第三十二話 使徒

 深夜零時を告げる鐘の音。それを耳にした者は教会の中で衣服を変える二人組だけだった。

 羽山と同じく、青年は黒の祭服に袖を通す。


「俺の我儘を聞いてくれてありがとうございます、羽山さん」


「私は構わないが、良いのかい? 友達が心配なんだろう」


「はい。でも今の俺がまた会ったところで、何もできることはない。だからその答えを得られるまで、あなたのもとで教わりたい」


 友への思い、不安を押し込めるように襟元を締める。形だけの信徒であろうと、アスハの心を鎮めるにはちょうど良い恰好であった。


「そうか。ともあれ、今日は実戦形式。今までの癖を治すことを意識づけて討伐に臨んでくれ」


 布で入念に磨かれた十字架は月明りで光沢を見せる。同じくして光を反射する眼鏡の奥で、羽山は凛とした瞳を向けた。


「君のスキル、『限りなき無秩序アンリミテッド』の詳細は把握した。強大過ぎるあまり、制御を誤れば甚大な被害を生む。よって今夜の訓練では戦闘において――スキルの使用を禁ずる」


 十字剣の柄を握り締め、頷きと共にアスハは唾を飲み下す。


「今夜はのみで魔物を排しなさい。神父もどきらしく、全霊を尽くして厳しく指南しようじゃないか」


 教会の重い扉は開かれる。十字架を携えた二人の僧兵が伏魔の夜に凱旋した。



 ※



 民家の屋根、人気のない路地裏、塀の上を風以上の速さで神父は駆け抜けた。一目を躱し、足音も殺し、縦横無尽に走り続けた。


 気配の捉えづらい彼の姿を魔力で必死に追跡しながら、アスハは屋上伝いに後を疾駆する。


「羽山さん、流石にスキルないと追いつけません」


「ここは単なる練度の差だ、仕方ない。だが君も、スキル頼りにならずで追いつこうとする心意気は素晴らしい」


 速い。繰り出す一挙手一投足、脚を踏み出す速さは人類最高速度の倍以上だ。

 だがその速度に不正はない。あくまで人体から生まれる爆発力であった。


限りなき無秩序アンリミテッド』の効果を得られなければ、数秒とせずアスハは彼に置いていかれてただろう。


「ところで、もう一つのの練習はどうだい?」


「まだ感覚が掴めてません。出来ても、すぐに壊れてしまいます」


「君の能力の塩梅と同じ、これは感覚の世界だ。掴むまでは時間がかかるが、焦りは禁物だよ……と、早速魔物の気配だ。まずはキミから動いてみなさい」


「承知しました」


 その返事を言ったとほぼ同時、四肢の長い四足型魔獣がどこからともなく飛び掛かってきた。

 気配を事前に悟っていた羽山はひらりと身をよじって躱す。アスハはすぐさま右手の十字剣を構えたが。


「ここで、去りたま――は間に合わない!」


 腕は上がらず、魔力の流れも遅く、魔獣の攻撃が一段階以上も先だった。

 モーションの全てが後手に回ってしまい、アスハは仕方なしに不可視の壁を作り出して魔物の強襲を防御した。


「タイミングを見誤って対応が遅れたな。反応も鈍い。この攻撃程度なら見てからでも回避できたはずだ」


「善処しますッ」


「もう一度。呼吸を整えて、全身の魔力を支配しなさい」


 防御壁の強度を徐々に落としながら、アスハの体内で別のプロセスが開始する。


「――浸礼魔法よ、俺に力を下さい」


 血液のように巡る魔力が調律される。滾る力は身体に癒しと安定を与え、大気中の濁った魔力を中和していく。



 ――『浸礼魔法』。退魔師によって継承され続けた、この世界に唯一の魔法。魔物の浄化、消滅、人間への治療や救済に特化した技術だ。


 退魔師の後継不足と魔獣の凶暴化に伴い、現代においてこの技術を実践活用できる人物は――羽山詩連、ただ一人となっている。


「食らえッ……!」


 魔獣の前足をかいくぐり、握った十字剣を突き立てる。剣先は確実に獣の喉をついたが、傷が浅い。


 浸礼魔法によって攻撃の強化はあるものの、日頃の火力に比べれば雲泥の差だ。


「いつもなら能力の火力で屠っているから、これはきつい。弱連打だけで応戦しているみたいだ」


 アスハに格闘の術は備わっていない。だがこれまでの激しい闘争で培って来た動体視力と、スキルの副産物である思考の回転力だけは裏切らない。


 何度も攻撃を回避し、斬り付ける中で対象の弱点を発見する。


「ここかッ!」


 伸びきった獣の首元へ全力で刃を刺し込んだ。回り込み馬乗りになりながら、アスハの魔力を注ぎ込んで浄化する。


 断末魔を上げる獣はその短い詠唱をもって消失する。


「眠れ」


 浄化の力で内部から爆散し、魔獣は月下にて討たれる。


「身のこなしのイメージは良いが、肉体が追いついていない。組手と並行して基礎訓練を怠らないように」


「はい、ご指摘感謝します!」


 人生で初めてスキルを用いず魔物を討った勝利。その余韻に浸る暇もなく、付近の魔力を察知した。


「この魔力、残りがいたみたいだ。早く排除を」


「いや、ストップだアスハ君! 人がいるぞ」


 先の魔物の気配で隠されていたのか、禍々しく渦巻く魔力の中心で絶叫する男がいた。


「アアア、どうして、ぐゥゥゥ!」


 目を血走らせ泡を吹きながら、その人間は抵抗していた。


「民間人、ではない。魔力の反応があるな」


「羽山さん、あの人はおそらく異世界帰還者です。力が弱まっていますが、たしかにスキルを使っている気配があります」


 アスハの言う通り、男は異世界帰還者であった。そして彼はまだ帰還から日が浅いためか、力を制御できずにいた。


「なん、で。俺は、『テイマー』だ……こんな魔獣の調教、わけなかったのに、がハッ、あああアアああぁぁァァァaaaaaaaaaa!」


 魔獣になりかけていた魔力がテイマーを名乗る彼の中へ吸い込まれる。汚濁の力は凝固し、男の体と結合を始める。


「何が起きて……あの人の魔力も、濁っていく」


「いけない。瘴気が体内に注入されてしまっているな」


「瘴気? そういえば無島さんもその言葉を」


「瘴気とは魔力が変質したもの。魔獣の肉を構成し、人にとっては毒となる。あれを受けた人間の精神は汚染される。我々の業界では『悪魔憑き』、なんて形容される状態だよ」


 瘴気を吸収してしまった男から悪意が、凶暴性が溢れ出す。矛先も定まっていない負の感情が、次第に彼の心と結びつきだしていた。


「くそ、が……蹂躙、してやるよ。いっそのこと、すべてを……」


 事態の緊急性にアスハが飛び出そうとするも、片手を出して羽山が静止させる。


「ここで見ていなさい、アスハ君。これが本来の退魔師の戦いだ」


 瘴気に狂った若者を前に、神父は靴を鳴らして歩みを進める。握り締めた小さな十字架を、巨大な大剣に変形させて。

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