第二十一話 詐欺師の制裁

 眠る街の空から降る星は何の輝きもなく、無骨な瓦礫ばかりだった。

 廃ビルの欠片、魔術で構成された武器に炎が、無島を中心に落ちて爆ぜる。その残骸が街に飛び火しないよう、無島は一切を砕いて消滅させた。


「お粗末な物量攻撃、攪乱、ちょこまかと身を隠す面倒さ。本人の強さは脅威じゃねぇのに、周囲の被害を危惧して後手に回っちまう。凛藤が手こずるわけだ」


『空想回帰』は常に発動されていた。無島は自身やデルネウゾの手札にスキルをかけながら、奇術師の策を打ち破る。


「どういうスキルなんダ。ボクちんの天命ステータス操作が阻害されていル」


 デルネウゾは困惑していた。幾度となく無島へ施そうとした弱体化デバフが、見えざる何かによって掻き消されるような感覚に。

 そしてその奇妙な感触を上回る彼の剛力に。


「それにこの男、ロクに魔力を消費していなイ。なのにこの身体機能ッ」


 直後、デルネウゾの横を一発の弾丸が通過する。弾は奇術師を掠めるどころか、あらぬ方向へ飛んでいった。


「銃撃? ハッ、エイムが下手くそだネ。それにそんな遅い弾なんてボクちんには無意味――」


「はなからお前は狙ってねぇ」


「何を負け惜しみ――まさカ!」


 背後に浮かんでいたビルの残骸が音もなく姿を消していた。奇術師が次弾として控えていた砲撃も気が付かぬ間に彼の制御を離れ、抹消されている。


「拳銃はナイフと同等に便利だ、積極使用するに限る。お前のような弾丸が致命傷にならねぇような輩は特に、油断を誘いやすいからな」


「お、のレェ」


「でも困っちまうな。俺は長距離技がねえから、ビビって逃げられちゃどうしようもねーなぁ」


 あからさまな挑発。だがデルネウゾの高い自尊心がその不敬を許さない。


「こ、の……凡俗ガ!」


「へっ。リロードまで待ってやろうか」


「邪魔ダァァァァァァァ!」


 魔力で編まれた銃火器が街の至る所から突出した。放たれるは弾丸、火炎、毒液、魔力弾、あるいは追尾性能を備えた爆弾。個人に対して射出される絨毯爆撃だ。

 だが無島は意に介さない。スーツの影は一歩、また一歩と接近しながら全てを躱す。


 弾丸の雨を物ともしない死神の足取りを前に、デルネウゾは詭弁を吐いた。


「ボクちん達はこの腐った世界を正しい姿へ戻ス! ニンゲンは統治によって、真に幸福な未来をッ――」


「おいペテン師。おまえのそれ、全部嘘だろ」


 苛立ちの混じった一言がデルネウゾの動きを止める。


「……なんだト?」


「転生する前からずっと刑事やっててね。てめぇみたいな詐欺師なんざ腐るほど見て来てんだよ。こんだけ顔拝んでりゃ、腹の中身も透けてくる」


「ッ……」


「漁夫の利でも狙ってんだろ。計画の利害が一部一致してるだけで、自分んとこの大将さえ頃合い見て食っちまおうって魂胆だ。違うか?」


「……」


「都合よく乗っかって、最後に全部ぶち壊そうと思ってるに違いない。お前のように人の顔色を嬉々として観察するヤツはな、大抵ただの愉快犯なんだよ」


「……。まさかこのボクの考えをそこまで読んでるなんて


 それまで怒りに満ちながらもどこか飄々としていた奇術師の表情が、冷徹さを帯びる。冷ややかな眼差しで、デルネウゾは再び込み上がってきた笑いに身を委ねる。


「ああ、その通り。理想の独裁国家も、あの剣聖に加担する理由も、世界を統治したなんて過去も、全ては上辺の共感フェイクだ。魔人王たるこの名も、幽谷の主から簒奪したものさ」


「……クズめ」


「現世だろうと、異世界だろうと、ボクは狭苦しい世界が嫌いだ。もっと自由に、痛快に、ボクがいくら暴れても暴れたりないぐらい世界は快適であって良いはず。そうでなければ許せない」


