第十話 処刑宣告

 岩肌の露出した地面、鉄骨だけを残した廃ビル、高低差を生む隆起した地形。少女の死角は全方位に存在していた。僅かな気配さえ逃さぬよう、リリの召喚獣が彼女の視界を補う。

 だがそれを上回る速度で物陰から刺客が襲来する。


「雑用スキル、定時の用。『戸締り』ィ!」


 青のジャケットを羽織る小柄の男が先手を打つ。ビルの躯体がリリを捉える檻へ変質し、隙間には光を通さない暗黒物質の板が敷き詰められた。


「システムクラック『ディスラプションEX』」


 メガネの帰還者が追撃を放つ。リリを封じる立方体へ接触後、檻に膨大な熱が加わる。過剰な熱は圧力を生んで檻を半分の大きさまで潰し縮める。

 一切反撃の余地を与えない絶殺の強襲。


「『迷える獣たちストレイヤーズ』御霊ノ神獣」


 だが漆黒の檻は光の粒子となって崩壊する。聖光の中で百合は依然、狂い咲いていた。

 閉鎖空間の解放直後、リリの下に先の二人組が急接近する。


「全て見切ってるわよ」


 攻撃を避けた勢いを利用し、リリは彼らの背後に立つ筋骨隆々の男の懐まで刹那の内に間合いを詰める。振り上げた杖の先は巨漢の眼球を目指す。


「その身のこなし、見事だ。続けばの話だがな」


 しかし意図を悟られ、半歩距離を離される。そのカウンターに男は虚空で中指を弾く。


「永続デバフ、『連続弱攻撃デコピン・ラッシュ』」


 空を切る指の延長線上、リリの眉間に突如鈍い振動が到達する。ただのデコピン程度の威力に関わらず、連続して彼女の頭部にインパクトを与え続ける。

 次第に頭を槍で押されるかのように、リリの体が後退する。両足を踏みしめながら少女は必死に頭で力を押し返す。


「くっ、頭ね」


 絶え間ない微弱な衝撃が頭蓋骨を振動させる。三半規管の異常を気合で制し、その僅かな間にリリは魔法を捻じ込む。


「神聖魔法、風前の迷迭香まんねんろう


 水を弾くようにデコピンの力がリリの周囲に受け流された。草原に咲く花如く、断続的な衝撃が逃がされる。


「食えねぇ女だ」


 巨漢は両の指を鳴らし、いやらしい目をリリに向ける。


「つーかよォ。なんでオレらあんな女の相手してんだ。放置してるほかのガキは、生意気な凡人は!」


「察しが悪いですねぇ。あの小娘がいるから外に出られないんですよ」


「結界、だけじゃなさそうだな。魔法か何かで弄って、俺らのダンジョンを逆に利用してるってことか」


 ここまでの戦闘において、リリは襲撃者五人の足止めに徹していた。それは応戦のみならず、身を置くこの星海の異界に結界を張ることで彼らの逃げ道を封じていたのだ。


「お生憎様、時空間は専売特許だったのよ。アンタらをここに留めておく程度なら、これしきの結界なんてわけないわ」


「吠えやがる。だがそんなご立派な魔法、いつまで持つのかねぇ」


 巨漢は腕を振り上げながらまたも指を弾く。両手の四指、計八つの指先から断続的な衝撃が再びリリを襲う。


「どうした? 表情だけじゃなく、ふざけた喋り方まで崩れてきてるぞ」


「人の化粧に口出しする男、モテないわよ」


 少女の頬は切り傷と流血で赤化粧が施されている。だがその目に絶望の色は映っていない。


 リリに下っ端三人をあてがう間、一つの廃ビルの屋上から残る二人の帰還者は見下ろしていた。

 マントの中に暗器と魔道具を仕込む白肌の男は状況の変化を観戦し享楽にふける。好気的に戦場を眺める奇術師へ、真紅髪の剣士は問いかける。


「あなたは参戦しないのですか?」


「少しでも温存したいのは大将も一緒でショ。ボクちんは元魔族だから、アレみたいな神聖属性持ちとは極力戦いたくなーいノ」


「合理的ですね。てっきりもっと好戦的かと」


「それにあの女、本来の実力はあんなモンじゃない筈だヨ。この結界の外でも召喚獣を使役していル。おそらく人質の保護かナ。この状況がなかったら、殺されんのはあの三人の方だったサ」


「本当に抜け目のない方です。先に同盟を組んで正解でした」


 一進一退の攻防が繰り広げられる中、戦闘は激しさを増していく。


「雑用スキル、始業の用。『シュレッダー』ァァァァァァ!」


 成人男性の膂力に加え、回転する風の刃がリリの腕を斬りつける。魔力防御で間一髪切り飛ばされずに済むが、動脈を切断されながら少女の身躯が投げられる。

 壁に叩きつけられ一面に鮮紅色の水が飛び散った。全身を駆け抜ける痛みに悶える間もなく、薄紅の花は魔法を編む。


「神聖魔法展開、娼妃のアスナロ」


 淡く輝く鱗状の葉が彼女を匿い、無防備な身を覆う天蓋を形成した。


「防護結界だァ? 小賢しいってんだよォ!!」


 リリとの間を阻む障壁に向かい、三者は各々の打撃とスキルで直接攻撃を浴びせた。三方位からの集中砲火に結界表面から削り取られる。アスナロは軋んで末端から消滅が始まる。

