第七話 寸刻のノクターン
異世界帰宅部として活動が始まってから二週間が経過した。のだが。
「それで、この有り様……」
リリとツムギは猫と一緒になって机に伸びていた。ツムギに関してはよだれを垂らした間抜け面でピクピク痙攣している。
「昔は『知恵の加護』にずっと任せっぱなしだったから、考え事はオレ無理。壊れる」
「おかしい。アタシが内政してた時は書類でも交渉でもパパっと処理できたのに、脳がショートしてもうダメぴ」
「リリィの国ってすぐ滅ぼされそうだなァー」
「うん。ツムギだけは血の底に送ってから逝くね」
「また転生しちまうよォー」
机上に転がる殴り書きのリストは内容のほとんどが斜線で消されている。
スーパーヒーロー作戦、マジシャン、占い師、動画投稿者など。名前に華があるものは特に濃く塗り潰されていた。
「世間にバレたらダメ。手品師路線もちょっと怪しい。パワー系は地道過ぎる。ならどうしたら良いのよ~」
「やっぱりギャンブルとか、宝くじ? リリ、予知魔法とか使えないのー?」
「予知能力はあるけど、制約があって使い勝手の悪い代物なのよ」
「でも持ってはいるんだ。リリはすごいね」
「うぅ、アスハのフォローだけが心の支えだよぉ」
使い物にならなくなったリリが呻いていると、昼寝から覚めた猫が彼女のそばへ寄ってきた。そしておやつをねだるために、M字模様の入った頭を彼女に擦り付ける。計算高い猫だ。
「そうだ、まーちゃんもいたね! よしよし、おやつに『つぅーる』をあげちゃうぞ~」
「……アレっ、なんか臭くね?」
「そうかな……ってあー! まーちゃんうんちしてる!」
「うへぁ!? ティッシュティッシュ!」
小さく「ンニャァ」と鳴いて白い悪魔は、騒ぐ人間達を鬱陶しそうに棚から見下ろしていた。
「あ、失礼しまーす。今って部活中ですか?」
「やってるぜ! ようこそ異世界き、もごっ」
「よっ、ようこそオカルト研究部へ~。なにか御用ですか?」
咄嗟にアスハはツムギの口を塞いだ。机の影で彼にリリの拳が数発入れられる。
「私、美化委員会の渡部です。ちょっとお願いがあって……」
※
異世界帰宅部三人はグラウンドの端に召集されていた。
「美化委員会の欠員代わりに校庭の清掃と草むしり、ねぇ」
「他の委員はみんな大会が近いみたいで。相談したら山岡先生が『オカ研なら暇そうにしてるから手伝ってもらえ』って言ってたから、鹿深近さんたちにお願いできないかなって」
「あんのおっさん~! 顧問になってくれたからって良いように使ったなぁ」
教師の顔を想像してリリは拳を震わせていた。
「でもいいわ。手伝わせて」
「助かるわぁありがと~。終わったらすぐ帰っちゃっていいからね」
そう言い残して渡部は掃除用具を持って特別棟の方へ走っていった。
「結局ボランティアかァー。ま、前からやってたしこういうの慣れっこだけど」
「ツムギはよく人助けしてたんだね」
「ほっとけない。ってより、少し頑張ればみんな喜んでくれたからな。ギルドじゃ討伐よりこんな依頼ばっかやってきた」
そのまま除草作業を始めようとした矢先、リリが二人を取り仕切る。
「それじゃ二人とも。練習はじめるよー!」
「練習って何を?」
「決まってるじゃない。バレずに力を使う練習」
リリの頭には既に練習メニューが浮かんでいるようだった。
伸び放題となった茂みの中を牛のような召喚獣たちが闊歩する。雑草を食っては移動し、芝生の上は丁度よい長さで整えていく。
「へェ~。リリィの召喚獣って普通のやつには見えねェのか」
「アタシが使役すると神獣扱いになるからね~。魔力の無い人間からしたら、風と見分けつかないのよ」
「そーなのか。でもさぁ、チマチマ過ぎない?」
ツムギのいう通り、使役する牛たちはあまりに鈍足で自分達でやってしまった方が早いぐらいだった。中には昼寝までしている個体もいる。
「仕方ないでしょ、力は全盛期の一割以下なんだから。そんなポンポン
「お前、元王女だってのやっぱり嘘だろ」
笑顔を固めたままリリは鎌を振り上げる。直後、延長線上にあった草がスパンと縦に切れていた。
「わぁっ、なんか斬撃飛んだ!?」
「バッカおまえ、『
「ツムギが出力し過ぎてるだけじゃない!」
ツムギとリリが騒がしく揉めているところから少し離れた位置で、アスハはスキルを慎重に発動していた。
目に見える雑草に限定して根ごと引き抜く作業を繰り返す。根の強い植物は選別し、植物のみを内部から焼く。その工程を彼は全て無意識下で行う。
「『
目に映らずとも物体の全容が把握でき、スキルで動かしているだけで触れているかのように感覚が伝わる。まさに世界の構成、流れそのものを知覚している。それはかつての彼が得ていたスキルに伴う超感覚。
「他者へのルール付与、低出力状態での使用でスキルの効果範囲がこの世界でも広がっている」