「開き直ったな。よくもまあペラペラと話せるもんだ」


「名を奪う前、ボクがなんて呼ばれてたか教えてやろうか? 誰にも縛られない、異世界を思うがまま遊び尽くしたこの身の異名を!」


 飛び上がり、デルネウゾを自称したフェイカーは両腕を広げて名乗り上げる。


「『ロキ』。ボクは悪戯と終焉を司った神の名を冠する、希代の自由人ボヘミアン


 周囲に走る迅雷、舞い上がる火花、塵を薙ぐ風。神の降臨かのように奇術師は舞台を演出する。派手やかな飾りに反し、主役は反吐以下の代物ではあったが。


「なるほどなるほど。自称いたずらの神、ロキ様ねぇ。で、それ聞かせて俺にどう反応してほしいの?」


「……つくづくお前は癪に障る」


「話術がなってねぇぜペテン師野郎ォ! 傍若無人のフィクサー気取んなら、腹がバレた時点で潔く投降しやがれ!」


 怒りで目を見開いたロキは乱雑にウィンドウを展開する。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


「遅いッ!」


 戯神がパネルを操作するよりも遥かに速く、彼の鳩尾に無島の蹴りが埋まっていた。


「ごふぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


 情けない叫びを残して、ロキは街の奥へ蹴り飛ばされた。


 景色が残像になって、目まぐるしく変化する、そんな視界。自分がどこまで蹴られたのかを認識できないまま、ロキの体は家屋の上を吹き飛ぶ。

 空を舞う間、腹から全身に広がる痛みが奇術師の脳天まで貫く。


「グ、アガァァァァァァァァ!?」


 蹴りの衝撃が未だ続く中、次なる痛みが背後からロキを襲う。

 気が付けば体が何百冊の本に埋もれていた。本棚に激突した際の衝撃がロキの背骨へヒビを入れる。

 無島に蹴られた勢いで彼は、街の図書館の中まで飛ばされていたのだ。


「がっ、はぁっ、はぁ、バカな」


 肺が痙攣し、視界が乱れて回転する。ロキの意識は置いていかれたように朦朧としていた。

 魔力消費に比例しない身体能力。小細工無しの純正な拳撃。実際に食らうことで知った無島の真実に奇術師は震撼した。


「まさかアレは、あの馬鹿げた身体能力はスキルじゃないのか? 魔術も異能力も使っていない、やつの本来の」


「息する暇なんてないぞ」


「なッはやっ――」


 すんでのところでロキは半身を反らす。半秒前まで体があった位置に、無島のナックルが振られていた。

 その一振りが直撃していれば確実にロキは頭蓋を潰されていた。そう思わせる一撃は止まらず彼の足元へ着弾し、手榴弾が炸裂したように床板に穴が開く。


「凛藤相手には一時的に距離を取ってたが、どうせ身を隠しながら接近して始末しようってとこだったろ。ならてめぇは俺相手にしょっぱなから逃げることはねぇと踏んだ」


「げほっ、くッ」


「遠距離攻撃がねぇと自白した後も、俺にわざわざ近距離で挑んできたのが、何よりの証拠だ」


 戯神の頭にあったのは反撃ではなく、ただ無島から離れることだけだった。『無断使用ダビング』による爆発に乗じて逃げ出そうにも、たちまちその空想スキルは無に還される。


「くっ、はぁ、はぁ……」


「待てよ。お片付けがまだだぜ」


 その剛腕は戯神の首元と片腕を掴んでいた。懐に入り込んで身を反転される無島を目にし、ロキは自分が投げ技をかけられようとしていることを悟る。


「『天命ステータス改悪チート。『防御力最大フルディフェンス――」


 百分率で最大化した防御力、スキル頼みの防御力。受け身など取る暇もなく奇術師は床へ投げられ、地中を突き抜け、何層も下の地下空間へと叩きつけられる。

 人型の穴がくり抜かれたように、地上から何メートルも下層まで続いていた。


「あふぇえッ、ガッ!」


 他のスキルでの相殺が間に合わず、致命的なダメージがその身に刻まれる。脳が揺れて思考が溶ける最中、黒い背広の影が音もなく彼の背後を取っていた。


「地下鉄の通路だなここ。ま、ちょうど良いか」


 朦朧とした意識といえどロキは防御状態を保ったまま。だというのに、無島の剛力はその耐性を上回った。


「落っこちるなよ」


 無造作にロキの頭を鷲掴みにし、暗闇の通路を無島は疾走した。速度は電車の比ではない。

 体感としてあまりに長い時間、男は線路を引き回される。鉄のレール、縞模様に並ぶコンクリートが小刻みに何度も衝突する。

 ステータスの詳細を唯一知覚できる奇術師は、自身の防御力が目減りしていく様を脳に送りつけられた。


「おらよ、もうゴールだぜ!」


 ロキにとって久遠にも感じた地下鉄通路に一筋の光が差す。地上からの星月の光だ。

 地上区間へ出て血だるまとなった奇術師の体が月夜に晒されると同時。傷だらけの身は空へ放り出される。


「グ、アア、ァァァァァァ!」


 裂傷、欠損、削られた全身。その身を焼くような痛みに悶えながらもロキは空中で体勢を整える。

