第二十六話 目指した空は異世界の彼方

「あれ、またツムギは休み?」


「街のパトロールなんだってー。部活には顔出すらしいけど」


「なんだかこういう日が増えたね」


 三日連日の休み。夏期講習も差し迫った予定もないはずの、部活活動日。この日もツムギの姿は部室に無かった。


「昨日も結局、来なかったしね」


「今日は来るって言ってたんだよ~? 別にキッツい運動部じゃないんだし、サボるとしても連絡くれればいいのに」


 むくれ顔のリリは愛猫の肉球をぷにぷにと触り、不満を解消しようと癒しを求める。ネコはあまり快い顔はしていないが。


「……ねえリリィ、ツムギってもしかして――」


 アスハが言い淀んだ直後、パリンッと甲高い音が部屋中を巡った。割れた窓ガラスが床一面に散らばる。


「きゃあ!?」


 割れる音と同時に窓を突き破った何かがテーブルの上に着地する。埃舞う室内で二人は転がり込んできたそれを、その人物の顔を見た途端に声を上げる。


「ッ、ツムギ!」


 全身を赤黒く染めて伸びているツムギがそこに

 頭部や顔中から多量の血を流し、魔力もほとんどなく、手足は打撲や裂傷が酷い。呼吸もしている様子がなく、瀕死寸前の体。常人は当然、異世界帰還者から見ても酷い有り様だった。


「なにこの酷い出血、気も失ってるじゃない!」


「応急処置だけなら俺のスキルで間に合う。リリィ、回復魔法はどの程度まで治せる!?」


「流石にここまでぐちゃぐちゃなのは治せない。こんな状態だと、下手に傷を回復させても感染症と体力切れが怖いわ」


 アスハが『その身に片時の休みあれステイ・ナイト』による仮死状態措置でツムギを手当てし、リリが魔術で病院まで転送した。



 ※



「すいません無島さん、お仕事中にご迷惑をおかけしました」


『ったく。自分のスキルで今回は戻ってこれたみてぇだが、赤原のやつ、失血死寸前だったぞ』


「今の状態はどうですか?」


『余すとこなく重傷だ。さっき目を覚まして、命に別状はないらしいが、主治医いわく絶対安静だと』


 通話越しでも分かるほどの深い溜め息がアスハの耳を撫でる。


 ツムギを病院へ担ぎ込んだ帰り道、気が付けば日も沈んでいる。

 彼の世話や家族への連絡等はリリが一度担当し、アスハは翌日に見舞いへ行くと彼女に約束して別れていた。


『目が覚めたらそのバカに言っとけ。無茶に働き過ぎだってな』


「それってまさか、ツムギが言ってたパトロールのことですか?」


『ああ。最近、赤原が敵対帰還者と魔獣の七割以上を単独で狩ってやがる。こっちとしては助かっちゃいるが、これ以上は監督役として看過できん』


「ツムギ、なんでそこまで」


『明日になったらキツイ説教だな。異世界じゃ英雄だったとしても、今はただのガキ。それを本人が自覚出来てないまま、気持ちだけで体動かしちまってんだよありゃ』


 厳しくも的を得た無島の見解が語られていた最中、スマホの向こうからリリの切迫した声が響く。


『無島さん大変!』


『次から次に、どうした』


『ツムギが病室にいないの! 病院抜け出しちゃったみたい』


『ハァ!?』


 会話を耳にしたアスハ、それが何を意味しているのかを理解した。


「ツムギ……!」


 背中に嫌な汗を感じたアスハは即座に走り出す。

 スキルの最大速度まで用い、一心不乱に街を駆けた。ツムギの弱まった生命力と街を徘徊する魔獣の魔力を辿りながら。



 ※



 包帯だらけで息も絶え絶え、今にも倒れそうな影が夜道を彷徨っていた。病院衣を着て歩き回りながら、ツムギは自身の道のりを懐古する。


「ハァ、ハァ、いてぇ……けど、大したことねェな。魔神官の呪いとか、アルベスの霊墓に落ちた時の方がよっぽど辛かった」


 一般人であれば失神ではすまない痛み、一定周期で意識を削がれるほどの激痛がツムギを襲う。

 だが彼の体は、彼の記憶は、その痛みを覚えている。そして乗り越えてしまっている。今の肉体では乗り越えられないというのに、彼の魂が記憶頼りに乗り越えさせようと鞭を打つ。その代償に傷の一部が開き始めている。


 そんな格好の的を魔物が見逃すわけもなかった。当然、ツムギに引くつもりも一切ない。


「先週からだなァ、帰還者より魔獣が多い。SS級ダンジョン、いや魔竜山脈を思い出すな」


 意識も半分朦朧としているにも関わりなく、ツムギは夜を荒らす魔物の前に立っていた。

 鉄の毛皮を纏う巨狼の魔獣は彼を見下ろしながら、涎を垂らした口で吠える。


「脅してんのか? 無駄だよ。こっちは今更、失うモンなんかねェんだっての」


 彼は知覚できるだけの傷に『最適化オートクチュール』でハリボテ治療を施す。回復などしていないその身を改造し、制御可能な域まで肉体を律する。

 ボロ雑巾と喩えるには酷使され過ぎた身体ながら、睨み返すその眼は今にでも獣を殺さんとぎらついていた。


「もうとっくにねェンだよオレには! この世界に戻ってきた時点で、全部パァなんだよ!」


 ――それは空に、かつて別の空に昇っていた日輪。英雄として名を馳せた世を照らした日輪の炎。異邦の英雄、赤原績を象徴する志の形だ。


 その残り火げんそうは今日に至るまで、彼の身を焼き続けていた。

 一騎当千のアスハを見て劣等感に襲われた時も、英雄としての自分を保とうとする時も、またあの世界を渇望する時も、焦げがつくまでひたすらに。


「奪おうってんなら、かかってこい――――ここが次のアルカディアだッ!」


 日輪の双眸は鋭さを帯びる。瞳の奥は飢えて、カラカラに渇いた正義感が燃え盛ってた。

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