第十三話 転生者と家族
襲撃事件から二週間が経過しようとしていた。世間もその話題を出すことはなくなっていた。その一件に未だ囚われていたのは、あの日の兇徒を殺し損ねた処刑人のみ。
「ここも外れ、か」
大型の非飛行系竜種、その残骸の上でアスハは腰かける。背中の座りが良い部位のみを残し、他は全てドロドロに溶解していた。
魔力の痕跡を追ったとしてもそこには魔物がいるだけ。憎悪と共に刻まれた男達の姿は一向に現れない。
消えゆく魔獣の腹に刻まれた古傷を眺め、灰燼は袂を分かった友を思う。
「手負いの魔獣はツムギ達、じゃないか。入院してるだろうし。それならきっと無島さん辺りかな……怪我の具合は平気だろうか」
昼夜問わず彼は剣聖と奇術師の足跡を追っている。刹那的に、妄執的に、有効範囲を拡張した『
だがこの日も芳しい成果のないまま、夕刻が訪れた。
「もう七時か、早いね。そろそろ帰らないと」
落陽に目を細めるまま、アスハは踵を返す。
※
処刑人。それが自身に許された役目であると己を定義し、アスハは自罰的な捜索を行っていた。しかしそれでも一つ、欠かさないことがあった。
戦闘でついた埃を払い、その殺気をこのひとときのために静める。頬の緊張を緩め、アスハは玄関のドアノブを回す。
「ただいま母さん」
「おかえり、明日葉」
帰宅後最初に拝んだものは、エプロン姿で台所に立つ彼の母が微笑む姿だった。
街にどれだけ自身のデコイを配置しても、アスハは家にだけは偽物を入れない。母の前ではありのままでいたい、という等身大の願いのために。
食卓には湯気がまだ立ち上っている夕食が並んでいる。唐揚げ、里芋の煮物、ポテトサラダに、なめこの味噌汁。どれもアスハの好物だ。
「どこ行ってたの?」
「少し公園まで。せっかく学校が休みだから、軽い運動でもと思って」
「珍しいじゃない。最近は勉強も頑張ってるみたいだし、何か心境の変化でもあったの?」
「別に大したことじゃないよ。普通にやってるだけ」
異世界を生きたアスハにとって、勉強は平和な日常の象徴でもあった。現代に帰還してから毎日欠かさず、アスハは学業に励んでいた。
だがそれもあの日まで。学校は原因究明のため分散登校で再開していたが、アスハは偽の自分と『認識阻害』のルールを定義することで自身の行方を誤魔化していた。
そんな日を数日繰り返し、空虚な夏休みが訪れたのだ。
「それにしても学校でガス漏れだなんて、ビックリね。母さん聞いた時はどうしようかと思ったわ」
「……ごめん、心配したよね」
「明日葉が謝ることじゃないでしょ」
親子の会話は温かで穏やかなものだった。
「そうだごめんね、また夜勤になっちゃったの。今からまた行って来るね」
「分かった、いってらっしゃい。気を付けて」
食べ終わった皿は洗っておくと告げて、息子は母を送り出す。窓から母親が歩いていく姿を見つめながら、アスハの面に修羅が戻った。
「優しい母ちゃんじゃねぇか。大事にしてやれよ」
唐突に現れた声は部屋の中を支配する。鉄の匂いを纏う黒い背広がアスハの背後にあった。
「よっ、思いの外元気にはしてるみたいじゃねぇか」
「無島さんッ、なんでここが」
「おっと逃げんじゃねぇよ。話ぐらいしてったって良いだろ」
「人のプライベート覗いたにしては、随分と軽いですね」
不本意ながらもアスハは抵抗を止めた。
蒸し暑くなった部屋を出て、拮抗状態で二人はベランダに並ぶ。互いに互いの動きに目を光らせながらも、眠りにつこうとする街の夜景を眺めやっていた。
「意外だったな。お前が母ちゃんと仲がいいタイプだったとは」
「家族は大切に決まってるでしょう。別に前からも不仲だったわけでもないですし」
「全くその通りだな。そのなんだ、異世界転生するやつなんて現世に未練のねぇ連中ばかりだと思ってたからよ。ましてやそいつの家族のことなんて考えたこともなかった」
「夢や築き上げた物がある人達からしたら、異世界転生は地獄でしょうね。現実で積み上げてきたものが突然に無に還されるのだから、転生早々に絶望で廃人になってもおかしくはない」
「言い得て妙だな」
漫画の読み過ぎですよという呆れた物言いに、無島は抑えたように小さい笑い声を漏らす。
「でもたしかに、無島さんの言う通りかもしれません。俺はとんだ親不孝者です」
「へえ? どうしてそう思う」
「俺も昔は変わりない日常に退屈してた口ですから。学校外でも親しい友人や恋人もいない、これといった趣味も夢もない。それは無気力な人間でした」
「どこにでもいる、普通の人間そのものだな」
「そんなつまらない人間がスキルをもらって、異世界に転生したんだ。現世のことなんか忘れるぐらい、それは最初は胸躍らせましたよ」
「んなこと言ってる割に、表情が暗いな。今にも泣きそうな顔してるぜ」
「……」
「異世界でお前は、お前には何があったんだ?」
「……俺には話す資格も勇気もありません。答えられることは、何も」
「そうか。無理に聞いてすまなかったな」
黒いスーツの胸元からチラつくワイルドセブンの箱。そこから取り出した一本を無島は口に咥える。弾いた指先からの火花で煙草に火が灯る。
吐き出された煙が街中へ溶けていく様を見つめたまま、アスハは微笑みを交えた声で無島に告げる。声音は細く、寂しく、物悲しさを含んでいた。
「俺は今回の責任として、残りの二人を見つけだして排除します。その後のことは決めてませんが、おそらくこの先はずっと行方をくらませます」
「はっ、そう簡単に行かせるかって――」
「もう遅いですよ、無島さん」
無島の腕は空を切る。そこにアスハの感触も体温も留まってはいなかった。
「なっ――!?」
「あなたの『空想回帰』は俺のスキルよりも強力です。でもその分、有効範囲や咄嗟の発動速度は俺が対応できないほどじゃない」
「ハッ、クソガキが」
「無島さんを見つけた時点でいつでも逃げられるように、あらかじめ保険の逃走手段は用意してましたよ。まあさっきの一挙手でいくつかルールは破壊されましたが」
「小賢しいな。生意気に能力ばっか伸ばしやがって」
憎き敵の技を模したものであろうとも、アスハにとっては手段の一つに過ぎない。必要とあらば敵でさえ利用するだけのこと。
灰の青年が標的に執着する一方、無島の意識はアスハだけに向いていた。
「赤原と鹿深近のやつら、心配してたぞ」
「そうですか。じゃあ無島さんが安心させてあげて下さい」
残像が暗闇に溶ける。青年が浮かべた笑顔は、内に抑える悲しさが酷く滲んでいた。
「お前を大切に思う人が、もう父ちゃん母ちゃんだけじゃねぇってこと。忘れんじゃねぇよ」
幻影は無島の言葉を聞き届けて、光の結合を解く。
「――そんなこと分かってる。だってこれまでもそうだったから」
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