第4話 原典
「まあ、それはそれで、ごもっともなんだが」
キノは頭を掻いた。
こんなのは直接白い紙に書けば事足りる。
同じものを何枚も書きだすなんて、何の意味が……。
「これを使えば、本が大量に作れるって思ってさ」
「本!?」
「うん。本を作って売ろうと思うんだ」
何を言い出したかと思えば、とんでもないことに手を出そうとしている。
この世界で本と言えば、聖典のことだ。
聖典は全部で八十九種類。全て揃っているのは、このカレンドリア教会を含めて、僅かの地域だけだ。カレンドリアは古代の聖域を街にしただけあって、教会の権力は大きい。
そして、所有する本は、全て、教会によって管理されている。
聖典には神の言葉や、神の記録が記されている。しかも中身は神代文字であり、それを読むのは神官だけだ。
神官は必要な聖典を全て手書きで書き写す。
私もつい先日、教会から聖典書写を命じられたところだ。聖巻十二神話という入門書は十二冊からなる。これを全部書き写せと言われていて、その原典を貸し出されている。といっても、その原典も、先輩神官が誰かの原典を書き写したものだ。
原典とは書き写す前の本を指す。原本はその元となる本であり、首都の本教会で保管されていて、見ることはできない。
だから、先輩が書き間違えた原典は、当然後輩も間違えていき、綴りが間違った聖典ができることもある。最も正確なのはカレンドリアと首都の王宮教会の聖典だけだとも言われている。
教会はこの書写の正確性を期すために「書写士」という役職を作った。そこには、美しい文字を正確に早く書ける神官たちが所属している。
彼らは、新しく教会を作る時や、教会の所有する原典が古くなって読みづらくなった時に、正確な書写をするのだ。
こうして教会は、聖典を増やしてきた。
例えば最も重要な「本聖典」は、どの教会にも必須のものだ。
新しく教会を作る時に、近所で最も権威のある教会の書写士が駆り出される。
本は文字を書写しただけでは完成しない。表紙、背表紙も必要だ。それは煌びやかに装飾をする。何故ならば聖典は権威の象徴でもあるからだ。教会の正当性のために、その装飾はどんどん派手になっていき、今では金も使われ時には宝石が埋め込まれることもある。
もちろん、そうなると盗もうとする不埒な奴らも現れるため、祭壇に金の鎖で縛られる聖典も存在する。そもそもにして持ち出そうとしても、装飾が重くて一人では持ち上げることすらできない代物だ。
しかも盗まれたものに不幸が訪れるように呪いがかけられた聖典も少なくない。矛盾した話だ。
一方で、書き写す神官も人間だ。
どれだけ気を配って聖典を写したとしても、ミスが出たりする。
製本前にミスが出れば、数日間の謹慎だが、製本後にミスが見つかると牢獄に入れられる。神の言葉を間違えるというのは、それくらい罪なのだ。
だから書写士はかなりの高給取りばかりだ。
命を削って書いているのだから、当たり前だろう。
そのために、聖典は新しく一冊作るとなると、数千ギルになることもある。
ついこの間納品された本聖典は、たしか七千ギルだったはずだ。
本とはそういう手間をかけて作るものだ。
私は専門の書写士ではないし、ただの教材用に書写をするだけだから、タダ働きだ。
「教会が許すかな?」
キノが神官を辞めて数年経っているが、私は現役の神官。
見過ごすわけにはいかない。
「書写した本がうちにもあったから、本を作ること自体は禁じられていない」
言われてみれば、そうだ。
キノの家がまだまともだったときに、彼女の家には本があった。
どれも手書きの聖典だった。
恐らく祖先が裕福だった時代に、教会から購入したのだろう。
キノは小さなころから聖典で使う神代文字を習っていたため、その本の中身がどういう意味か、よく私に語ってくれた。キノの口から語られる神様の物語は面白く、それが神官学校でも役に立った。
「だけど、その本を買う人は? ツテなんかないでしょ?」
こう言っては何だが、ペンドラゴン家と関わりになろうとするものが、この街にはもう少ない。金持ちは特にだ。
いくらキノが本を作ったところで、貴族や豪商へのツテがなければ、売ることすらできないだろう。まさか教会に納本するわけにもいくまい。
「実は普通の人に売ろうと思うんだよ。みんなも聖典の中身、知りたいだろ?」
知りたいかもしれないが、お金が無ければ聖典に触れることもできない。
それに本を買う動機として、聖典の中身が知りたいと思うだろうか?
