第十八話 神に至った人でなし
崩壊なんてものは一瞬だった。
肉としか認識できないほど粉微塵になった仲間の死体、守るべき民のいた城壁の国、その土地に生えていた美しい植物。
その全てを消したのは他でもない、自分だ。
「はっ、はぁっ、はぁっ、はぁ――」
逃げ出した。受け入れがたい現実から逃れるため、仲間の遺体だけを埋葬して自分も死んだことにした。冒険者としての身分を捨て、魔族討伐を遂行する復讐者として機能を果たそうと身を捧げることを誓って。
仲間と国を守れなかった俺は贖罪として、魔王打倒だけを目標に戦い続けた。
――幼子の声が、魔獣の雄叫びを潜り抜けて耳に届く。
「兄ちゃん、たすけてぇ……」
「待ってて、今助けてるから」
冒険者時代に偶然立ち寄った、小さな農村。俺の顔を覚えてくれていた子供が、必死にその手を伸ばして助けを求めていた。
既に全身が焼け爛れて、呼吸も絶え絶えな幼子を前に涙は堪えられなかったよ。
「……っぃ、よ」
「大丈夫、間に合うから。きっと間に合うから」
獣害にあった村の建物は無惨に倒れ、踏み潰された傍から遺体の肉を家の炎が焼く。まだ生きている者も瓦礫の下か、獣の口の中。
地獄はそこにあった。あんな悲痛な叫びは、地獄以外にあってはならない。
「あの時と同じように、してたまるかァァァァァァァァ!」
燃え盛る炎を掻き分けて、黒く身を焦がした子供を抱えたまま走った。その命の火が消えぬよう、祈るように。
「くっ、うぅぅ……!」
間に合わなかった。自分の力を恐れて使うことを躊躇い、その村は魔獣討伐目前にして滅んだ。
黒く焦げた子供の肉は、赤と黄色が染み出た異臭の体液が滴っていた。
――天を衝く巨木の頂上で、数奇な出会いがあった。
「お願いしますッ!」
「別のやつに言ってくれ。俺ができることなんて何もない」
「ですがアスハ様、全てを承知の上でどうか俺を弟子に!」
※※※※という馬鹿真面目な弟分。特別なスキルはなかったが魔法の才に溢れ、人から愛される人柄だった。
断り切れずに結んだ仮の師弟関係とはいえ、可愛い弟子に違いなんてなかった。
それはある夜、魔族の奇襲を受けた日のこと。雑兵を蹴散らし、負傷した弟子を治癒しながら拠点を逃げ出した。
幸いなことに、魔族から受けた傷は彼の致命傷にはならなかった。
「間に合った。今回はちゃんと助け出せた。なあ、※――」
気付けば抱えていた愛弟子の呼吸は止まっていた。原因は付与したルールの定義ミス。咄嗟に逃げた際の速度に彼の身体は耐えられなかったんだ。
「うそだ、おまえまで、こんな……」
故郷の土に弟子の亡骸を埋めた日、俺は一人で生きることを決めた。
その罰なのか、世界は俺に本当の孤独を教えた。
「公爵! 公爵っ! 俺です、アスハです!」
「おぉ……とも、よ。やっとかえってきお、った――――」
「そんな、公爵。待って、どうか目を、開けてください……」
俺が一人で魔族に対抗しようとした結果、取り逃がした残党が朋友の領地で大虐殺を起こした。彼に一目でも会って話していれば、それは防げた悲劇だったんだ。
この時には既に俺を召喚した国は滅んで、彼だけが唯一の友だった。
友の痛快な高笑いはどこからも聞こえなくなっていた。
「――もう、俺が関わってはいけない。これ以上は、みんな死んでしまう」
世界は俺に逃走を望まなかった。俺が行方を眩ませてしまったことで、俺の名を盾に魔族から守っていた国も落とされた。
人らしくあろうと存在することを辞め、世界を守護するだけの防衛装置にもなろうとした。
「どうして、どうして俺は……俺はァァ! 何もかも間違えるんだァァァァッ!」
俺の意志に反して過剰な成長を続けた『
重力場と空間を占める大気の異常。燃えながら空へ落ちていったある地域は、ほどなくして地図から消えた。
