第三十四話 狭間の世界
練り上げる。魔力を変換する。仮想の形に落とし込む。灰燼の青年はその工程を繰り返した。
水のように動かし、剣のように触れ、形のない浸礼魔法のエネルギーで周囲を浄化する。その操作の精密さは彼がスキルを用いる時以上のものとなっていた。
「浸礼魔法、この存在を知れて本当に良かった」
――この世界で密かに根付いていた技術、浸礼魔法。つまりこの世界そのものとの親和性が高い存在だ。
「俺が『
普段は知覚を意図的に省略している分子原子、大気を漂う魔力の軌道。それを繊細に認識しながらも魔法越しに触れ、掌握する。その永遠を思わせる途方もない作業の繰り返しが、アスハのスキルを御する力へ繋がっていった。
「……浸礼魔法も成果が出始めてる。あっちの方もボチボチだね」
「おはようアスハ君。早起きじゃないか」
「おはようございます羽山さん。ええ、待ち合わせの時間が早朝でしたから」
「確かにそうだな。では早速だが着いてきなさい」
連れられるまま、アスハは丘の向こうまで広がる自然公園のハイキングコースを歩いた。
「ここは?」
「ただの散歩道。同時にこの街の地脈に最も近い場所だ」
「地脈……」
「世界の根源に繋がっている魔力の吹き出し口、ってところだ」
指導か、それとも羽山の性質か、目的は到着するまでアスハには伝えられない。弟子は師の教えのまま、坂道をのぼる。
しばらく歩いて道も平坦になったころ、神父はその足を止める。
「心してくれ。これより先は、この世界の裏側」
十字架を手首にかけ、神父は虚空を握る。鍵を挿すように浸礼魔法は世界に直接接続される。
「いざ、その扉を開きたまえ」
その号令に応じて門戸は開かれた。
※ ※ ※
――――――――眠りから覚めた瞬間のように、まばたきをした一瞬で風景が一変していた。
「な、いつの間に。ここは?」
冷え固まった溶岩のような地面、周囲を流れる浸礼魔法の青白い光の筋。星のない夜空に真っ白な月に似た『何か』が昇っていた。
同時に空間の至るところから、浸礼魔法でも相殺しきれないほどの瘴気が滞ってる。
「世界の外殻と現世の狭間。異世界ともまたことなる亜空間、裏の世界。まあ、要するにダンジョンだ」
「ダンジョンなんて広さじゃないですよ、こんなの」
アスハが驚く通り、通常のダンジョンとは広大さが違い過ぎていた。彼のスキルでさえ世界の果てを観測できない規模だ。
ダンジョンと定義された空間にアスハが呆気に取られている間にも、瘴気は形を成して滲み寄る。あっという間に二人は魔物に取り込まれていた。
もはや魔獣というには逸脱した奇形の衆。腐乱死体のように液状化した個体や植物と融合した見目の個体、武器から肉が生えたような醜い怪異まで発生していた。
「ここは瘴気溜まり。異形の魔物が絶え間なく発生する魔境だ。早速殲滅に取り掛かるぞ」
「はい。ご指導お願いします」
アスハは十字の双剣を握り締め、飛び込んだ。腰を落とし、豹のように走り出す。
その飛躍的に上昇した身体機能はスキルではない。浸礼魔法による恩恵だ。
刃を突き立てる寸前、彼の全身に浄魔の力が満ちる。
「浸礼魔法循環、詠唱簡略化――打ち払われよ」
この短期間、樹木を相手に繰り返し振られてきた十字剣が、造作なく敵の肉を断ち切る。
爪も牙もアスハには届かない。斬り払われて舞う肉片が、白月に照らされる。
鍛錬によって得た技術は彼を裏切らない。
敵の密集地にまで食らいついたところで、アスハは制限されていた能力を一時解除する。
「『
大気に散らばった魔力の残滓を核と定め、浸礼魔法を辺りに放出する。エネルギーが拡散されるその過程で、浸礼魔法は霧になって魔物を吞み込んだ。途端に獣共は蒸発する。
浸礼魔法で一網打尽とされた魔物は全て、霞となって風に溶ける。
「スキルと浸礼魔法の組み合わせ、上手いじゃないか。荒いが、実践で使えるレベルに仕上げてきたね。良い筋だ」