 しかしそれは少女の策に支障はなかった。


「戦いっていうのは、相手の行動を裏まで読まないとこうなるのよ!」


 叫びと共に地面へ魔法陣が投影される。陣の内部に侵入した男らは稲妻を纏うツタに全身を縛られた。抵抗する力に呼応して植物は彼らを締め上げる。


「クッ、拘束魔法!? いつの間に」


「このタイミングかよ!」


 杖を突き立て、リリは肉体が許容する最大量の魔力を術式へ流し込む。


「神聖魔法、主神の意」


 閃光が三人の体を貫いて、彼らの内を流れる魔力が蒸発させた。神経を辿って魔力は駆け上がり、脈を打って全身が焼け爛れる。


「あづづづづづづいっでぇぇぇぇぇぇ!」


「これ、はっ……」


「力むな! 惜しいが魔力は体外へ逃がせ」


 巨漢の指示に従い、彼らは魔力を大気中へ放流する。途端に拘束魔法が解けて魔力蒸発も収まるが、即座に動ける状態ではなかった。

 攻撃を無力化させた間を突いてリリは距離を離す。風魔法を足元に射出して、彼らの射程圏内から逃れる。


「クソアマ、殺してや――」


「いやよく見ろ。その必要はねぇ」


 少女の体から力が散って消える。異世界の覇者達を相手取ったのだ、限界なんてとっくに超えている。受け身もまともに取れないまま、身体を地面に打ち付けながら転がった。薄紅の髪は土埃ですっかりくすんでいる。


 それと同時だった。彼女の結界で分断されていた異界の境界が音を立てて破られる。亀裂の向こうからその青年は姿を現す。


「リリ、遅くなった」


「アス、ハ」


 虚ろな目で名前を呼ぶリリの元へ駆け寄り、アスハはその腕に少女を包む。


「ごめん、ね。きて、くれたの、に……」


 今にも消えてしまいそうな声を最後に、リリはアスハの腕の中で眠りに落ちる。消耗したその華奢な体は魔力を多量に失ったせいか、奇妙なまでに軽くなっていた。


「リリ、終わったらきっと綺麗な布団の中で目が覚めるから。今は安心してほしい」


 弱くなった心音を布越しに感じながら、リリの身に新たな秩序なきルールが追加される。


その身に片時の休みあれステイ・ナイト


 絶え絶えだったリリの呼吸が完全に止まる。心臓も、流血も、細胞分裂も、生命活動における全てが。しかしそれは彼女の死ではなく、肉体の時間停止だった。

 突如乱入したアスハの行動に、小柄な帰還者が怒声を上げる。


「クソガキテメェ、オレらの獲物になにしやがった。せっかく昂ってたところなのにィ!」


「仮死状態にした。これ以上彼女が傷つくことはない」


 ――ステイ・ナイト。それは生命活動の一切を一時停止させることを代償に、『限りなき無秩序アンリミテッド』で肉体状態を保存する緊急処置技術。

 リリとツムギに付与されたルールは、心肺蘇生法に相当する刺激あるいは無島総吾の『空想回帰』で解除される。

 無論、それまでに彼女らの肉体損傷が一部でも発生した場合は、肉体は再び死のカウントダウンを進める。


「今から制裁を与える。逃走でも投降でも戦闘でも、好きにして良いよ」


 声音に熱量はなかった。凪のように穏やかで、憤怒の揺らぎは存在しない。それゆえアスハの目に宿る意志は殺意と呼ぶには及ばなかった。


「俺の行動は変わらないから」


 虫を駆除する、雑草を狩る、埃を払う。それに激情を抱く人間などいない。アスハの目には排するべき物体が五つ、うるさく音を立てている程度に過ぎなかった。


「まっさか、オレらと戦うつもりかよ。状況分かってねぇのか?」


「英雄なんてそんなところでしょう。と、経験に基づいて一応発言させていただきます」


「どっちみち関係ねぇだろ。鏖殺しちまえばな」


 前線の三人衆が血を滾らせる一方、全体を読む後方の二者の表情が初めて険しさを見せる。


「状況が変わったネ。どーしよ大将」


「撤退はまだです。貴方は警戒を解かずいつでも迎撃可能な態勢を。ここで彼の力量を把握しておきたい」


 気配の遮断を強めながら二人の強者は戦況に目を凝らす。地上では血気に溢れた男達がアスハの首を欲していた。


「処刑の時間だ。かかってきなァ!」


 彼の胸が怒りで掻き乱されることはない。ただ冷ややかな意志が灰燼に宿るのみ。


「似たことを吐くね。俺が殺してきた屑共と」


 処刑人の手に躊躇いなど備わってはいない。

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