第三十七話 最終試験
青年は背負う。孤独に苛まれる友のため、恩師の宿命を背負うため、師が一人戦い続けた災害を討ち滅ぼすため、その全てを双肩にかける。
アスハが獣との邂逅から三度、日が沈んだ。
静寂の三日間、ただアスハはその力を練り上げた。浸礼魔法を酷使し、身体を鍛え、人気のない山で飽き果てるまで修行に打ち込んだ。
そして時は至る。
――深夜二時を示す時計の針。真夏の月が青白く屋根の十字架を照らす。
教会を前に立つは、十字剣を携えた影二つのみ。
「アスハ君」
「覚悟は済ませました」
羽山の穏やかな声にもアスハは乱されない。柄を握りただ師の言葉に従う。
「短い間とはいえ、確かにキミは私の弟子となった。であれば師として私は、その責務を果たさねばならない。たとえそれが、朽ちた教えだとしてもだ」
粛清兵装『アルパージ』が展開される。神父の首にかかっていた十字架は、剣となって彼の手に収まる。
「退魔執行代理人、羽山詩連がここに宣言する。凛藤明日葉、君が退魔師の器に能う者か。今ここで見極めさせてもらおう」
これは死を目前にした羽山の決断だ。獣を弟子と共に打ち倒す力を残していない彼は、最後に己の全てをアスハへ託すことを決めた。
「最終試験、正々堂々の一騎打ちだ。殺す気で来なさい」
両者は構え、夜の静けさの中で互いを見つめる。
アスハは魔力の弱まった羽山を目にしながらも、ただ沈着に言葉を交わす。
「……羽山さんからは多くを学びました」
「なに、ちょっとした武術指南をしただけさ」
「それだけじゃない。あなたは俺を救ったんだ」
危篤の師と相対しても震えの一つもない。その根底には溢れんばかりの感謝があった。
「俺の罪を否定も肯定もせず、目指すべき贖罪への道を示してくれた。あなたの生き様からそれを教わったんです。過去の罪が許されないのならばせめて、俺は少しでも未来のために贖いたい」
一歩、アスハは前へ踏み出す。
「使命も、生き方も、定まりました。あとは信念に準じて、進むだけです」
未来を目指した灰燼に、もう迷いはない。
「いざ、参るッ!」
「御意!」
影も追いつかぬ間に、風を起こしながら師弟は衝突する。
刃と刃が交わり、互いを弾く。二人の剣が重なり合うたび、鋼は十字を描いた。浸礼魔法によって強化された肉体と剣技のみが繰り出される。
月だけが彼らの激闘を見届けていた。
※
「ジークス、お前はどうする?」
「何のことだシレン」
それは若かりし頃の記憶。羽山が旅立つ戦友へ声をかけた日の一場面。片目を失った狼の獣人が彼に怪訝な顔を向ける。
――――異世界の神々を絶滅させた、その後の記憶だ。
「戦争は終わった。だが弾丸と血を求めるお前のことだ、戦場を失って途方に暮れているんじゃないかと思ってね」
「いいや、まだ戦場は消えちゃいねぇ。戦争が終結すりゃ、今度は荒くれもんが街に溢れる。そうすりゃあ大通りだろうが路地裏だろうが、いつでも戦場はそこに蘇る」
「なるほどな。腕っぷしで賊を狩っての治安維持か。それも悪くない余生だ」
「これでも勇軍としての矜持もある。下手な小悪党にはならねぇさ」
戦を望む戦闘狂の彼でさえ、その時だけはいつになく穏やかだった。
「達者でな、戦友」
「お前もな。『十剣鬼』のシレン」
見送ったジークスは振り返ることなく、ただ片手を掲げて去っていった。
その背を眺めながら、羽山は隣に突っ立っていた魔術兵の友へ話しかける。
「私としてはお前も意外だったぞファーレイ。ただ兵士を辞めるどころか、まさか新聞記者になるとはな」
「前はいつ死のうが関係ねぇと思ってたさ。だが家族が出来て初めて、戦場が怖くなった……これからは、一生戦いとは無縁の世界で生きていくつもりだ」
「家庭もまた戦場だ。夫婦円満、子育て、大黒柱は日々が戦争そのものだろう」