「魔法との併用発動ってこんなに疲れるんですね。羽山さんやリリィが信じられない」
「地獄の鍛錬の末、身に着ける技術だ。この短期間で扱えているだけ上等だ」
十字架の粛清兵装を変形させ、羽山は口角を上げる。安全装置の解除、レバーを引き、火薬代わりの浸礼魔法を装填。
四本の脚部を地に固定したところで、アルパージは花火の煙火筒を模した形へ変態する。
「兵装展開。アルパージ、『撃滅形態』解放」
粛清兵装の銃口は天を仰ぐ。白月を見上げるその筒は極小の太陽を孕む。
「
光無き世界の裏に、焔は降臨した。
実に半径二キロメートル圏内。水蒸気爆発に匹敵する浸礼魔法が爆ぜ、師弟を除く一切合切を燃やし去った。
決して人間を殺すことはない浄化の魔法。にも関わらずその威力はアスハに脅威と誤認させ、咄嗟の防御を取らせるほどの影響力を持っていた。
「柔な魔物相手であれば、こんな半端な攻撃で事足りるさ」
「……やはりあなたも規格外が過ぎますね」
眼鏡越しにその目は得意げに笑う。
だが戦場に暇はなし。丘のようにうねった地形の向こうから後続の魔物が接近しつつあった。
「あくまで第一陣を崩しただけだ。まだ油断はできないよ」
「背中、任せて下さい!」
十字剣は深く握られ、兵装は大剣と化す。
並んだ二人の兵士は残像を生みながら、第二陣の鼻先まで瞬きにして迫った。
「一分だ」
「五十秒で」
その一言を最後に、両者は無呼吸状態のまま高速で魔を屠った。斬って、叩いて、削った。
両者のギアがさらに一段階上がる。浸礼魔法で満たされた両者の肉体は常人の倍速、否、三倍速以上で敵を打ちのめす。
剣の一振り、弾丸の一発、その全てに無駄はない。確実に、正確に、迅速に、魔物の存在を削除していく。
一体の魔物が消滅し切る間に、三体以上の魔物が致命傷を受けている。彼らの攻勢に一切の淀みなし。
「合わせるぞアスハ君ッ」
背中を合わせた師弟は息を揃えて片膝をつき、右手で地面を迎える。
「「
浸礼魔法は共鳴する。地面が鼓動するように、空気中を波動となって浸礼魔法が伝わりゆく。ぶつかり合った二つの魔法は衝撃に変わって魔を弾き殺す。
そして生まれた安全地からは即座に離れ、二人は掘削するかの如く魔物の群れを剣で斬り進む。
「戦闘中ですが、並行思考訓練のために雑談させて下さい」
「ハッハ、生真面目で良いことだ。構わんよ」
攻勢を緩めぬまま、灰燼は渇望していたその答えを問う。
「羽山さんが、異世界で何を成したのか。それを今、改めてお伺いします」
微笑みのまま。神父は言い淀むことなく告白する。
「私は異世界で、強引に救世という正解を作った――――その世界を統べていた神々を、皆殺しにしたことでね」
予想を飛び越えた羽山の偉業にアスハただ圧倒された。
「神を、殺した……」
「驚いただろう。神殺しさ、文字通りね。人と同じ姿をした、神話のような神々だ」
「なにがあったんですか。その世界で、一体どうすればそんなことが」
「私達は神々を畏怖する従属国と戦争し、それに乗じた悪魔を殺戮し、天空の神々を滅ぼした。結果、私はかの世界大戦にも劣らない大被害を生み出した」
まさに
「あれが正解ではなかったのかもしれない。最適解や模範解答なんて程遠い。だが皆で考え、立ち上がり、抗った。辿り着いたあの答えは私達にとって、間違いではなかった」
その結果と過程を羽山は断言する。
「完璧などない。人間が作り上げたものは、おしなべてそうなのだ。だからこそ、私達は人間なんだ」
きっと彼の体は血塗れなのだろう。銃を構えるその手はおそらく真っ黒に汚れているのだろう。
だがそれでも、羽山は微塵の後悔もその表情に宿さない。あるがまま、己の運命を受け入れていた。
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