多くの豪商の家に飾られた本は、読まれたことすらなく、ただの飾りでしかない。貴族の家も似たり寄ったりだ。熱心に読んでいたキノの家が珍しいくらいだろう。
聖典を家に飾ることで、教会の権威を借りているのだ。
読むものではないし、読めるものではない。神代文字を知っている一般人はほとんどいない。キノは特別だ。
「普通の人は神代文字が読めないでしょ?」
「ああ、そこは問題ない。現代語に訳そうと思っているんだ」
「うそでしょ? まさか、昔、キノがやってたみたいに?」
キノはニヤリと笑った。
キノも思い出しているのだ。私と遊んだ日々の中で、私がせがんでキノに聖典を読んでもらっていたあの日のことを。キノは神代文字を読んでは、すぐにどういう意味かを教えてくれた。あれは確かに楽しい思い出だ。
「じゃあ、本は相当高くなるでしょ? 手間が発生するんだから」
「大丈夫だよ。ほら、この機械は一度書いてしまえば、正確に何冊もページを吐きだしてくれる」
そう言って、円筒の機械を指さした。
「何冊も売るってこと?」
「そうそう。安くして、庶民でも手に入る価格で売るよ」
「何冊くらい?」
「五十冊かな」
気を失いそうになった。
いくら正確に増やせるからといって、そんなにも聖典が売れるか?
聖典ひとつで数千ギル。安くしても千ギルくらいか。
当然、庶民はそんなお金を持っていない。
「いったい、一冊、幾らで売るつもりなの?」
「三十ギルくらいかな」
「死体二人分!?」
「……前から思ってるけど、すぐお金を死体で換算するの、物騒だよ?」
加護は一ギル。回復は五ギル。治癒は十ギル。蘇生は十五ギルだ。
神官の魔法は全て教会で値段が定められている。
商人たちは、値段を交渉の中で決める。
教会は、商人のような交渉はしない。嘘がつけないからだ。
それに、同じ品質のものなら、同じ価格で提供すべきだというのが、「神の前の平等」という発想だ。正直、三百年前から変わらぬ価格では、安すぎてやってられないが、教会からの給料もあるので、なんとか暮らしていける。
一日食べていくのには十五ギルくらいだ。
死体一人分で一日暮らせる。
この力で儲けたければ、ダンジョンの奥まで入って片っ端から蘇生する必要があるが、百人助けても千五百ギルだと思うと、切ない。
一度、間違えて罪人らしき男を蘇生してしまい、慌てて殺し直したが、可哀相だったかなと思ってもう一度蘇生してあげたときに、相手が有り金を全部置いて逃げだしたことがある。あの時もらった三百ギルが、私の一日の最高の稼ぎだ。
三十ギルなら、十冊売れば私の一日の最高額に到達する。
五十冊ならば、千五百ギル。百人助けたのと同じ値段か。
それにそれくらいの価格なら、確かに庶民も蓄えの中から無理せずに出せるちょうどいい値段だ。
「でも、書き写す聖典はどうするつもり? 聖典なんか買うお金、ないでしょ? 教会も貸さないわよ?」
キノは不思議そうに私の机を指さした。
そこには、私が教会から書写を命じられている聖典のひとつ『聖巻十二神話』が並べてあった。
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