――守るべきものも見失い、間違いを引き続けた俺はいつしか止まれなくなっていた。
肉が飛び散る、赤い血がはねる、悲鳴と瓦解の音だけが響き渡る。それが魔族の集落を俺が襲撃した時の光景。
「奴だ、人類の生き残りだ!」
心もとっくに壊れたまま、ひたすら魔族を殺した。感情は闘志以外を捨て去って、魔獣も獣も害虫も岩も木々も植物もみんな全て巻き込んで。犠牲者に目をやらないよう、殺意で視界を塞いだ。
人類と共存できたかもしれない魔族まで。罪のないこどもたちまで。等しく殺戮した。
「子どもらだけでも逃がせ!」
「待ってくれニンゲン! 俺らはお前たちになにもしてない」
「魔族も魔王軍だけじゃないんだ。この村は誓って人を――」
彼らと人類の禍根も確執も一切解消させることなく、俺が起こした行動は慈悲の無い暴力だけ。
「お前の憎しみは、まだ言葉も話せぬ子供らにまで向くのかァ!」
――違うんだ。彼らの言葉は入らなかった。憎かったからじゃない。盲目的だったからじゃない。感情が消えると思考が停止するんだ。
人間という生物の構造として、心なく体を動かしていると次第に考える機能を失う。
悪夢をただ眺めるように、全ての事象を他人事のように体感するだけの装置となる。
だから耳に入っても知覚できない。全てが終わって目が覚めるまで。
スキルか、それとも俺自身か、ブレーキが効かなくなってからずっと虚ろな意識の中で悪夢を見ていた。悪夢を作り上げていた。
頭も心も壊れ、かつての人の名前や顔の記憶は失ってしまった。きっとこの間にも、生き延びていたかもしれない人達も俺の力の被害で死んでしまった。
長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い、暗い、痛い、寒い、暗い、長い、長い、暗い、眠い、熱い、暗い、寒い、痛い、痒い、長い、暗い、痛い、寒い、暗い――――――――
「――――――――――――――――――――――ぁ」
能力の暴走開始から約十年、魔族の絶滅をもって目的を達する。魔王を殺害してから数日後、朧だった俺の意識と感情が封を切ったように復活した。
「……あっ、あ。ああ、ああぁ」
蹂躙の結果、俺が転生した異世界では全魔族、全人類、全文明、全生命が死滅した。
『
世界からは俺以上の標高が消えた。
ただ一つ、最後に作った魔王と幹部達の死体の山を除いて。
「……ね。しね、しね、死ね、死んでしまえ、おれなんか――」
許しを願うよう、それでいて自分を罰するよう、涙を溢しながら自分の首を締め上げた。
自決しかけたその瞬間、身体が溶けるように周囲から光が溢れて身を包んだ。
それは魔王討伐を目標に組まれた召喚術式は終了した合図。役割を終えた異物である俺は光の中へと意識は吸い込まれた。
その最中、何もない世界で脳にある言葉だけが浮かんだ。
『おめでとう。キミはあの世界で全ての存在を超え、神に至った』
こんなものが賞賛だと言えるのか。こんな醜く矮小な神があってたまるか。所詮、神なんてのは名ばかりの称号。この身は命は全能でも清廉でもない、壊れかけの余り物だ。
『神に至ったキミは、何を願う?』
その問いかけに迷いはなかった。
「俺を、殺してくれ――」
飽和する意識の中、俺の全てが崩壊した異世界から去った。
異世界に生きた全存在を殺しきって俺は、何の比較も賞賛もされない英雄未満の破壊神となって転生後の人生を終えた。
何一つも守れないまま、無謀に目指した夢を成し遂げられないまま。
――これが凛藤明日葉、神に至った人でなし。
世界を壊し尽くした英雄未満の灰燼が出来上がるまでの物語。
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