第一話 異世界帰還者
通勤の車のエンジン音、小鳥のさえずり、学生がぽつぽつと歩く歩道。
ほとんどの人にとってなんの変哲もない一日の朝。散歩するには良い天気だった。
変わったことといえばそう、ほんの小さなアクシデントのみ。
「あ、ネコが」
迫るトラックを気にせず飛び出した白い猫。飛び出すタイミングが最悪で、車は確実にブレーキが間に合わない。
「とりあえず、姿は見せないようにするか」
そばで見ていた学生が一人、そんなことを呟いた。
「――、ステルス」
トラックは後続車の追突を恐れ、止む終えず速度を保ったまま前進した。
「ンニャ―!!」
猫自身も衝突を覚悟してか叫びを上げた。だがその間、猫の体は浮遊してあっという間に歩道まで移動していた。軽いボールパスのようにぽすっと。
「……ンナァ?」
「間に合って良かった」
猫も何が起きたか分からない様子で、ンニャ~と小さく鳴いて固まっていた。そして学生の顔を拝んで初めて、猫は自分が抱き抱えられていると悟る。
その無事を確認した青年は朗らかに笑った。
「うん。怪我は無さそうだね」
彼、
助けた猫はアスハへすっかり懐き、抱かさりながら頭を彼の腕に擦り付ける。彼の手に撫でられながらゴロゴロと小気味良い声を鳴らしていた。
「ンナ~」
「頭だけ、それもMの字に毛が黒くなってる。面白い柄の野良だなぁ」
「あれ、今ネコが渡ってたような……あっ。キミ~?」
戯れるアスハに声をかけたのは通りすがった背の高い黒スーツの男性だった。その人は足を止めず、すれ違いざまに話しかける。
「そのネコの飼い主か? 目ぇ離すと轢かれちまうから気ィ付けとけー」
「はーい、すいません」
一言やり取りを終えると男性は何事もなかったように去っていく。アスハは男の自然な反応にほっと胸を撫で下ろした。
「周りからもちゃんと見られてないみたいだね。さて、どうしようかな」
男性が去った後、アスハは少し瘦せ気味のネコの扱いに困り果てる。
よりにもよって登校途中の出来事だ。下手に帰宅や病院などにも行くことはできない。
「ま、このまま連れてけば良いか」
アスハはネコを抱えたまま学校へ向かうことにした。
「先生に一回預けても良いかな。体育の先生が前にも犬を学校で保護してたような」
始業時間前までに先生を見つけられるか、なんてことをアスハはぼうっと考えていた。
その一部始終が目撃されていたとは知らずに。
「ツムギ、今のってまさか……」
「間違いない、アイツもきっとそうだぜ」
木陰から同じ制服姿の男女二人組がアスハの動向をジッと追っていた。
※
朝の出来事を除き、皆にとって至って普通の一日が流れた。放課後を告げるチャイムが鳴り、アスハは筆記用具一式をスクールバッグにまとめる。
「よっす凛藤、さっきの小テストどうだった?」
「九割は頑張っていけた。最後でケアレスミスしちゃって」
「マジかよお前、問三番解けたの!? あれ正解するってめっちゃ勉強してんじゃん」
「最近はちょっと勉強の調子が良くてさ」
クラスメイトたちはアスハの小さな変化に敏感に反応していた。
「凛藤急に成績良くなったな。塾入ったんかな」
「なんか前と雰囲気も変わって落ち着いたよな~。大人っぽくなったっていうか」
「でもずっと楽しそうにしてんだよ。ついに彼女でも出来たか」
「うそまじ!? 凛藤にも先越されんのかよぉ」
根も葉もない噂に「流石にまだいないよ」と一蹴してアスハは教室を後にする。職員室へ足を向けながら彼の脳内は野良猫の扱いについて思う。
「さてと、預けたあの猫はどうするんだろ。引き取り手がいなかったら俺の家で飼ってもいいんだけど」
その独り言を盗み聞くように、アスハの視界の端で白い何かが横切った。その物体は螺旋状に旋回してゆっくりと彼の手元まで降下する。
反射的に手を下に出すと掌に一機の紙飛行機が着陸した。
「紙飛行機? 何だろこれ」
手に取って紙飛行機をまじまじと見ていると、紙に書かれた文字を発見する。
開くとそこには『凛藤君。これ読んだら、物理準備室、来て』と短い文章がそこに記されていた。
廊下を見渡すも誰かが投げた素振りはない。
「誰だ。そもそもあんな軌道で飛んで、ピンポイントで俺に届くなんておかしい」
いかにも不可解で胡散臭い代物。だがアスハは構わず手紙の場所へ目的地を変える。わずかな警戒心だけを装備して。
※
「物理準備室、はここだね」
普通教室の三分の一程度しかない狭さ、死角になりやすい特別棟の角部屋。
怪しさは満点。待ち伏せかいたずらか、なんて考えることもなくアスハは躊躇いもせずに扉を引いた。
「失礼します。この手紙って――」
「あっ、本当に来てくれた!」
「マジで!? おっしゃあ!」
男女が歓喜する声と同時に二発のクラッカーが鳴り響く。その中からはパーティー用の派手な紙テープが飛び出した。
「待ってたぜ。手紙ちゃんと読んでくれてありがとうな!」
「ようこそ! アタシたち異世界帰宅部へー!」
「……はい?」
色紙と紙吹雪にまみれて呆然とする中、聞き覚えのある鳴き声にアスハは耳を疑う。
「ンニャ~」
クラッカーの紙テープと紙吹雪が散った床を昼間の猫が歩いていた。
この部屋そのものがアスハにとって二度目のアクシデントとなった。
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