第36話 検閲

 秋風が吹き始めた頃、二万もの兵がカレンドリアに到着した。

 カレンドリア近くの平原に次々とテントが建てられた。

 街に入る軍官僚は百名ほどらしい。


 突然の王軍の出現にカレンドリア市民は、半分恐怖で、半分興味で彼らを出迎えた。その威圧感は、カレンドリア市民の心に少なからぬ不安を与えていた。

 温暖なカレンドリアといえども、冬は寒い。兵らが市内に入って暖を取り始めたら、トラブルも起こることだろう。


 例のカレンドリアガイドは、製作期間は二週間もなかったが、突貫で作った。軍の滞在が長ければ、また新しく作り直せばいいだろう。

 さすがに中身が薄いので、百ギルは貰い過ぎだと考え、五十ギルにした。地図と、飲食提供場所と、禁止事項、それに街の年中行事について記してある。軍が市民の邪魔にならない程度には盛り込めたはずだ。


「ほう? 欲がないのは神官だからかね?」


 フレーベル大佐が片頬をつり上げて笑った。

 納品ついでに挨拶に出向いたが、先日の一件以来、嫌な奴だとしか思えない。いっそのこと百ギルにしておけばよかったかな。

 だが、ここは、あくまでも作家のみんなのために、膝を屈するのだ。


「ベラスケス副司祭は、どうなりましたか?」


 大佐が目を細めた。


「気になるか? 毎日毎日、私を連れて来いと叫びつけているよ。元気なことだ。おお、そうだ。ホークテイル神官に紹介せねば。こちらは、ギブソン少佐。カレンドリア市の書籍検閲部を担当することになった」

「ギブソンです。よろしく。神官」


 フレーベル大佐の後ろで微動だにせず立っていた二人の男のうち、金髪のほうが、全く表情を変えずに、軽く頭を下げてきた。

 この人が少佐か。

 では、もうひとりの肥え太った貫禄たっぷりの男は中佐だろうか?


「ホークテイルです。検閲部というのは?」

「出版前の物語の内容を確認させていただき、敵軍に都合の良い内容などが書いていないか確認する部門です」

「書かれてなければ、出版ですか?」

「いえ、それには許可が必要になります。申請していただく必要があります」

「その許可はあなたが?」

「いえ、我々はあなた方の本を出版する前に検閲させていただく役割です」

「……ははぁ。では出版の許可は、誰が?」

「それは、更に上の判断を仰ぐことになります」

「……でも、あなたが検閲したのであれば、上の判断は要りますかね?」

「はい。ホークテイル神官。我々は上の判断がしやすいように、検閲を行い、皆さんに何故出版できないかを伝える役割です」


 なんだこりゃ? つまりは、出版させない気か。


「では、少なくともギブソン少佐の気に入る物語であることが必須になりそうですね」

「……何故です?」

「あなたが、出版の許可を取るために、上層部に掛け合ってくれるということでしょ?」


 ギブソン少佐は困った顔をしている。


「ははは。ギブソン。そいつに耳を貸すな」


 フレーベル大佐が割って入ってくる。


「この神官は、かつてカレンドリアの司祭を相手に詭弁に詭弁を重ねて黙らせた、弁論の強者だ。巻き取られるなよ?」

「は。心しておきます」


 えー。軍には私のことが、そういう形で伝わっているのねぇ。

 まあ、いいわ。


「では、今後ともよろしくおねがいします。少佐」

「はい。あっと、実はホークテイル神官に提案があるのです」

「何かしら?」

「我々も、物語や出版に関しては研究を重ねておりまして、そこで我々の懸念する王軍の士気に、そちらで作られる物語が関わるとしたら、三つの有効な物語テンプレートがあると分析しております。それについて、名編集者と名高いホークテイル神官と議論を交わしたく」


 名編集者とも伝わっているのね。

 まあ、いいわ。


「その三つのテンプレート、聞かせてもらえます?」

「一つ目は、正義ものです。無敵の主人公が敵地でバッサバッサと敵を薙ぎ払っていく、読者が何も考えなくていいドラマを考えていただきたい」

「……敵というのは?」

「もちろん、敵国でも構いませんが、魔族でも結構です。重要なのは主人公が我が国を背負って、民衆を助けるという役割を担っていただきたいのです。全面協力をいたします」

「……はぁ」

「二つ目は、勇気ものです。主人公が友軍のために恐怖に打ち勝って勝利を成し遂げる物語です。これも難しい設定はせず、読者が楽しめればいいです」

「……恐怖というのは?」

「なんでもいいです。暗い夜道でも、敵軍の領地でも。重要なのは困難に対して犠牲を厭わない内容にしていただくことです」

「……はぁ」

「三つめは、信仰ものです。本当の神を信じていてよかったなぁという結論になる展開を期待しています。逆に、偽の神を信じて不幸になる話でもいいです」

「……偽の神?」

「ええ、ホンモノを騙るニセモノを登場させてもいいです。ニセモノに踊らされた人が不幸になっていく話です」

「……はぁ」


 売れそうにないな。かなり解釈を変えないと。


「いかがですかな?」

「これに従って、作家に書かせろと?」

「話が早いですな。このテンプレートに沿ったものでしたら、間違いなく出版できますぞ」

「……私はなんとも。作家がどう思うかですけど」

「そこはホークテイル神官に期待しております。いつぞや物語による感動の力で、聖典よりも人に正義の行動をさせたと聞いております。我々にも是非、その力で、ご協力いただきたいのです」


 ……そういうことか。

 以前、キノの小説を読んで、私を助けようと大聖堂に押し寄せた、数年前のあの一件のことを言っているに違いない。その噂は、首都まで届いていたのか。


「では、微力ではございますが」

「ご謙遜を」

「いえいえ、あの頃に比べますと、読者も目が肥えておりますし、それに作家もこの先は新しいことに挑戦したいと意気込んでおりますので」

「おお。ならば、期待ができますな」


 ……ならば? このテンプレートを『新しい挑戦だ』というのか?

 ギブソン少佐はニコニコとしている。


「では、作家には伝えてみます。この先は、ギブソン少佐のもとに出版前の原稿を届ければよろしいですか?」

「いえ、それは、こちらのアーデル少尉が行います」

「自分がアーデルです。ホークテイル神官」


 後ろで控えていた貫禄たっぷりの男が、一歩前に出た。

 中佐と思っていたが、意外と少尉なんだな。


 ……てか、それは? え? 私たちは、このアーデル少尉を通じて、ギブソン少佐に検閲をしてもらい、最終的にフレーベル大佐に出版許可を取るってこと?


 いやいや。何段階用意しているんだ?


  ◇


「いくらなんでも、関門が多すぎるだろ? こりゃダメだぞ。キノ」

「……」

「でしょ? 私も、シヴァに賛成。さすがに、ちょっと、これは本格的に出版停止を目的とした制度だわ」

「……」

「リリカ、印刷機を持ってゴンドアか、なんなら隣の国に逃げるか?」

「行くなら、ゴンドアかな。リジャール士長もいるし」

「ダメだ。リリカ。カレンドリアから逃げ出したら、カレンドリアにいる読者はどうする? 私たちはここに留まるべきだ」

「そんなこと言ったって、本を出させる気がないのよ?」


 話を聞いていなかったのか?

 キノならすぐに理解できると思ったのに。


「私は残る」

「残ってどうするの?」

「ここで本を書く」


 何を意固地になっているのか。

 私はシヴァと顔を見合わせて、お互いに肩を竦めた。


「相手は条件を言い出したんだ。それをクリアすれば、通さないわけがない」

「甘っちょろいこと言ってんなぁ。キノ先生は。そんなの軍が本を出させない言い訳に過ぎないだろ?」

「シヴァの言う通りだ。もし本を出させるとしたら、軍の言うことを聞かないといけないぞ?」


 うへぇと、シヴァが声を上げた。

 誰からも束縛されたことのない元吟遊詩人は、軍の出す条件で本を書くなんて真似はとてもできそうにない。

 ゴンドアのリジャール士長にシヴァと数名の作家を託すことになるだろう。

 もっともゴンドアも、同じ状況かもしれないが。


「それでも私は、ここで書こうと思うんだ」

「なんで、そんなにカレンドリアに拘るんだよ? どこだって本は書けるだろ?」


 キノは少しだけ考え、答えを探すように、口を開いた。


「それは……私が、ペンドラゴン家の人間だからかもしれない」

「はぁ?」


 シヴァはバカにしたような声を上げたが、私にはドキリとするほどにキノの気持ちが分かった。私が浅はかだった。


 キノは元々、ペンドラゴン家の名誉を回復するために、一生懸命なのだと思っていたけど、違っていた。

 キノは、この地を守るペンドラゴン家の人間として、カレンドリアの市民を守らないといけないと考えているのかもしれない。

 そして、ここは散り散りになってしまった家族が、唯一「戻れる場所」だ。


 剣を失っても、キノは誇りは失っていなかった。


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