第三十三話 試練

 神父は巨大化する機械的な十字剣を携えて、暴走した帰還者の前へ出る。


「ここで見ていなさい、アスハ君。これが本来の退魔師の戦いだ」


 首から外した十字架は羽山の体躯以上の大剣へ変形した。ガチャガチャと音を立て形を形成したその武器は突如、見た目通りの膨大な質量を帯びる。


 剣を肩に背負い、羽山は好戦的な笑みを浮かべた。


「十字架が、変形した?」


「――第十三式粛清兵装『アルパージ』。魔力によって最適な武器へ変形し、浸礼魔法の効力を増大させる。失われた技術を用いた、退魔師の持ちうる最大兵器さ」


 大剣を後ろに構え、腰を落として神父は直線状の対象を臨む。


「いまお見せしよう。これは世界からも忘れられた秘術、浸礼魔法の真髄を」


 次の瞬間、背負った剣の柄から光弾が射出される。おそらく口径は二十ミリ超え。

 三発、発砲された弾丸は瘴気の中へ着弾する。


 だが浅い。浸礼魔法の影響は核となる帰還者まで届いていない。


 すかさずカウンターが放たれる。男の振るった手から瘴気が飛散し、砂の刃のように羽山へ向かう。


「鬱陶しいねぇ」


 盾の如き刀身は瘴気を難なく受け止めた。いや、斬り伏せた。大剣を鞭でも振るうように軽々と扱い、粒子状の瘴気を消し去ったのだ。

 魔力が浄化され、剣を振った際の風だけがその場に残っていた。


 アルパージの形状はまたもや変形する。機械音をかき鳴らす武器を肩に、神父はその大穴を悪魔憑きに向ける。

 変形に次ぐ変形の末、アルパージは大砲級の大型バズーカ砲となった。


「ここらで仕舞いにしようじゃないか」


 柄にはめられた十字架が九十度起き上がる。十字架の中央は照準となり、羽山はレンズ越しにターゲットを定める。導火線に代わる詠唱が告げられた。


「苦しむ子よ、その身に寵愛あれ」


 周囲の魔力が収束し、一つの光球に変わる。それは閃光と火花を散らし、ビームとなって悪魔憑きに放たれる。

 放出された浸礼魔法のエネルギーに触れ、叫びを上げながらも男の表情から苦痛が消えていく。


「ァァァァァァァ――か、ハッ……」


「よく耐えた。このままお眠りよ」


 悪魔憑き状態から解放された男の下へ、一呼吸も置かない間で羽山は駆け寄った。


 魔力と身体を消耗した帰還者へ、回復の浸礼魔法が施される。


「ぁ、りが……」


 男は安心した表情のまま、羽山の腕の中で気を失う。

 粛清兵装は武装解除され、十字架として羽山の首元に戻っていた。


「浄化は完了した。が、傷の手当に彼の体力を消費させてしまったな。一度帰って教会で休ませよう……アスハ君?」


 一部始終を目撃していたアスハは戦慄していた。それは羽山の技術にではない。


 悪魔憑き。瘴気に犯された男の様子が変貌したことに恐れを抱いていたのだから。

 なぜならその狂気、悪意、破滅的な行動へ転じた様が、かつて敵対した異世界帰還者達と似ていたからだ。


「この人、明らかに人が変わってました。悪魔憑き……本当に別人格が乗り移ったみたいに」


「まるっきりの別人になるわけではない。瘴気はあくまで、人の悪意を引き出す養分みたいなものさ」


 それはアスハにとってあまりに恐ろしい推測だった。


「もしかして、俺が今まで手をかけてきた彼らも、同じだったかもしれない。瘴気に犯されただけで、本来は善良な……」


 思い出す。結晶の術師の最期を、処理するように惨たらしく殺した三人の帰還者を。

 もしも彼らが、瘴気によって精神を狂わされただけの哀れな被害者だったら、と。


「異世界で戦って来た英雄を、助けるべきだった人を、俺は、また……」


 恐怖心が滲み寄る。罪の意識を含ませて。


 ――命を奪う覚悟などとうに決まっていたはずだ。

 そうアスハは考えていた。


 だがそれは誤りだ。『限りなき無秩序アンリミテッド』による感情喪失と、大義名分によって殺人の恐怖を誤魔化していたに過ぎない。


 そうしなければ彼は今この瞬間のように、心が自壊してしまうから――


「安らぎを与えん」


 羽山の手が、震える彼の胸に当てられる。服越しに流れる浸礼魔法はアスハの身体に鎮静を働きかけ、次第に息苦しさが和らいでいった。


「アスハ君、深呼吸だ。なにも考えず、吸い込む空気だけを感じなさい」


 言われるがまま、肺を膨らませた。蒸し暑い夏の夜の熱気さえ、アスハの胸には山頂の空気のように澄んで感じた。


