第十一話 誅殺

 仮死状態に加え防護の秩序ルールを付与することでリリの脅威は凌がれる。共に灰燼の瞳から温かみが失せた。

 その冷ややかな眼差しは異界の廃ビル群を凍てつかせんばかりだった。


「はン。少しはまともな遊び相手になりそうじゃねぇの」


「捉え方は自由で構わない。俺はただ殺しにいくだけだから」


 怒りも狂気もないその声音はひどく冷たいものだった。闘争心に満ちた三つの視線を気にも止めず、謀りも意図も何もない感想をアスハは口に出す。


「それにしても、よく戦闘中に武装解除できるね」


「あアン!? どこをどーみたらンなこと言えんだ?」


 噛みつくジャケットの小男は敵意を全開に吠えていた。その熱が一息で飲まれることを想像もしないまま。


「どこもなにも、ね」


 刹那、その吐息が小男の細い首を撫でる。

 彼らは誰一人として目を離していなかった。たとえそれが瞬間移動であろうとも、魔力で即座に察知するだけの実力が三人には備わっている。それでもなお、背後に移動したアスハに対応できるだけの反応速度が帰還者達にはなかった。


「はやッ、見えな」


 後ろを振り向く最中、男の言葉の先は永久に遮られた。小柄な男の身体はその芯を抉られる。胴から切り離された四肢だけが虚空に留まっていた。


「ハ?」


 驚嘆の声が上がったのは、それぞれの腕と足が地に並べられた時だった。一人の異世界帰還者だった残骸が戦慄を感染させる。その恐怖を彼らに伝えるのは鼻を突く鉄の臭いだけで充分だ。


「……ハッハ、ガチか」


「い、一撃で……腐っても彼は、私の世界のSS級に並ぶ実力者なはず」


 アスハとの対面から一分足らず、彼らはようやく体感する。目の前にしたその青年が、異世界で相対してきたどの強者をも一蹴する怪物であることを。自分達の首を落としに来た処刑人であることを。