「はっ、そいつは確かにおっかねぇや」
神縛解放戦争は終結した。
しかし世界に残された爪痕は深く土地と人々に刻まれていた。
二人はかつて美しい都だったその街を傍観していた。街の人々はせわしなく、材木や石を運搬して修繕に当たっている。
その中には体を欠損した者も少なくはなく、以前に親と過ごしていた子供が一人で座り込んでいるなんて光景も目に入ってきた。
明日のために生活を営む彼らの表情や所作を見るだけでも、何があったかなどは嫌でも伝わってきた。
「これから世界は、どうなるんだろうな」
ファーレイは溜め息をつく。この結果を生んだ一端の責任を感じながら。
「神々は確かに悪逆非道だった。だが統治し、その他大勢を生かしていた事もまた事実。統治を失い、いつかまた新たな戦争が生まれるやもしれん……私達のせいでな」
「……」
「だから私は、また戦う」
「どこで?」
羽山は毅然としていた。罪を前にしながらその背中は真っ直ぐにそびえている。
「戦争で傷を負った国、無辜の民、今だ苦しみに喘ぐ顔も知らない人々。彼らへの救済という名の戦いだ。私は神を殺した者の責務として、人間のやり方でこの世界に救いを与えたい」
刃のように付き従って魔を祓っていた男の影はない。そこには心のそこから人類の救済を望む英雄が一人いた。
「人として抗い、神でも成し得なかった救いを生み出す。それが神殺しに残された闘争だ」
男の顔には自然と笑みが宿っていた。
壮大な使命を語った羽山の横で、ファーレイは思わず笑いを溢した。
「お前そりゃ、神父様でもやろうと思わねぇ偉業だぜ」
「神父……そうだな。神父の真似事でもして、綺麗事をやっていこうじゃないか」
笑い声を出していたのは、彼らだけではなかった。
次第に街のあちこちから声が聞こえて来た。缶を蹴って遊ぶ子供たち、修繕作業の休憩に酒をあおる男衆、恋人と時間を過ごす若者ら。絶望に苛まれる者がいる中でも、幸せを噛み締める者もまた街に生きていた。
たとえそれが辛く苦しい世界だとしても、そこに生きる人間達はたしかに笑っていた。
「それが唯一、この罪を贖う方法だ」
神を殺した愚者は、聖職者となった。神のためでも己のためでもない、人のために生きる清き罪人。もっとも人間らしい聖職者、羽山詩連が歩み始めた瞬間である。
※
羽山は月を見上げていた。その時初めて、自身が身を反らしていた事実を知る。
思考は追いつかないまま、本能的に足をさばいて剣を躱している。
「なんだ、今のは……」
アスハの剣戟を防御する中、羽山は薄れていた意識を取り戻す。
鮮明に蘇ったその記憶の正体を理解するのに、時間は要さなかった。
「そうか、走馬灯か」
――ファーレイ。あれから私は結局、神父の真似事を貫いたぞ。
羽山の集中が回復する。アルパージは既にアスハの浸礼魔法によって一時変形を解除されていた。
武器はない。傷はまだ負っていないものの、刃は迫りくる。状況を把握すると羽山は全身へ浸礼魔法を流し、鋼鉄の如き手刀で弟子の十字剣を上に弾く。
「くッ……!」
「荒い! だが良い一手だ。回避で手一杯だったよ」
呼吸もままならない激しい近接戦闘。しかし羽山は踊りでも舞っているように軽やかだった。いつもの笑みが彼に回帰する。
アスハも絶えず攻撃を仕掛ける中で、気付けば笑みを浮かべていた。それは両者、戦闘の愉悦からのものではない。
この出会い、経験、過ごした時間、その全てへの感謝を込めた剣の打ち合い。それは師弟の快き対話だった。
感謝を抱いていたのは、弟子だけではない。
――もし、私がこれまで足掻いてきた結果がこの子なら。
「良い人生を、送れたのだな。私は」
戦闘に似つかわしくない、朗らかな笑みを零して羽山は息をついた。
剣と手刀による力の押し付け合いで、再び両者は弾かれる。距離を取ったアスハは剣を構えたまま、浸礼魔法を切っ先に集中させる。
「大技、いきます。お覚悟を」
「来てみなさいッ!」
羽山が声を上げた時だった。
地面を突き破るように瘴気が沸き上がる。噴出される瘴気の中、這いずるように魔物の群れが出現する。
「ムゥ……」
「羽山さん、こいつらは」
「我々の魔力におびき寄せられただろう。全く、空気の読めん奴等だな」
辟易とした態度を露わにしながら、羽山は敵につま先を向ける。
「試験内容変更だアスハ君。この魔物全てを駆逐する」
神父は収めていたアルパージを再展開。ガトリング砲の形へ変形を整える。
「それをもって私、羽山詩連の最後の稽古としよう」
師弟は互いの背中を任せ、滲み寄る魔物を臨む。
「なんだか、人間みたいな見た目の魔物が多いですね。こうもウジャウジャしてると、ゾンビみたいです」
「魔物は多くは獣の姿だが、瘴気の密度が大きくなれば知性を持った人型にもなり得る。ある者は悪魔や悪霊、などと呼称するかな」
「名前の割には、随分と貧弱そうな見た目ですね」
「それもその筈、これがこの世界本来の魔物だ。人の微弱な魔力から生まれた獣、異世界の魔族に類する存在。生物とは根本から異なる、魔力によって生体を模倣しただけの捕食装置」
ガトリングが口から火を放つ。射出された弾丸は魔物へ直撃後、爆ぜて浸礼魔法が対象へ流し込まれる。
「世界はあらゆる調和をもって循環している。こんな存在だが、
剣が舞う。光のヴェールが魔物を焼く。語りながらも羽山の手に容赦はない。
「だが、我々は人だ。どれほど理にかなった調整装置であろうと、保身のためならそれを駆逐してしまう。弱く臆病な種だ」
ガトリングを放ち、腕を振りかざし、神父は眼前の化生を薙ぎ祓う。
「だから運命と共に心中するのさ。その代価を払うことで、運命を変えるために……!」
一際強く言葉を放ち、羽山は敵の群れへ飛び込んだ。同時に反対方向へアスハも身を投げる。
溢れる瘴気から無尽蔵に出現する魔物を二人は浸礼魔法を叩きつけて滅していく。
羽山は剛力と浸礼魔法で鬼神が如き強さを魔へぶつけ、アスハは超速で飛び回りながら獅子奮迅の勢いで斬り伏せる。
安全地帯を形成できるだけ敵を凌ぐと、アスハは足元の土を鉄に変え、黒鉄の檻に自身を閉じ込める。
「羽山さん、さっきの大技をここで使います!」
「了解したッ」
羽山は跳躍で高くへ飛び上がり、戦場の主役をアスハへ渡す。
魔物が一斉に地上のアスハへ注意が向いた瞬間、彼は十字剣を逆手に握り、刃を地面へ突き立てる。
「鉄の中で生まれた貴方へ、ゆりかごの外で苦しんだ貴方へ、今手向けの杯を贈らん――――」
羽山の下で培った全身全霊を込める。詠唱によって増長した彼の浸礼魔法は瘴気を掻き消すほど空へ立ち昇り、月光さえ覆う。
刹那、新星が降臨した。
「『
光の柱が地中から突出する。
天に向かって伸びる筋が何本も生まれては、魔物を包んで焼いていく。蒸発するように魔物の体は溶けて塵と化す。
灰燼は罪を抱いたまま、業と共にその魔を祓う。断末魔の残響だけがそこに残っていた。
周囲から魔物の気配が消えるとともに、アスハは興奮で震えていた。
「……った。やった。ついに、成功した」
彼の中で未熟で会った浸礼魔法の調律が、この時をもって完全調和した。それは物体を用いず、世界の法則にも影響を与えない、凛藤明日葉が悲願した力。
――『守るべきものを傷つけぬ刃』、彼が新たに手にした最優の武器である。
「おめでとう、アスハ君。これをもってキミは初めて、自分の手で
羽山は祝福する。恐れを克服して成長した弟子へ、この上ない拍手を贈った。
「合格だ、凛藤明日葉。晴れて君を、新たな退魔師の一人に認めよう」
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