彼の胸にあるのは恐怖と焦燥だ。
「このままじゃいけない。このスキルはこれ以上、影響力を広げちゃいけない」
天変地異も世界再構築も成し得る無秩序な能力。その暴走をアスハは恐れていた。
「抑制だ。能力の行使を限定的なものにして、スキルの成長を影響範囲から精密性に誘導する」
――もう二度と、悲劇を起こさないように。
アスハは自身を中心として風を巻き起こす。宙で仰向けに横たわり、彼の体は浮かび上がる。
「ちょっとアスハ!? 体内の魔力が一気に流れてるよ!」
「おいおい、バレないようにするって話だったじゃんか」
「スキルで俺の気配は遮断しておくから。今から少しだけ、激しく動く」
肉体が重力から切り離される。舞い上がって揺蕩う様は、深海を漂うくらげか、異世界の空を泳ぐ巨鯨に似ていた。
上も下も右も左もなく、干された布のように体を動かして、指先とスキルを同調させる。その指に呼応してある草は枯れ、ある花は咲き、またある木は無駄な枝を落としていく。暖かな風が落ちた葉をさらって一箇所に集め、花弁を校舎の先まで届けさせる。
アスハはただ目を閉じて、傾く陽の光を身に受けながら感覚を研ぎ澄ました。スキルを使用しながらも彼の心には平静が訪れる。
これは闘争ではない。危機的状況でもない。ありふれた日常の中の、本来取るに足らない小さな出来事。そんなことに力を用いる。
「――生まれて初めての経験かもしれない」
それが灰の心を洗い流す。煤だらけな表面を瞬きの間だけ、かつての輝きを取り戻させる。
「こんなに穏やかな気持ちで、この能力を使えたのは」
この一時は、古ぼけた灰色のフィルムの中で鮮明に刻まれた。
※
三人が学校を出る頃にはもう夕暮れ時になっていた。部活終わりの中学生も増え始めている。
「あー時間かかったなァー」
「誰のせいだか。だいたいはツムギのせいでしょうよ。ねぇアスハ?」
「ツムギが勢いで木を倒しちゃったところまではともかく、テニス部にも見られたのはね」
「ごめんてアレは」
「根腐れって誤魔化しも、次からは通じないからね」
ツムギが二人からの一斉砲撃を受けていると、向かいからアスハの見知った黒スーツが歩いてきた。火薬と煙草の臭いは学生の鼻を刺激した。
「おう。帰りかガキども」
「ああ、無島さん」
「よっ。元気そうだな」
様子を見に来たと言って無島は三人の顔を拝む。
「この人か? アスハが前に言ってたの」
「初めまして、異世界帰宅部の鹿深近リリです。こっちは同じく部員の赤原績」
「どーも、そちらのお噂もかねがね。先日は強盗犯の逮捕協力ご苦労」
「げっ、バレてる」
「当たり前だ。元刑事の情報網舐めんな」
情報の出所を探ろうとするも、無島は「機密情報だ」の一言で押し通す。しかしその件についてはアスハ達にお咎めなしとのことだった。
「パンピーにバレんのはご法度だが、まあそれ以外は好きにしろ。こっちでの過ごし方も自分たちで模索してるみてぇだしな」
「案外優しいんだな、無島さん」
「あくまで擁護できる範疇でのことだけどな。ってことで、ハイ賄賂」
そう言って無島は手に持っていた紙の箱をアスハに持たせる。
「能力と向き合って正しい使い方探してんだろ? ならそれなりのご褒美だ」
中を開くと三人分のカップアイスが入っていた。まだ冷たいままで白い煙も出ている。牛乳の甘い香りが学生たちの鼻腔をくすぐる。
「こ、これ駅前店のアイス屋さんのだ。並んでも滅多に買えないのに」
「うんめぇ! なんだこれ、こんなにうまいジェラートなんて食ったことねぇよ」
「絶品だろ。あそこの店主は異世界から竜のミルク仕入れてるからな」
「「えっ!?」」
「っはは、冗談だよ。じゃあな、帰りに気ィつけろよー」
異世界帰宅部三名は濃厚な氷菓に舌鼓を打ちながら帰り道を共にした。それぞれ路が分かれる頃にはアイスの姿はなかった。
また明日会おうと手を振る時、このアイスの味を再び二人と共にできる和がこの先も続いてほしいと、アスハはひそかに願っていた。
だがその願いは絶望をもって潰える。
――翌日未明。異世界帰還者代表、無島総吾によってある一枚の報告書が作成される。
七月十六日、私立千景学園高校。複数人の異世界帰還者による大規模襲撃事件が発生。一時、全校生徒及び職員の安否が不明となる。
現場到着後、後述の三名を除く被害者全員が意識不明の状態で発見。いずれも命に別状はなく、目立った外傷も見られない。現在は事態の隠匿対応に取り掛かる。
千景学園所属の異世界帰還者、鹿深近リリ、赤原績。以上二名が心肺停止の重体で発見。
同じく異世界帰還者、凛藤明日葉。現在消息不明につき、最優先追跡対象に認定。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます