第三十話 聖職者 羽山詩連の信仰
「すまないな。この辺りは坂道が多くてね」
導かれるまま、アスハは神父の後ろを歩いた。
――退魔師を名乗る異世界帰還者、羽山詩連。その全貌は未だ謎が多いが、彼の心に感じた善性を信じてアスハは彼に同行していた。
「着いたよ。そこが私の住んでいる教会だ」
小高い丘の上にある教会は存外綺麗な外観だった。簡素ではあるが、十字架や時計などはしっかりと備え付けられている。
「こんな立派な教会があるなんて。さっきは宗教団体に属してないって言ってましたけど、それってもしかして表向きはってことで……」
「いーや、マジで所属してないし完全なる個人だ。経営も活動も」
「え」
「この教会も元々は別の宗教のものでね。信者数が増えて教会を移転するってことだったから、その時に買い取ったんだよ」
「じゃあつまり」
「そ。教会住みの趣味で神父してるおっさんだよ」
「下手な宗教勧誘の人より危ない肩書きじゃないですか」
「比べるならそもそも敬虔な信仰者を対象にしてはいけないよ。さっきも言った通り、私は神を信じていないのだからね」
ひとまず彼の人柄と実力は理解したものの、その独特な宗教観と感性をアスハは受け入れ切れていなかった
「すまないが、もうしばらく待ってもらっても良いかな。子供たちがまだいる。適当に中でくつろいでいてくれ」
「えっ?」
アスハが教会の入り口付近に目をやると、扉の前で学校帰りの子供たちが溜まっていた。児童らは羽山の姿を見つけるや、無邪気な笑顔で走り寄ってくる。
「おっちゃん戻ってきた! 聞いて聞いて、算数のテストで今日満点取ったんだ」
「凄いじゃないかダイキ。あれだけ計算が苦手だったのに、よく頑張ったね」
「ねぇねっ、神父のおじさん、わたしも頑張ったの! なわとびで昨日より二十回多く跳べたの」
「ハッハッハ。素晴らしいね。その努力と嬉しさを忘れてはいけないよ」
羽山は子どもたちを回って話を聞き、各々を褒め、頭を撫でる。いかにも神父のような行動を、もっとも神父から遠い男がしていた。
その光景に不思議なものを覚えながらも、その交流の温かさをアスハははにかみながら眺めていた。
※
児童の見送りと保護者への挨拶を終えて、羽山は教会の中へ戻る。先に入っていたアスハは聖十字前の最前列に座っていた。
「待たせてしまったね、アスハ君」
「意外でした。子供達だけじゃなくて、保護者からもあんなに人気があるなんて」
「ボランティアやPTA活動もしているからね。信用を獲得できさえすれば、案外受け入れられるものだよ」
神父はアスハの隣に腰を下ろす。
「それでは、聞こうじゃないか。君が抱えている悩みについて」
――異世界帰宅部とその仲間、そしてツムギとのいざこざについてアスハは彼に告白した。
「そうか、君と同じく異世界から帰ってきたお友達か。なかなか数奇な縁に恵まれてるじゃないか」
「ええ、でもそんな友達と喧嘩してしまって。人と仲違いしたことがないから、どうすれば良いかわからなくて」
「キミ達の場合は、異世界帰還者という特別な事情が絡んでいるが、本質は変わらない。自分の感情と相手への遠慮、その差にお互い苦しんでいるんじゃないかな」
それは彼の言う通りだった。アスハは改めて、自分と友が決別に至ったかを再認識する。
「羽山さんもこういう経験はありますか?」
「ハハ、偉そうに言ってはいるが、私もそんな経験が多い訳じゃない。職業柄、友も同業者も少ない身だったからね」
「さっき言ってましたよね。退魔師、って」
「……私は元より、退魔を生業とする一族の末裔でね。魔獣を滅する技術を有する、という意味では最後の継承者だ」
「退魔師の家系? 異世界で得た技術ではなく、元々この世界にそんな人達がいたんですか!」
「驚くのも無理はない。この世界には魔法も魔物も昔から実在した。こうなる前からね」
「あんな魔獣をまさか、羽山さんたち退魔師の人達だけで今まで……」
