第十五話 奇術師

 その月夜は見惚れるほど綺麗だった。美しさのあまり、月光は青年の姿を無造作に照らし出してしまう。


「ケッヒャッヒャッヒャッヒャ!」


 下卑た嗤い声が夜を席巻する。月の目が届かぬ闇より火球が、無数の剣が、獣を模した迅雷が、アスハの喉元を支点に落下する。接近物を残らず撃ち落とすが、アスハが身を動かす度に空間や建造物に仕込まれたギミックが発動する。


「これに繋げて来るのか」


 トラップは拘束や火炎が単純に放たれるものが主であったが、時にスキルに相当する攻撃までもが飛び出す。大気と振動で体表をカバーするアスハの意識は徐々に多方面へ向けられていく。

 魔術とスキルを用い、常にアスハの意識外を狙って設置されたトラップ。奇術師の二つ名に違わない奇怪な攻めだ。陰湿な攻撃は止まらない。


「また投擲。魔力だけで構成されてる。ヤツの、デルネウゾの魔術だな」


 全方位から不規則な軌道で舞う飛行物の数は、以前結晶帰還者の攻撃を遥かに凌ぐ物量。術への対処はアスハの脳の演算領域に負荷を加え続ける。


「見た目が派手なだけだ」


 放たれた魔術はそれぞれ進行方向正面からの衝撃波によって相殺。魔力結合を最小単位で分解する。演算による脳への負荷は依然、アスハの攻勢に何ら影響を与えていない。


「これもドーゾォ!」


 アスハの頭上から奇術師は絶叫する。デルネウゾが背負っていたのは積み荷を乗せたままのトレーラー。車体は加速してヘッドからアスハに落下する。


「突拍子はないけど、大雑把だ」


 その質量攻撃さえ秩序なき処刑人は片腕で受け止め、難なく粉砕する。砂粒大に粉々となったガラスと金属が周囲へ舞い、粉塵爆発を起こした。

 爆炎は二つの影を呑み込むも、火中の両者に一切のダメージはない。


「ケヒヒ、凄まじい能力ダ。練度に関係なく、スキルの効果そのものの影響力が桁違イ。有象無象の戦士とは戦術のスケールが異なル」


 落下するデルネウゾの背中に黒翼が装着される。薄く朧げで到底空など飛べそうにない仮初の羽。だがその身体能力は明らかに向上を見せていた。


「でもボクちんに対抗出来るとも限らなイッ」


 人の域を超えた速度でデルネウゾは縦横無尽に動き続ける。背面飛行で嘲りの表情を見せる奇術師に、建ち並ぶ屋根の上を駆け抜けてアスハは食らいつく。

 アスハに向けられる不敵な笑みは蒼に煌めく光の窓で隠された。


「『天命ステータス』――横領ジャック!」


 窓の上で指を弾くとともに、アスハの肉体から一部質量が蒸発する。微かに末端の痺れと脱力感を覚えるも、違和感を振り切って灰燼の速度は再起する。


「体の、力が一瞬抜けた」


「あーあーそう、魔力依存のスキルってワケでもないのネ。まあ有利に変わりはないけド」


「無島さんの空想回帰とも違う。これは、のか」


 体から力が喪失した感覚が証言する。体験した現象に加えデルネウゾの言動が能力の正体を証明した。


「ステータス、ジャック。要するにお前のスキルは人の体力だとか魔力をどうこう操作する。ってとこか」


「言うまでもなく、その通りだネ。ボクちんのスキルは自分も他人も問わず、ステータスをイジくれるチート能力なのサ」


 自身の手札が明かされてもデルネウゾは焦燥どころか、高揚さえしている様子だ。手元に青白い光の窓を展開し、意気揚々と手の内を披露する。


「抽出、改竄、向上、弱体。およそステータスとして分類できるものはウィンドウで操作可能。人によっては、能力を丸々もらうことだって出来ちゃうよン」