「君の体験してきたことの全てを私は知らない。その思いや後悔を私は否定することも、肯定することもしない。だから一つ、余計な説法を説こう」


「ぇ?」


「罰も贖罪も、機は来るべきに訪れる。自罰的に生き、後悔に苛まれ続けることだけが償いではない。前を向いて進むこともまた、贖いだ」


 聖職者の目は、アスハの闇を見抜いていた。


「さっきも言った通り、瘴気はあくまで心の悪意を引き出すもの。瘴気に関わらず悪道に堕ちた者や、人間の尺度では救えない災いに変わり果てる者もいる。今回のケースが全てではない」


 神父の言葉にアスハの意識が現実に戻る。


「はぁ、はぁ、すいません羽山さん……取り乱しました……」


「――アスハ君。おそらく君は人を、その手で殺めたことがあるね。それも一度の経験ではない」


「ええ、お察しの通りです……」


「私は裁定人ではない。きみの罪は咎めることもしない、権利もない。それに人殺しという意味では、私も君と同類さ」


「っ、羽山さんも、人を殺したことが……?」


 神父の答えに淀みはない。


「そうさ。私はこれまで、数えたくもないほど人間を殺してきただ」



 ※



 教会へ戻り、瘴気で苦しんだ帰還者の介抱を終えた頃。聖堂にてアスハは告白した。


 自分が生きた異世界で何をしたのか、何を成せなかったのか。

 息絶える寸前に見た、あの平らに均された地平線までの話を。


「短絡的にまとめれば、そんなところです」


「驚いたな。相当な経験だとは感じていたが、世界の全てをその手で……そうか」


 神父に嫌悪の表情はない。ただ純然に、その悲劇の大きさに驚嘆していた。


「軽蔑したでしょう」


「そんなことはない。むしろ私に比べたら誤差も良い所だ」


「それは少し大げさで――」


「異世界でも、この世界でも、私は自分の意志と選択で人間を葬ってきた。神父の真似事ごときで清算されないほど、この手は血で染まっているのさ」


「っ……」


「だが、私はこの汚れた手を悔いてはいない。血みどろの指先であろうと、確かに掬い取れたものもあったからね」


 羽山の声音に震えはなかった。だが笑い飛ばすでもなく、落ち着き払った様子で淡々と事実を語るだけ。

 その姿を目にした覚悟を決め、アスハは神父へ二度目の頼みを言う。


「羽山さん、俺があなたに教えを求めたのはこの二つが理由です。一つ目は、自分のスキル以外で戦う手段が欲しかったから」


「うむ」


「そしてもう一つ、あなたの異世界での人生を知りたかった。そこで掴み取った栄光、名声を。その全てを異世界帰還によって失った時の、感情を」


「……ほう」


「俺は異世界で何も為せなかった。だから何も分からない、知らないんだ。知らないからこそ、理解する必要がある!」


 灰燼の心は、その胸に宿したことのない輝きを求める。今、孤独に泣く友のために。


「英雄が抱えた葛藤を、その苦しみを。彼が、ツムギが抱えていた苦しみを理解することで、彼とまたこの世界を歩けるように……」


 アスハの懇願を受けた羽山はレンズ越しに目を見開いて、たった今目の当たりにした彼の想いに思わず言葉を漏らす。


「――――その過去を背負ってなお、人のために進もうとする優しさがあるのか」


「? すいません羽山さん。今の言葉、聞き取れなくて。何て言いましたか?」


「いいや、気にしないでくれ。ただの独り言さ」


 神父もどきは微笑みながらその間を誤魔化す。


「君の友に対する思い、しかと受け取った。アスハ君の助けになることであれば、最善を尽くそう」


「羽山さん……この恩、いつか必ず!」


 静かな声で意気込むアスハへ、羽山は再び微笑みを向ける。


「このまま話してあげたいところだが……次の機会にでも話そう。今日はもう夜が深い。眠っている彼もいることだからね」


 神父はすっかり寝息を立てている男の姿に横目をやる。

 少し残念そうな顔を浮かべるアスハへ、近い内に話そうと羽山は微笑んだまま答える。


「――アスハ君。君に試練を与える」


 迷いに苦しむ弟子へ、神父は新たな導きを指し示す。


「五日後、鯨竜げいりゅう座流星群の降る夜。この土地に眠らせた大魔獣の封印を解く。解き放たれたその獣を討伐せよ」


「……!」


「これはこの街を、ひいては世界を救うための試練だ」

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