 身を文字通り削られながらも辛うじてその背には偽翼が備わっていた。不安定な飛行体勢で宙を舞う中、またしても無島のニヒルな笑みが彼の瞳へ飛びこんでくる。


「ちか、寄るなぁァァァァァ!!」


 がむしゃらに展開したウィンドウを操作し、男が目についた限りのスキルを身に宿していく。


「『超筋力』、『威力増大』、『バネ』、『高速射出』」


「遅ぇ弱ぇ効かねぇ! 外付けのパワーに芯が追いついてねぇんだよ!」


 スキルで無理矢理に強化を施し、ロキは拳の連打を繰り出す。

 威力と速度が増しただけの素人徒手空拳。その動きに無島は全て追いついて払いのける。余裕に溢れた笑みと流体のような体裁きが、ロキの動揺を誘う。


 むしろ劣勢なのは攻撃を仕掛けている奇術師の方だ。純正のパワーを前に、衝撃に耐えきれない彼自身の腕が悲鳴を上げる。


「せいッ!」


 踵落としが戯神の鼻を掠める。それだけだ、直撃したのではなく本当に掠めただけ。その程度の接触にも関わらず、神はまたもや地に墜とされる。神の威厳などもうどこにもない。


 音速で地面に落下し、彼のアバラは全壊。内臓にも傷がついている。血で染まった全身はどこかしこも歪んでいる。


 最期の力を振り絞り、地を這いながら男は『天命ステータス』で己の速度を操作する。


「『天命ステータス無断使用ダビング。『ソニックブーム』、『反発』、『跳弾』、『神速射出』」


 建ち並ぶ建物の壁を蹴り、男はゴム弾のごとく跳ね続ける。死に体が出力する最後のエネルギーだ。


 その速度が音速に達しかけた寸秒、これを逃さんと奇術師は無島へ最接近した。その手のひらは無島の胸に触れかける。


「『天命ステータス強行開示フルオープン、『転売キャッチ――」


 ぽすっ――。と軽い音だけが彼の耳に届いた。


「……ぇ?」


 男の頭から思考と情緒を剥奪される。その手は確実に無島を捉えた。しかし奇術師の身体には何の変化も起きない。

 むしろ体から何か、とても重要な何かが抜け落ちてしまったような感覚が彼にはあった。


「へぇ、ずっと能力を掻き消してたから気付かなかったが、他人のステータスやスキルもいじくれるのか。俺と似た系統だな」


 蒼光のウィンドウが彼らの前に展開されていた。だがその文字は奇術師から見て反転して表示される。

 無島は手元に開いた窓を指で操作しながら、その内容を鼻で笑い飛ばす。


「だが所詮、お前の能力は無断転載の域を出ない。俺ならその権利ごと買い取るけどな」


 嘲笑と共に窓は握り潰される。蒼い光は砕け散って、夜の闇に飲まれて消えた。


「ボクの、スキル……」


 男は感覚として理解していた。己を戯神まで至らしめた権能が、この世から抹消されてしまった事実を。


「かぁえせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 何者でもなくなったフェイカーは怒りのまま無島に飛び掛かる。

 腰の入っていない、拳もろくに握れていない。ただスキルかりものと盗品だけで悪逆を尽くしてきた男の芯がない拳だった。


「原作リスペクトのない二次創作は、見るに堪えねぇ」


 巨岩のような拳骨が、奇術師だった男の顔を覆った。


「ぁ――――」


 轟音を辺りに響き渡らせて、無島の拳は男を空へ殴り飛ばす。人体から出てはいけない力の熱量が、男の身に注がれる。きっと彼の体は音の壁を越えて打ち上げられただろう。


 振り抜いた拳が指す彼方、肉眼では見えないところまで詐欺師は殴り飛ばされていた。


「ありゃ捕まえる必要ねぇな。直ぐにくたばる」


 あー疲れた、と首を鳴らしながら無島は呟いた。そして振り向くことなく、背後に隠れていた二人組に声をかける。


「仲直りは終わったみたいだな。ガキども」


 地上に戻ってからの戦闘の一部始終をリリとツムギは目撃していた。


「ちゃんと気付いてはいたんですね。巻き込まれなくて良かった」


「ったりめーだろ。あそこで下手に出てこなかったのは賢明だった。出番なしですまんな」


 無島の攻撃に巻き込まれないよう、離れた位置から彼女らは震えて全てを傍観していたのだ。


「は、ははっ。こんなのどうやって加勢すりゃ良いんだよ」


 渇いた笑いしかツムギの口から出せるものはなかった。


 魔力の流れを捉えられる異世界帰還者の彼らだけが、男の規格外さに戦慄していた。二人が何より驚愕したのは無島の驚異的な身体能力でも、奇術師を空へ殴り飛ばした膂力でもない。

 周辺の魔力がぽっかりと、空想回帰に巻き込まれて消失していたのだ。異世界帰還者同士の戦闘がどれほど激化しようと、少なからず大気中で舞う魔力。それが一切存在していなかった。


 台風の目に佇む無島総吾に、少年少女は災害に似た何かを重ねて見ていた。

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