 鍵盤を弾くような動きで奇術師はウィンドウを操る。数字の変動に呼応し、体感として先の倍のエネルギーがアスハの身から剥奪された。


「がっ、クソ……」


「それでも前よりは劣るネー。最盛期なら法外な数値操作も出来たのに、今は百分率の範囲でしか操れないなんテ」


「気付いてないのか。お前、自分から決定打がないって白状してるよ」


「問題なイ。それはお前も同じこト」


 首を捻り、手を広げ、嘲りの笑みを浮かべ奇術師は言葉を並べる。


「何故今すぐに、僕ちんの心臓を潰さなイ。何故、この体を爆散させなイ。何故、一撃必殺の攻撃を使わなイ。その力、そのスキル、容易に天変地異を起こせるチート能力の筈ダ」


「ッ――」


「やらない理由は簡単、代償があるからだロ? 能力の制限だけが理由じゃなイ。お前の挙動は、まるで何かを恐れているような動き方ダ」


 肺に針を差し込まれたように焦燥がアスハを貫く。彼がほんの刹那に見せた表情の変化を察知し、魔人王の口元は歪む。


「なら、勝ち筋は一つナ。ヒットアンドアウェイで、お前の限界まで耐えればイイ」


 奇術師は手元のウィンドウから新たな操作を指示する。


「『天命ステータス』、無断使用ダビング!」


 襲撃を実行したあの日のように、奇術師の身は深淵に匿われる。

 デルネウゾはその姿、匂い、音、魔力に気配まで全ての足跡を遮断する。偽りの翼を広げ、光の届かない闇の中を疾走した。


「あのアスハとかいう帰還者のスキル、おそらく能力制限の中に『認知』も含まれるナ。ヤツにボクちんの位置を観測されない限り、即死級の攻撃を受けることはナイ」


 自身の位置を攪乱するべく、デルネウゾはアスハを視界から外れる距離まで駆けていった。


 標的を視界から逃したアスハは攻勢を止め、回復と強化に努める。


「――奪われた体力も、スキルで回復が間に合う。酸素過供給、細胞耐性強化、毒耐性獲得。回せ、回せ、肉体のリミッターを壊し尽くせ」


 痛みを対価に灰の青年は自らの心肺へ鞭を打った。本来致死量に達する酸素を吸引し、体へ粗悪な回復措置を行う。指先から頭蓋まで突き抜ける痛みを払い、その身体は蘇生しつつあった。


「でもそう簡単に、暇はくれないよね」


 虚空からともなくビルが投擲される。魔力で骨組みを構築しながらも中にはありったけの廃車が詰め込まれている。

 酸素の吸収が追いついていない無呼吸状態でアスハは防御壁を形成しようとしていた。


「なんだ、満身創痍じゃねぇか」


 呆れた声と共に黒い影がビルに飛び込む。音速で移動する黒スーツは空中で対空ミサイル級の蹴りを繰り出す。


「ンねェア!」


 魔力は一瞬にして消し飛び、ビルに含まれた物質は跡形もなく弾け砕ける。星屑が如く降り注ぐ粉塵の中で、無島総吾の背広が躍る。


「むじまさっ……」


「ガキ共、お友達はここだ」


 無島の声とほぼ同時、背後に二つの足音が現れた。デルネウゾの気配のみを追って神経を張り巡らせていたアスハにとって、友との再会はまさに青天の霹靂であった。


「追いついたからね、アスハ」


「へへっ。今更逃げようとは思わない方が良いぜ」


「二人とも……」


 処刑人たらんとした灰燼から修羅が抜ける。ボロ雑巾同然の姿でアスハは困惑も止まぬまま、思考を鈍らせていた。


「露払いは任せな。ここからはお前らだけの時間だ」


 着古したスーツで男は子供らの行き違いに決着をつけさせるべく、戦場に束の間の安息地を作り上げる。三人の若者を背にして無島は飛来する瓦礫の巨塊に拳を投じた。

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