第二十九話 聖職者 羽山詩連の邂逅

 部室を後にして通学路を歩く人影。西日で伸びる影は一人分の姿しかなかった。


「……今日もダメだったか」


 アスハと仲違いしたツムギが姿を消してから、実に一週間が経過していた。病院から退院したとの連絡を受けたまでは良いが、その後の彼の足取りが一向に掴めていなかった。


「こういう時、どうすればいいか知らないんだよなぁ……」


 アスハはただ己の無力さ、やるせなさを嘆いていた。彼が対立してきた存在は、常に敵対者だけであったから。


「喧嘩、したことないんだよね」


 誰に宛てたわけでもない小さな弱音。零れ落ちたその言葉を彼の背後からすくい上げる者がいた。


「思い詰めてる顔だね。道標をお探しかな、少年」


 アスハの振り返った先に佇む男が、諭すような声音で彼へ語り掛ける。


 コートのように丈の長い黒の祭服。190センチを超える長身に、衣越しでも伝わる筋肉。丸眼鏡から覗く座った眼差しと微笑み。身構えるなと言う方が無理だろう風貌だ。


 胡散臭い出で立ちと雰囲気に加え、胸元にぶら下がる十字架だけがその男の正体を示す。


「あなたは、神父様?」


「んー、そんなところだな」


「ごめんなさい、宗教は……」


「ハッハッハ、いきなり聖職者が話しかけてきたら警戒もするか。安心しなさい、私は神を信じてないよ」


「え?」


「そもそも私は、宗教団体に所属すらしていない。ただ趣味で神父をしてる者だ」


「一片も余さず変質者じゃないですか。失礼します」


 下手な勧誘を受けない内にとアスハが踵を返した時だった。


「――友との軋轢、後悔と葛藤。その苦悩はきっと君を導くだろう、凛藤アスハ君」


 その言葉にアスハは足を止める。


「どこで俺の名前を?」


「近頃、魔獣を討ち取って回ってる若者たちがいると小耳に挟んでね。多少の情報は仕入れていたんだ」


 男から敵意は感じられない。無論、攻撃の気配や不審な動きもだ。

 僅かにアスハの身体が強張ったことを察知しながらも、神父は柔和な態度で答える。


「安心したまえ。君の思っている通り、敵意も目論見もない。ただの中年からのお節介だ」


「ただの中年からは魔獣なんて言葉、早々出るものじゃありませんよ」


「はっはっは、言うじゃないか」


 アスハの警戒心も次第に解れてただの困惑に変わろうとしていた時、逢魔が時の魔物が呼び寄せられる。魔獣は沈む太陽の陽射しから抜け出すように出現した。


 象の四肢と胴に遺跡のような石の鎧を纏った体躯。人の顔を模した頭部は上下が反転しており、口と思われる穴の中からは無数の目玉が蠢いていた。怪奇的な様相にはアスハでさえゾッとするものを覚える。


「まったく人が説法を説いてるというのに、最近は困ったものだ。まだ日も落ちていないうちからとは」


 背後に出現した怪物の姿を確認することもせず、神父は面倒そうに溜め息をついた。

 隙だらけの男の背後から、今まさに魔獣が襲い掛かろうと首を捻っていた。


「神父の人、下がっててください。この魔獣は――」


「必要ない。私が半歩動くまでもないさ」


 何かの光が獣の喉を裂いた。瞬きの煌めきが孤を描いた直後、肉の切れ目から赤黒い滝が出現する。


「スキル……じゃない。今のは」


「切っただけだ。ただの腕の一振り」


 神父の手に十字架が握られている。煌めきの正体は金属光沢だった。

 十字架の先は刃物のように鋭利ではあるが、それはカッターナイフにも満たない刃渡り。そんな刃の一撫でが魔物へ致命傷を与えたのだ。

 その技術にアスハは無島総吾を重ねて見ていた。


 人間離れした芸当を繰り出した男は十字架に口付けし、短い句を詠唱した。


「眠りあれ」


 地上から魔力の激流が生まれた。蒼白に光る滝が空へ立ち昇り、魔物の体躯を覆う。

 浄化の魔法か、魔獣の全身を崩壊させると共に、周囲の魔の気配さえ去っていく。

 一切の抵抗も許さない力の奔流が問答無用に邪を祓う。


「きっと神は不在だろう。仮にいたところで、我々のような個人に気を配っているほど暇でもないだろうな」


 神父の裂いた喉元から激流が侵入し、内部から獣を犯し消す。塵が流れに乗って吹き飛ばされ、魔物は原型を失うまで崩れた。

 断末魔ですら風と共に消えて、響き渡ることはない。


「寵愛も、審判も、奇跡も、救済も。人が与え、下し、叶え、差し伸べるものだ。そうであるべきものだ」


 魔法の効力が核まで届き、魔獣は裁きの下で無に還る。

 この間も神父は語ることを止めない。獣に向ける目などなかった。


「ゆえに神に代わって私が導こう。かけがえのない隣人、得難い友との衝突は時に必然。肝要なのは、ここからどう変わるか、どう変えるかだよ。アスハ君」


 ――彼が邪念を潜めた人間であるか、慎重に見定める必要がある。でなければきっと、俺は彼の言葉を今後疑いもせず信じてしまう。そんな考えがアスハの脳で巡っていた。


 ただその胡散臭いオーラと眼差しの奥にある感情が善であると、アスハの心が告げている気がした。


「名前を、伺ってもよろしいですか」


「おっとすまない。申し遅れていたね」


 神を信じぬ奇妙な神父。その特異な信条を持ち合わせながら、確かな正義を含蓄する人倫の導師は、声高らかに名乗りを上げた。


「退魔執行代理人、羽山はねやま詩連しれん。退魔師の最後の継承者であり、君と同じ異世界帰還者だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る