第二十二話 剣と孤独と無限迷宮

 緑のヴェールが丘の先まで地面の上を覆っていた。敷き詰められた草の中から、少し背の高い青と黄色の花が顔を上げている。快晴の空には花弁と葉が風に流され、暖かな日の光が草花に輝きを与える。

 ここは現世から切り離された安寧の地、剣聖の領域たる異界ダンジョン。浮世離れした幻想が息づく箱庭の中。


 この世界に存在する音は丘に立つ剣士の静かな息と、風のざわめきだけ。灰の足音が割り込んで、草を踏みしめる小さな音が生まれる。


「……待たせてたみたいだね」


 ここに来て互いに衝撃はない。剣聖は彼と遭遇したという事実から、戦の結果を汲み取るだけのこと。


「……デルネウゾが討たれましたか」


「意外だな。あんなのに情があったなんて」


「いつかは彼と剣を交える運命だったとはいえ、僅かばかりの物悲しさはありますとも。表面上とはいえ、同盟関係だったのですから」


 この運命を悟っていたように、グリフェルトの声音に揺らぎはない。小さな笑みの混じった吐息がほぅっと零れるだけだ。


「残るは私のみ、というわけですね」


「今ならまだ、投降は認めるよ」


「おかしなことを。ここまでのことをしでかしておいて、それはないでしょう」


「確かに、そうかもしれないね」


 薄っぺらな笑いではなかった。その言葉の隙間から良心の呵責、にも取れる感情が覗いていた。だからといって男の進路に影響は与えない。


「それにしてもよくこのダンジョンを発見できましたね。前回といい、あなたはもしや探索系のスキルをお持ちで?」


「お前の魔力を可視化して発見した。あとはこの座標に極端な重力を与えて、空間の歪みから侵入したよ」


「そうですか、なかなかのスキルですね。それに比べて私は、この程度の能力しかありません」


 剣を収めたまま剣聖は面を上げ、果てなく高い偽りの蒼穹を瞳に映した。


「ここは私のスキルで作り上げた『無限迷宮ダンジョン』。外界から分断され、限りなく緩やかに時間が流れる。それだけの空間です」


 風は剣士を抱擁し、その足元に蒼の花弁を散らす。


「魔獣を放つこともトラップを仕掛けることも出来ますが、あまり好みではありません。私はただ、自分の理想郷をこうして映し出していたいのです」


 これから剣を抜く者とは思えない、平静の心と博愛が男の内にある。

 アスハから見た男の目は物憂げで、悪党とは思えないような切なさを孕んでいた。


「どうですか。ただの虚像ではありますが、この景色はあなたの目にも美しく映っているでしょうか」


「……ああ、たしかにここは綺麗だよ」


 感じたままにアスハは答える。偽物であろうとも地上で懸命に咲く草花は見事なものだった。その言葉に横溢したように、剣聖は目を閉じ微笑む。


「このダンジョンは私の唯一のスキルです。魔術も魔道具も一切使えません」


「転送魔術を使ってたみたいだけど?」


「あれはデルネウゾの力を借りたまで。ですがそれも含め、これからあなたと戦う際は魔術もダンジョンによる攻撃はしないと誓いましょう」


「どういう風の吹き回しかな」


 血塗れ髪の剣聖は腰の長物を引き抜く。掲げた刀身は白銀の輝きを放っていた。輝きの中に揺らめく炎の瞳を映して。


「決闘です。私は己の信念に一点の迷いもありません。ゆえに、ここで鍛え続けた剣技のみであなたと相対することが、正義をぶつけることが、私なりの証明です」


 剣に身を捧げた男の申し出に、アスハは首を縦に振って承諾する。


「そうか。なら申し訳ないけど、俺はスキルを使わせてもらうよ。俺も戦いにおいては、これしか使えないからね」


「構いません。全身全霊でかかってきなさい!」


 瞬間、剣と灰燼が衝突する。アスハの蹴りは音もなくグリフェルトの顔目掛けて振り抜かれた。だが剣聖の刃がその脚を食い止める。刀に当てられようとアスハの足は硬く、切断されることはなかった。


 空中蹴りから拳技へ繋げようと身をよじったその時、アスハの上下が逆さまになる。


 青年が事態を認識したとほぼ同時、二人は穏やかだった花畑の空へ落ちていった。天地が返され、グリフェルトを中心に重力が逆転する。だがその環境変化がアスハに影響を与えることはなかった。