「そうか。その程度の世界なのか」


 異世界より凱旋した戦士たちにその言葉が重くのしかかる。

 アスハの力を畏怖する頃には次の攻撃が仕掛けられていた。三人衆で参謀を気取る男のメガネは頭蓋の骨ごと握り壊された。

 潰され亀裂が入った肉からは脳神経が飛び出し、差し出すようにアスハの手へ直接接続される。脳漿を焼き尽くす灼熱が男に走った。


「あ、が、ぁ……脳を、ちょくせつ」


「インテリみたいだったから、脳は鍛えられてるのか試そうと思って」


「ギ」


 加熱された脳みそは溶解し、彼の体内は電磁波で沸騰していた。茹で上がった共犯者の死体を目にして巨漢の顔から冷静さが失われる。


「『弱斬撃デコピン・スラッシュ』ッ!」


 見えざる刃が撃ち抜かれる。それはアスハの頬まで接近するも、纏う大気の層が不可視の斬撃を跳ね返す。


「……子供だまし」


「無傷はダメだろ、そりゃ」


 その帰還者は初めて、獣と対峙する。狩り殺してきた魔獣や怪物ではない。太刀打ちの敵わない本当の意味での猛獣との争い。隙は死と同義である。


「出し惜しみは命取りだな。そんなら使いたくねーが、死ね」


 眼球に高圧がかけられる。血が滴るその瞳の核から、。指向性を持つ死の概念は男の命を弾丸に撃ち放たれる。

 だがそれはアスハの命に何ら影響を及ぼさない。彼は眉の一つも動いてはいなかった。


「……おい、なんでだよ。俺の『死視壊生ししかいせい』がどうして効かねぇ。代償付きの即死スキルだぞ、強制的な概念スキルだぞ!?」


「お前の言う概念スキルは魔力や類する力で発動されることがほとんど。それさえ抑えれば、『限りなき無秩序アンリミテッド』以上の概念スキルはない」


「……で、『弱攻撃大砲デコピン・ミサイル』ッ!」


 右の五指から放った攻撃は巨漢の生涯で最大級の威力だった。その筈だ。

 だが何も破壊されなければその攻撃は無いに等しい。貫通するその衝撃は新たなルールによろ真っ向から相殺される。


「やめ、やめろ、来んじゃねぇ。俺は、おれは英雄だ。大勢救って来た人間なんだって。殺さないでくれ、もうこんな真似しないから」


 命乞いは男の体を貫いた音で止む。肘の先までその男の体内に差し込まれていた。貫通した腕に腸の生温かさがまとわりついて、


「腹ァがああァァァァァァァァァァ――」


 捻じ込まれた腕は五臓六腑をまさぐる。逃げ場のない痛みが容赦なく男に降りかかる。

 五臓腑は膨張とともに神経を一層に張り巡らせながら増殖する。六臓、七臓、八臓、九腑、十腑、十一腑と無意味に痛みを得るためだけの臓器が生み出される。


「ィ、ンジイイィィィィィィィィィィィ」


 壊される痛みと細胞分裂の痛み、相反する二つの痛みが与えるダメージは計り知れないものだった。溢れた臓物は腹の傷口を破り、食道の門二箇所からも零れ出る。


「一度は世界を救った英雄なんだろう。なんでここまで堕ちた」


 今まで表層化していなかったアスハの怒気がその片鱗を見せる。

 内臓が肉の倍以上まで体積を増やした時、男だったものは人とは思えない姿で息絶えていた。


「仲間が殺されても傍観とは、集まりのレベルが知れるね。そもそもまとまりもないか。利害の一致で組んだ関係なんてそう長続きするものじゃない」


 此度の襲撃で前線として投入された三人の異世界帰還者。かつて異世界で名を馳せた彼ら全員が、別次元に立つ灰の処刑人に為すすべなく葬られた。

 しかし一部始終を安全地帯から見下ろしていた主犯格二人から返ってきたものは、嘲笑と落胆だった。


「はっはっは、つっヨ! あいつチートってやつじゃン。どうするよ大将?」


「ふむ、撤退しましょう。リソースを魔獣に当てがった今回では分が悪い」


「誰が逃がすって?」


 アスハは鼻先が触れる寸前まで、呼吸も置かずに接近した。容赦などない正面からの超速不意打ち。にも関わらず、襲撃者両名の目はアスハの姿を正確に捉えていた。


「怖ェー! ちょっとちびっタ。死神みたいな顔だナ~」


 不意打ち対策のスキルか、半自動的に発動したそのバリアはアスハの動きを一時停止させる。その反応速度にこの防御力、先の帰還者とは比較にならない猛者であるとアスハは直感した。

 だがバリアはそう強固なものではなく、表面から徐々に砕けながら掘り進められる。


「マジかヨ。ボクちんのスキルでも削られるんダ。咄嗟に出したのが魔術だったら消し飛んでたネ」


「ですがこちらの術は間に合いましたね」


 剣士の笑みには確信したものがあった。そう裏付けるように、地面から沸き上がった汚泥が彼らに覆い被さる。泥の中へ食われて、魔力がどこかへ飛ばされていく。


「残念だが、撤退する。そう遠くない明くる日、私達はまた剣を交ることになろう」


「待て。その命、ここで置いて逝け」


「攻撃は無意味、この転送魔術は発動時点で転送を終える。今見える姿は干渉不可の残像。諦めた方が賢明だ」


 バリアの障壁を砕き、その残像に触れることでアスハはその言葉が事実であると理解する。


「次に相まみえた時は正々堂々と屠り去ろう。それまでに私達の名を覚えて来ると良い」


 微かな怒りを取り戻したアスハの瞳に憎悪が宿る。睨み付けるその視線をひらりと躱し、襲撃者二名は己の名前を残して去った。


「幽谷の奇術師、魔人王デルネウゾ。そんじゃまたネ~」


「紅き剣聖、グリフェルト・ネビレウス――」


 秩序無き一矢でさえ、その喉元は遥か遠くにあった。



 ※



 千景学園から嵐が過ぎ去る。異界化された空間は元の校舎へ戻り、生徒は皆無傷で『限りなき無秩序アンリミテッド』の力で眠りについている。ただ数名を除き。

 襲撃発生からほどなくして、現場にいち早く無島が到着する。警察が到着するよりも早く、アスハ達を探して校舎内を駆け巡る。


「凛藤、無事か! 他の子らは――」


 その惨状を目にし、無島は言葉を失っていた。


「二人はここに」


 アスハが抱き寄せた友の体に生気はない。毒牙に侵されたツムギの皮膚は藤色の斑点にまみれ、血濡れのリリは散りかけの花弁のようだ。

 諸行無常の因果から切り離されたように、彼らの時は凍結されていた。


「ここで何があった。いや今は良い。とにかく病院だ」


「二人をスキルで仮死状態にしました。応急処置です。AEDか無島さんのスキルで、じきに目覚めます」


 青年の言葉に感情の介在はない。彼らの身を預けながら淡々と、情報だけを羅列する。


「襲撃者は異世界帰還者の五人。内三人を殺し、二人を取り逃がしました」


「なんだと……了解した、そいつらの特徴と能力をあとで教えてくれ。すぐに対処へ向かって」


「大丈夫です、その必要はありません。このままやつらの足取りを追います」


「は? おい、凛藤ッ」


 彼が口にした時、スキルは発動していた。空気の中へ溶けていくようにアスハの体は無色透明に変化していく。灰が風に流されるように青年の身は遥か遠くへ転送される。


「二人に伝えて下さい。異世界帰宅部は退部すること。それと――」


「待て、アスハ!」


 その術、その意志は無に還らない。言葉を置き去りにして灰燼の体は闇へ希釈する。透けていく青年の頬を血の混じった露が伝った。


「俺のせいで、傷つかないでくれと」


 ――その場に一滴の涙だけを取り残して凛藤明日葉の消息は完全に途絶える。

 異世界帰還者を起因とした史上最悪の事件、千景高校襲撃はこれにて幕を閉じた。

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