第二十話 作戦行動開始
アスファルトには何滴も涙が零れた跡が残っていた。それを囲むようにアスハ達が互いを抱き寄せ合って。
まだ染みた部分が乾き切っていない中、アスハは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた顔を拭う。立ち上がった時、もう呼吸はいつもの穏やかなものに戻っていた。
「……ツムギ、リリィ、ありがとう。少し落ち着いたよ」
「アスハ、大丈夫そう?」
「……いいや、大丈夫とは言えないかな。今は少し治まっても、この痛みはこれからも背負っていけないものだと思うから」
過去も後悔も拭い切れるものではない。自分自身を簡単に許せるわけはない。
だからこそアスハは灰の心を、二人の前に差し出す。
「でも、どうしても耐えられなかったとき。その時はまた二人に頼ってもいいかな?」
「そんなこと、言われなくても」
「気安くいつでも頼めよ」
「……キミ達みたいな友人を持てたこと、心から嬉しく思うよ」
まだ目元が湿っている青年の笑みは随分と晴れやかになっていた。
ホッとした様子の友人を目にして、ツムギも屈託のない笑顔で返す。
「だってオレら、異世界帰宅部だろ?」
「ああ、そうだね……退部の件は撤回するよ」
その返事にツムギは彼の肩を組んで喜びを顕わにした。
元の三人に戻れた喜びに頬を緩ませるリリだったが、その最中でとあることを思い出した。
「あれ? ところでアスハさっき、アタシのことちゃんと『リリィ』って呼んでくれた? そうだったよね!?」
「早速だけど、二人に任せたことがある」
「アタシはガン無視!?」
不貞腐れた表情でリリはアスハの脇腹に弱いパンチを何度か入れた。再度アスハがリリィと呼んだことで、彼女は満足そうに笑みを浮かべて拳を収めた。
「リリィは知ってるだろうけど敵は二人、デルネウゾとグリフェルト・ネビレウス。デルネウゾは魔術と、自分や他人のステータスを操作するスキルがある」
「一人目から厄介ね。デルネウゾってさっきの攻撃の主でしょ? 前に会った時は戦わなかったけど、嫌な魔力が出てると思ったのよ」
「そして今回の主犯格、グリフェルト・ネビレウスは未知数だ。発見直後に逃げられたから、能力の詳細は不明。だけど自分から『紅き剣聖』って名乗ってたから、剣士であることは確かだと思う」
「剣士か、相手できなくもねェけどちょっと渋いなァ」
「二人はグリフェルトの事は考えなくても良い。俺が単独で向かう」
「単独っておまっ……」
「大丈夫、考えあっての事だから」
アスハは街の空を見上げた。正確な位置こそ掴めてはいないが、微かに紅き剣聖の気配を感じる方角へ。
「今のところグリフェルトは隠れているだけで動きはない。ってことは、何かの準備をしてるんじゃないかと俺は睨んでる」
「つまり場所がだいたい割れてるデルネウゾを最優先に俺達は動いてほしい、ってことだな」
「ああ。そして出来る限り早く無島さんを連れて来てくれ」
この作戦の要であり、最良の安全装置こそが無島だ。
「発見したらなんとしてもグリフェルトを押さえておく。ヤツの実力が格上でも、俺が暴走しても、無島さんだったら止めてもらえる」
「なるほどな……つーか改めて聞くと、このアスハをセーブできる無島さんってヤベェな。ナニモンなんだよ?」
「とにかく、今は考えるより動こっ」
三人はそれぞれ進み出した。
変幻なる炎は舞い上がる。苛烈なる百合は狂い咲く。そして温度を忘れた灰燼に、再び火種が落とされる。
「異世界帰宅部、再結成最初の大仕事だよっ!」
※
「デ? おっさんもボクちんにやられに来たノ?」
「ハッ、凛藤から尻尾巻いて逃げたやつが何ほざいてんだよ」
「これは戦略だってノ! 確実にブチのめすための戦略ダ!」
「へぇ~。こんな遠くまで逃げて来て、ねぇ」
わざとらしく辺りを見渡し、数キロは離れたか~と嫌味ったらしい口調で無島は屋根の上から挑発する。ニヤついた目は空中に浮きながら地団駄踏む奇術師のプライドに傷をつけた。
「不愉快極まル、度し難イ……それに貴様! ボクちんのトラップはどうしタ!? あの帰還者用に設置しておいたトラップがここに来る前に作動する筈ダ!」
「トラップ? ああ、あの大雑把な仕掛けか。邪魔なのは正面からぶっ潰してきた。あとはたしか……おん、知らん」
「おのれぇ、よくもこの奇術師をコケにしてくれたものだナ」
苛立ちのまま腕を横へ薙ぎ、奇術師の手前に複数のウィンドウが展開表示される。
「一刻も早く、視界から消えロ!」
黒く淀んだ濁水が虚空から滲み出て、猛虎を形作る。汚濁の虎は咆哮を上げ、無島を大質量の中に飲み沈めた。
「鬱陶しい」
無島の一言に慄いたかのように、虎は消え失せる。
「チィ、破壊され……いや、違ウ。まさか貴様、消したのカ!」
アスハを前にしても崩さなかった奇術師の余裕に初めて綻びが生じる。その額に滲んだ汗を拝んで無島は口角を上げた。
「さてと、逮捕の時間だぜ。詐欺師野郎」
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