第17話 表現

「リリカ。キノさんから、またお手紙よ」


 母の言葉に部屋から転がるように飛び出し、封筒をひったくった。

 ん? 手紙が薄い。


 手紙の冒頭でキノは指摘に感謝していた。

 私が指摘していると思っているが、正確にはリジャール士長の指摘だ。

 教会の騒動が終わったら紹介してあげよう。


 綴りの間違いなどは、素直に謝ってきていた。そして、言葉の正確な使い方や細かい部分に関する配慮に礼を言ってきた。

 また人称ずれに関しては、感心している。

 当の本人にも気付けないのかもしれない。


 ……まあ、リジャール士長の言葉に対する繊細さは異常だよ。私なんか、どっちでもいいと思ってたからね。


 リジャール士長は、古典的な言い回しから、最近の言葉遣いまで幅広く熟知していて、微妙なニュアンスも指摘してくれた。

 そんな言葉遣い一つで、話のトーンが引き締まるのも確かだ。


 一方で、前半の修正をしながら、後半を書き進めるのはなかなか難しいと泣き言も言ってきた。まあ、そうだろうね。

 そのうえで、いくつか、最後の展開について相談があった。


 キノよ……。それだけはしちゃダメだよ。

 オチを先に読者に知らせちゃダメでしょ?


 だが、この書き方で、キノの意図が私にもわかった。


 そうね。それがいいわ。 

 キノは、この話も本にしようと思っている。

 教会が何を言ってくるかわからないから、手紙での相談すらないけど、この子はきっと、これを本にすることを考えている。


 振り返って例の機械を眺めた。

 キノの描くラクレオスは聖典には載っていない。彼は純粋な神ではない。

 吟遊詩人の英雄譚だ。だから教会の管轄外……とキノも言いたいのだろう。


 これを……次のバザールで売る?

 あと、一ヶ月ちょっと。……そして、機械はここにある。


 なるほど。キノ。もしかしたら、私のことを、自宅謹慎を命じられて暇を持て余している神官だと思ってない?


 その通りよ。


 これを次のバザールで売るなら、私がやるしかないわね。

 幸い、油紙もインクも、余った紙も、全てここにある。足りないものはアランに発注をかければいい。モノを受け取るのは禁止されていない。

 そのお金は、私のなけなしのお金で都合をつけよう。これまでせっせと冒険者を蘇生してきたお金が三百ギルほどある。


 そのお金で、この本を百冊作って、一冊二十五ギルで販売。

 二千五百ギルよ。

 和解金には、あと五百ギル足りないけど、アスケディラスの本を売ったお金が没収されなければ、それを足して三千ギル。晴れて神官位の剥奪は免れる。


 やってみる?


 大手を振って、本を作ることさえできれば、後はなんとかなる。

 ここが正念場ね。


 そのためにも、キノの書いている物語の終わり方は、もっとすごくないといけない。読者に感動を与えて、本という存在が、この先、なくてはならないものになるレベルの終わり方。


 ペンを取ってキノに手紙を書く。

 誰でも思いつく終わり方では困る。英雄と姫の結婚でめでたしめでたしでは、心に残る力が弱い。予定調和のエンディングでは、そこらの吟遊詩人と変わりない。

 とはいえ、私にもアイデアがあるわけではない。

 とにかく、キノを励ますしかない。意外な結末を用意している聖巻十二神話の物語を例示するくらいだ。


『キノなら、もっとできると思う』


 我ながらキノの力をあてにした、無責任な言葉だと思う。

 だけど、キノならできると思っているのは、本当だ。あの子は天才肌なんだから。とんでもないことを思いつくに違いない。


 髪を搔きむしって発狂するかもしれないけど。

 この世界で最初の神ではない女性が主人公の物語は、恐ろしいほどに強烈で鮮やかな終わり方をしなくてほしい。

 ここまで面白く書いたのだ。きっとできるはず。

 キノの才能は、世に出るべきなのだから。


  ◇


 キノの後半の原稿が届いたのは、その月の末だった。

 バザールまで残り、一ヶ月を切っている。

 ここまでの物語は、私がコツコツと油紙に彫っている。


 どれどれとニヤニヤしながら読み始めた私だったが、その数時間後には、ベッドの上で泣いていた。


 まさかの終わり方に涙が止まらなかった。

 キノは、とんでもない着地点を用意してきた。それは今の私の境遇とも重なり、静かな感動に満ちた終わり方。こんなのある?


 すぐさま後半の物語をリジャール士長に送った。彼なら、この作品をもっと昇華させられるだろう。もはや、計画していた和解金なんか、どうでもよくなっていた。これを世界中に読んでもらいたい。


 この作品をリジャール士長なら、きっとわかってくれる。

 私にはどう修正したらよいのかも怪しげだが、彼の頭の中には聖典の文章が全て入っている。言い回しや、言葉の使い方もきっと指摘してくれるに違いない。

 果たして、リジャール士長の返答は、まず最初に


「とんでもない話だ」


 とあった。

 続けて、いかに自分が感動で震えているのか、そして読み終えたあとも、鳥肌が止まらないかを訴えてきた。


「これは魔力を使わない魔法ではないか」


 とさえ言ってくれる。

 まるっきり私と同じ感覚だ。

 しかし、文章は「しかしながら」と続く。

 そこからは、キノの原稿が真っ赤になるほど、赤インクで修正点が記されていた。恐らく興奮しているのだろう。リジャール士長の字が躍っている。珍しいことだ。


 そこから、キノの文章の欠点も見えてきた。

 まず、感情表現。

 キノは、「笑った」「泣いた」「悲しんだ」「喜んだ」を使い過ぎているようだ。


 リジャール士長は直截な表現を使うべきところと、そうではなく、別の表現をすべき箇所を挙げてくれた。

 物語の進行テンポや言葉の滑らかさを緩やかにしたければ、表現を心から少し離れて、観察したことを表してほしいという。


 ほう。


 例えば、英雄ラクレオスが、侍女だと思っていた相手が姫だと気付いたところでは「あっと驚いた」では「ここだけ単なる説明になっているし、表現が雑だ」と指摘している。


 例文として、別の個所の「朝露がポタリと音を立てるまで、時を忘れていた」というキノの表現部分を参考に「このような表現を用いて、この場合は時間を止めてしまうような表現が良い」としている。


 なるほど。


 恐らくキノは原稿を書くのに焦っていたのかも。この着地点を思いついたばかりに、筆が焦った気がする。落ち着いて書かせればきっと大丈夫だ。


 それと何でもない部分にも目を配ってもらっている。「盃を掴むために手を伸ばした」という表現は「冗長」とピシャリだ。「盃を掴んだ」若しくは「盃を呷った」でいいとしている。


 確かに、そのほうが、文章が引き締まるし、読者にとってさほど重要ではない文章なら省いてもいい。


 そのうえで、短い文章の中で、いくつもの情報を織り交ぜた表現に感動すら示している。姫が身分を偽ったことでラクレオスを窮地に陥らせてしまった悔恨と焦りを、彼の牢屋の鍵を何度も取り落としたことで取り乱している焦りを表現していることを誉めている。


 確かに、ここは私も読んでいて力が入った。名シーンだ。


 結局、獄卒が来るまでに闇の中で落とした鍵を見つけることができないという、ハラハラさせるシーンであり、落ちていた鍵を獄卒に拾われたことで、脱獄を疑われることになるという、なんともやるせないシーン。


 暗闇の中の出来事であり、視覚がないので、聴覚や嗅覚、そして指先の触覚だけで物事を表現している見事なシーンだ。


 だが、ここでも「獄卒が怒って言った」という表現に苦言を呈している。そこでは「獄卒は怒って、どのような行動をとる?」とリジャール士長が尋ねている。


 なるほどねぇ。


 ここでは「獄卒が怒って」ではなく「獄卒が棒をへし折り」などの行動を書かせたいのだろう。確かに味わいが深まる。


 このやり方は、聖典ではよくある表現手法だ。

 面白い。

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