、とぼとぼ歩いて食堂へ行った。食堂にはセイとリンがいた。一人ずつ離れた席にすわっている。リンはヒロキの顔を見ると、反対の廊下へ走っていった。
さっきまでリンがいたカウンターわきのドリンクコーナーへむかう。紙コップにオレンジジュースを入れる。食べ物に関しては、ヒロキは異端収容所でも優遇されていた。不自由したことがない。そのせいか、一食ぐらいぬいても平気と思う。
オレンジジュースをどこで飲もうか迷っていると、セイが声をかけてきた。
セイは二時のオーダーにまにあったらしい。今、この時間に昼食をとっている。食堂が混む時間をさけたのかもしれない。
「おいでよ。いっしょに食べよう」
きれいな顔に優しい笑みを浮かべて、セイは言う。ヒロキは申しわけないような気持ちになった。
「……わたし、あと三時間くらい我慢できます」
「遠慮することないのに。わたしだって、こんなにはムリだもの」
たしかに、食事はけっこうボリュームがある。シロウならペロリとたいらげるだろうが、セイやヒロキの食べきれる量ではない。
「じゃあ、少し」
ハンバーガーとサンドイッチのセットだ。サイドメニューも一式ついている。食べやすいサンドイッチをわけてもらった。食べるあいだ、セイは無言だ。そういえば、セイのしゃべるところをほとんど見たことがない。それは自分の正体を隠すためだろうか? 部屋にこもって、他者との接触を断とうとするのも。
ヒロキが大好きなタマゴサンドに小口でかみついていると、食後のコーヒーを飲みだしたセイが、ヒロキをうかがう。
「さっき、レイヤと話してたね」
ああ。そうか。それで話しかけたんだ。もしかして、カードのマークまで見えただろうか——と、ヒロキは不安になる。
が、セイの問いを聞いて安心した。
「レイヤのカード、ひろってあげてたね? マークは見たの?」
セイにはマークまでは見えなかったようだ。ヒロキは首をふった。セイは何か言いたそうな目で、ヒロキを見る。その目をふせて、セイはささやいた。
「わたしとあなたは似てるね。姉妹みたい」
ドキリとした。セイの言いたい意味はわかる。
——わたしたち、同じ異端者だよね?
そう言ってる。それは最初に会ったときから感じていたシンパシー。
「セイ……さん」
ヒロキがまごついていると、セイは逃げるように立ちあがった。言いすぎたと感じたらしい。
「もういい? よければ片づけるけど」
「ありがとうございました」
「……もし、困ったことがあれば、なんでも相談にのるね」
そう言い残して、セイは去った。無口で物静かで、ちょっと暗い印象。だが、悪い人ではない。
マナブやホヅミも優しかった。どうして、みんなと争わなければならないのか。
ずっと、このままでいられたらいいのに……。
ヒロキの願いは、その夜、もっとも残酷な形で打ちくだかれる。
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