「景色の変化につきましてはご容赦下さい! 私の心象風景が反映されているだけです」


 蒼空へ落ち切ると景色は一変し、地面無き大都会のビル群が出現する。

 人も車も机もない。ただ窓ガラスと鉄骨だけで構成され、世界の端を蒼穹で包んだコンクリートジャングル。無限に続く建物にはあまりの高さで雲も所々に存在している。

 たとえ光景が変わろうと、天と地が激しく動こうと、偽りの世界の中心には二人がいた。


 ビルの側面を走り、吹き抜けをくぐり、両者は空中へ飛び出して拳と剣をぶつけ合う。


「大気纏着ッ!」


 アスハの体表を厚く覆う大気層が形成される。全身に不可視の鎧を纏って灰燼は剣聖の剣に拳で挑む。

 大気と刃の衝突音は金属同士がぶつかり合う時とは訳が違った。極大な空気抵抗を受ける鋼は震え、凄まじい圧力で刀身を紅く染め上げる。義に燃える剣聖の髪のように。


 剣と拳はジリジリと競り合うが、重力から解放された二人の体は慣性に従って宙を滑る。

 押しつ押されつ、両者は攻撃を放っては互いに阻まれを繰り返した。


「せやぁ!」


 刀を捌く剣聖の魔力に乱れがない。この無限迷宮の維持だけに微量な魔力がほぼ一定量で減っていくだけ。アスハへ食いつく剣の舞は大気の障壁に阻まれながらも、彼の身を押してビルの奥まで弾いた。


 三棟ビルを抜けた先でまた景色は切り替わり、夜の森に放り出される。翡翠の光を放つ蛍のような虫が辺りで飛び交い、水で身体を構築し淡い虹色に輝く四足の巨獣が森を歩く。

 そこは水辺。幻想を纏う動物たちの憩いを邪魔して、アスハとグリフェルトの押し合いが始まる。


「風切り!」


 アスハの大気装甲はその一振りで破られる。刀は振り抜かれ血で濡れている。

 その一刀はアスハの掌をあと数ミリのところまで斬り伏せていた。皮一枚で繋がったアスハの手の上半分がぷらんと垂れ下がる。


「大気を、風として斬ったのか。こんなことまで」


 取れかけの手を修復しながらアスハは一驚を覚える。もう単純な大気のガードではその剣が防げないことに。


「連撃はここからです! 無法流ッ……」


 日本刀から繰り出されるとは思えない無数の流派の剣が飛び出した。その異形な太刀筋を弾く中、気が付けばアスハは桜舞う巨大樹の枝の上に立っていた。


八岐ノ太刀ヤマタノタチ!」


 男の腕が八本、いやそれ以上の数に増えた。アスハの目ではそうとしか捉えられない速度で、異なる剣筋が灰を襲う。


 どれほどの時間を費やせば、ここまで自在な剣戟を繰り出せる。どれほどの教えを培えば、これほど多種多様な流派の剣を体に刻める。


 西洋、東洋、ソード、サーベル、短刀、長刀。あらゆる技が一本の剣で再現される。刀身そのものに変化はない。一刀でありながら二刀流、刀剣でありながら洋剣。

 剣技を最大限発揮するための立ち回り、徒手空拳、変則的な剣筋の切り替えと組み合わせ。それが一刀を千変万化の刃に錯覚させる。


「この剣はたしかに、スキルじゃない。地道に積み上げて来た人のわざだ」


 きっと途方もない時間を過ごしたのだろう。気が遠くなるほど、想像しただけで悲しくなるほどの孤独の中、一心に剣を振ったのだろう。

 一振り一振りに宿る重みは、生半可な人間が一生にかける熱量をゆうに超えていた。


「ところで一点、剣を交えつつ言い訳を」


「えぇ?」


「あなた方の学校は単純に魔力の吹き出し口だったがゆえ、リソースを得るため襲いました。私怨はありません」


「それは、律儀にどうも」


 舞い散る薄紅の花弁を巻き上げて、巨大樹から二人は身を投げる。落ちる先は炎の石が一面で発光する神秘の洞窟だ。


 ――この剣聖は襲撃に加担したどの異世界帰還者とも違う。確かに邪道だ、咎人だ、破壊者だ。しかし目の中で滾る正義は、多くを救済せんと燃える意志を感じる。

 暴君へ至ろうとする剣士が抱くのは悪逆ではない。犠牲を生もうとも義を果たそうとする覚悟だった。


 この決闘の一時、両者は人の善悪の領域を超越した境地に踏み込んでいた。

 勝敗の結果は互いの正義とは今、別のところに存在している。


「グリフェルトッ! お前の信念を正義と認めよう。そして異なる正義を持つ俺が、真っ向からキミを破る」


「ええ、ええ! そうでなくてはなりません。正義を倒す者は必ず、もう一つの正義であるべきなのです!」


 木漏れ日と鉱物が放つ耀きに包まれて、剣聖と無秩序は拮抗したまま落下を続ける。

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