「いいや、魔物といっても君が戦っているものより遥かに弱い存在だ。悪霊、妖怪、物の怪、どれも人一人の心を追い詰めるか、一人づつ呪殺することが関の山の怪異。直接食い殺すなんてバケモノはいなかった」
「だとしたら、あの魔獣たちは?」
「つい数年前から始まった大量の魔獣発生と異世界転生者達の帰還。それが世界の均衡を破壊したのだ」
その根本的な原因については何も分からない、と羽山は語る。だがその二つの現象によって魔獣のレベルが跳ね上がったことに違いはなかった。
「二十年前、私が転生から帰ってきた頃は考えもしなかったな」
「羽山さん、異世界から帰ってきたのが二十年も前なんですか!?」
「ああ。若くて血気盛んな頃に異世界へ飛ばされたのさ」
自分らとの年代の格差にアスハは驚きを隠せなかった。
羽山いわく、「現在の異世界転生および異世界帰還のペースが異常なだけ。世界を渡る者はごく稀に古来からいた」という。
異世界転生そのものがイレギュラーな事象ではあるが、彼は自分の転生に関してはまだ正常な部類だと語る。
「この異世界転生、帰還の異常発生はいつか突き止めないとね……だがある意味好機だった。異世界での経験は退魔師として成長できただけでなく、己の人生の在り方を知った」
「人生の在り方?」
「私が神父の真似をしようと決めたのは、異世界で神と遭遇したからなんだ――神などこの世界にいない、その事実を理解したことでね」
矛盾するその発言にアスハは当惑していた。
「私の渡った世界では神も天使も悪魔も、人間に近い存在だった。その実態は人間並みの人格しか持ち合わせていない、単なる上位種族としての存在さ」
「ただの、上位種族……」
アスハの異世界においては魔族がそれに当たった。その魔族をこの場合の悪魔に当てはめて、アスハは羽山の発言を理解する。
「だから私は全能神なんていないと悟り、信じないことにした。天上の存在がいたとしても、我々個人相手に観測して慈悲や制裁を与えるなんてありえない」
「その考えは、少しだけ分かる気がします。神が全ての運命を決めているなんて思えません。思いたく、ありません」
――灰燼の心に過去が再び覗き込む。何も残らない地平線、屍の丘と血染めの地面。あの過ちだらけな選択の結末を自分以外の誰かのせいにはできない。
そうだとすれば、アスハの憎しみは形なきその神とやらのせいにしてしまうから。
贖いを求める彼の魂がそれを否定する。
「だが私は人々の心を束ねる信仰そのものを尊ぶ。彼らが信じているものとは未来や奇跡、運命という大きな概念を神という偶像に落とし込んだもの。それは決して否定すべきではない」
「神そのもの、ではない。信仰を……」
「存在しない神であろうと時に罪人の心を洗い流し、民草の心に活力を与え、愛や正しさを人の手を通じて人々へ伝えることもできる。ようは神も舞台装置にすぎないのさ」
一人の人生観だとは思えない、聖書の読後感に似た感覚をアスハは得ていた。
「だから神父の真似事で、私は人々へ一助の手を差し伸べる。神や信仰の有無などどうでも良い。ただのエゴで私は誰かに前へ進める力を分け与える。これが自分の役目であると、異世界に行ってようやく悟ったんだ……」
ステンドグラスに映る天窓を見つめ、羽山はその真理を語り切る。
神父らしからぬ信念を持ちながら、その精神はどの聖職者にも劣らない気高さを誇っていた。
「少々、自分語りが過ぎたな。君の相談だというのに。ハハハ」
「いいえ、お陰で少し元気をもらえました」
「そうか。それなら何よりだ」
「……羽山さん、お願いがあります」
「ほう、何かな?」
「――俺に、あなたの戦い方を教えてください」
アスハの決意には今、自分の在り方への答えを求める思いが内包されていた。
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