第二十四話 夜食

 千景学園を襲った前代未聞の大事件。その結末は主犯『紅き剣聖』グリフェルト・ネビレウスの捕縛によって幕を閉じた。アスハの手によって無島のもとまでグリフェルトは運ばれる。


 だが時同じくして、道の端を這いずる一つの影があった。


「ハァ、ハァ……まだだ。終わって、たまるもんか」


 デルネウゾ、と自称していた男はその命を繋いでいた。無島によって吹き飛ばされた彼だが、残っていた魔力を費やして落下衝撃を和らげていた。


 だが肉体の損壊が致命的であることに変わりはなかった。下半身はその意味を成していない。地を這うたびに腹部は血と泥で鉄色に汚れている。ひしゃげた腕を精一杯に抱き寄せて、奇術師だった者は進んでいた。


「ボクちんのスキルが奪われても、魔術はまだ使える。魔力が溜まってから回復できる。そうだ、また別の異世界帰還者に取り入って気を伺えば良い。もしかすれば能力を授けてくれる帰還者がいるかもしれない」


 瞳には未だ唾棄すべき野心が燃え盛っている。それだけが潰れた肉を動かしていた。

 身を潜める隠れ家を探す半ば、謎の気配を察知して男は声を荒げる。


「うっ、だ、だれだ!」


「ンニャ~」


 そこにいたのはただの白猫だった。頭にMの字で生えている黒毛が特徴的な。猫はデルネウゾを騙った男の前に座す。


「猫、か……ははっ、お前も野良か」


 猫は警戒するでも懐くでもなく、ただ半壊した人間の肉を眺めるだけだった。


「いつからだっけなぁ、周りに人がいなくなったの」


 張りつめていた緊張が些細なきっかけで解けてしまう。男の口からは疲れ切った笑い声が漏れていた。


「ダチと万引きしてた時は楽しかったなあ。ま、全員しょっぴかれたけど」


 男だけは逃げ延びた。警察に情報を横流しし、巧妙な話術とアリバイ造りで彼らとの証拠を隠蔽した。


「詐欺で振り子やってた時は、特に仲間とは親しくもなかったか」


 常に仲間達がボロを出す瞬間を下衆は狙っていた。山分け前の金を騙し取り、最終的に別の街まで逃げおおせた。


「転売始めてからは、めっきりだっけ……」


 転売とは聞こえが可愛いが、実情は人気の品の偽物や粗悪品を送り付ける詐欺行為だった。食品に至っては、違法薬物を混ぜてリピーターをつけようとまでしていた。


「異世界楽しかったなぁ。平民の頭は単純で、騙し甲斐があった。み~んなボクちんのこと英雄って讃えて、ほんとは陰で魔王じみたことしてる事に気づいてすらなかった。良い世界だったよ」


 外道は悪逆の限りを尽くした。歴史的拷問の再現、虐殺、強姦、放火。それらを無実の人間に着せ、時に真相全てを話した後に民を皆殺しにするなど。暴君というには余りある、まさに悪魔の所業を尽くしてきた。


「楽しかったなぁ。転生先でも、また……」


 失血で視界も狭まって、屑の意識も徐々に薄まっていく。冷え切った体へ最期の温かみが訪れ、安らかな眠りが足音を近づける。


 でもその表情はどこか、落ち着いて――


「クハハハ。とことん腐った性根だな、小悪党め」


「……へ?」


 低く重い、地鳴りのような男の声が死にかけたフェイカーの耳に入る。驚きのあまり周囲に目をやるも、人の気配は一切ない。


「どうした? 話しているのは我だぞ下衆。それともなんだ、耳が潰れて聞き取れないか」


 声の主は至近距離まで迫っていた。恐る恐る顔を上に傾けると、男は小さな歯を見せて笑う猫の姿を目にした。


「勘の悪いガキだ。これでようやく分かったか」


 信じ難い光景を前に、男の思考は鈍化する。


「ねこが、しゃべ、って」


「間抜けな面だ。だが先の生意気さに比べれば、いくらかマシといったところだな」


 嘲笑を飛ばし、舌なめずりをした次の瞬間に猫はその口を半月に開く。口内は哺乳類とは思えないおびただしい数の牙が生え揃っていた。

 頭部は一気に膨張して人の上半身大になり、男の頭を覆う。


「ぁ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」


 猫は男を口に詰めると丸呑みにせず、ゆっくりとその肉を噛み潰した。ボロ雑巾のような死に体を鋭利な牙がこまかく突き刺す。

 数回の咀嚼を終えた頃、断末魔は途絶える。食べ残しのないように猫は道に落ちた肉片や大きな血だまりまで舐め取った。

 夜食を終えた猫は下品にゲップを鳴らす。


「ふむ、小悪党には当然の末路よ。味は最低だが」


 胃もたれ気味の体を背伸びで反らし、消化を終える。身を解して緩んだ顔を猫は夜空へ向けた。


「それにしても、リーマのヤツめ。面倒な役割をよこしおって」


 文句を溢しながらもその表情に煩わしさは映っていなかった。

 奇しくも同じ時、同じ空を見上げていた主人らのことを猫は頭に浮かべていた。


「さて、共も戦闘を終えた頃か。帰ったら、あの『つぅーる』でもねだるか」


 帰り道で猫の頭は、無島宅のエサの保管場所についてでいっぱいになっていた。

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