第四話 結晶と無秩序

 無秩序の体現者、凛藤明日葉。その能力の実態に、相対する男の瞳に恐怖が映る。


「馬鹿げた能力だ。物理法則の上書き、にわかに信じ難い」


「もちろん万能な能力じゃない。自分以外や世界を対象に能力を使うには制限があるし、使い方を一度でも誤れば世界さえ滅ぼしかねない。使い勝手は最悪だ」


 敵の警戒心は跳ね上がる。水晶で生み出す武器も、武装も、泥砂を流動させ変形を続けた。アスハという無秩序に対抗する最適な形を模索する。


「能力自体も弱体化してるから、今は俺自身の身体強化やルールの一時上書きが精一杯。それ以上はどうなるか分からない」


「自らスキルの詳細を開示するか」


「警告だよ。あまり俺にスキルを使わせたらどうなるか、っていう」


「小癪な小僧だ。脅迫であればせめて傲岸に突きつけてみろ」


 吠える男は防御も地の利も捨て、全リソースを攻撃に回す。再び寄せ集めた土石を固め、螺旋状に渦巻く紫紺の巨槍を錬成した。


「この世界は我が浄化するのだ。敵は魔族ではない、人間社会という枠組みそのもの。腐り果てたこの構造を破壊する」


「そうか。でもごめん、俺には大義も思想もないし、この世界を大切にしたいんだ。だから止める」


「貴様もきっと世界を救った英雄だったのだろう! ならば――」


「何も」


 破滅的な救世の意志を灯した炎はアスハに届くことはない。


「何も、俺は異世界で為せなかった。勇者でも、魔王でも、勇者でもなんでもない」


 青年は灰だった。燻る情熱も身を焦がす執着もない。異世界の大地で果てた灰。炎の熱はとっくに冷めている。


「あの世界にあった全て台無しにしてしまった。どうしようもないクズ野郎だ」


 国を焼く炎であろうと、燃え尽きた灰燼は燃やせない。だが灰は包み込んでその火を絶やす。

 紫紺の巨槍は辺りに散らばった水晶と等しく、質量に見合わない衝撃波を放って爆ぜた。救世の妄執は無秩序な一撃を前に崩れ去る。



 アメジストは土くれに戻り、景観は元の整備された公園に復元される。地面に転がる一つの肉を残して。


「……かはっ。は、どうやらここまでか」


 地に伏した男は己の敗北を理解して天を仰いだ。


「悪いけど、殺すことしかできなかった。俺は弱いから、これでしかお前を止められない」


「く、はっはっは。構わん。弱肉強食の摂理に乗っ取って、淘汰されたまでよ」


 自らの末路を笑う男の下半身は既に消し飛んでいた。

 能力の制約か、消えた下半身から登るように水晶がせり上がって体を犯しゆく。水晶となった部位はたちまち砕けて粉微塵になった。


「なんでお前は、こんな凶行に及ぼうとした」


「我の暗躍によって、平和を築き上げた世界が、あまりに美しかったからだ……」


 死に体は夢の続きを見ている。彼が最期に思い浮かべた光景は未来への憧憬ではなく、自身が思いを馳せた過去異世界の懐古。


「人々の心は豊かで、魔族に怯えながらも、強く生きようと足掻いていた」


 その声音も語る表情も、これまでにない春のような穏やかさを帯びている。死に際だというのにその姿はまるで、草原で寝そべっているようだ。


「この世界が醜く見えたのさ。人間は増えすぎて、下手に知恵をつけて、戦火も飢餓も知らぬ平民が、あの世界の者達が夢見た平和に不平不満を垂れ流す。それに耐えられなくなった」


「でもそれで民を傷つけたら、またお前が生きた地獄に戻るだけだ。必ず誰かが一人ぼっちで泣くよ」


「分かっていたさ、無意味な破壊だと。だが自国の民の顔が、つい浮かんでしまってな」


「お前が求めたのはこの社会構造とか救世なんかじゃないはずだ」


「ほう。では何だと貴様は考える」


「異世界の、自国の民を愛していた。この世界にはないその幻想を、その思いを守ろうとして、道を間違えたんだ」


「……そうか、そうだな。我は、私は。あの箱庭の民を、活気に満ちた街並みを、眺めているのが、好きだったな――」


 最期に彼が走馬灯で見た景色は、かつての理想郷とそこに住まう国民の姿だったのだろうか。

その幻想は彼だった塵と共に風に溶けて消えた。


「……異世界帰還者、彼らも人間だ。過ちを犯す者、徒に力を使う者、そんな人がいるなんて当たり前だ」


アスハは彼の信条に触れ、同情してしまった。ゆえに彼を問答無用の悪と断罪することはできない。それと同時に自覚した。


「けれど道を違えた帰還者に対抗できるのは、帰還者しかいない。これは役割、俺達はきっと防衛装置なんだ」


 リリが言っていた言葉を反芻する。自分らはなぜか異世界での力を保持したまま、この現代世界に戻ってきたのか。その問いに対する自分だけの解答をアスハは理解した。


「異世界帰宅部に入って、異世界帰還者の暴走を阻止する。それが俺の使命だ」


 堪えながらにも流れた一筋の涙に、その決意は現れていた。


「今度こそ絶対に、世界を救ってみせる」


 燃え果てた灰燼に再び熱が宿る。かつて終わった夢の続きを、その残像を頼りに歩み始めた。

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