第14話 校閲



「ははは。そうですよね」


 言葉を濁した。


 まずいぞ。リジャール士長はこれが全て手書きだと思っている。

 どうしよう。あの機械が、何なのか、説明できないし、説明したところで罪が軽くなるとも思えない。なによりも、あれは書写士の仕事を奪いかねない道具だ。


「これは、かつて神官学校にいた友人と作りました」

「お二人で?」

「……ええ、まあ」

「なるほど。それにしても、二人とも全く同じ字で書き続けるというのは、物凄い労力だったのでは?」

「……ええ、まあ」

「しかも、現代語にするという離れ業。元々神代文字は、古代文字と一緒で、古い我々の祖先が使っていた文字です。あ、これは神官ならご存知でしたな?」

「……ええ、まあ」

「我々にとって高尚な神代文字ではありますが、これを書き記した当時の人々にとっては、その時の文字や言い回しです。あの頃の人々も同じような感覚でこの本を読んだと思うと、興奮しましたよ!」


 このリジャールという男、だんだん早口になっていく。


「ということで、これほど面白いものはなかったので、この感動をお伝えに来ました。……ご迷惑でしたかな?」

「……ええ、まあ。……あ、いや、迷惑なんて、そんな」


 結局、何が言いたいんだ?


「あなたのしたことは、とんでもなく素晴らしいことなんですよ!」


 ポカンとした。

 いや、自分はいま、とんでもなく悪いことをした神官として断罪されていますけど? このひとは状況が分かっていないのかもしれない。

 ……いや、それか、この状況を憐れんでくれているのか?


「リジャール士長。お褒めのお言葉ありがとうございます。ですが、私は謹慎中の身でして……その……」

「ああ、それは残念でしたね」


 うわ。そっけなっ。

 助けてくれるわけでは無さそうだ。ただ感想が言いたいだけか。

 真意がわからない。


「で、私のように書写をやっているものからすると、気になる点がありまして」


 そういうと、本を一冊、広げてきた。


 いや、気になる点とかいわれてもさ。

 その本はもう二度と作れないんだけどね。


 リジャール士長は本に赤字で丸を打った場所を見せてきた。


「ここの綴りは違いますよね」

「……うわ。まだ綴りの間違いがあったのか」

「私の見た本は二冊ともこの綴りが間違っていました。カレンドリア地方の方言というわけでもなさそうです」


 そうか。リジャール士長はこの本の作り方を知らない。

 同じ間違いであることに、違和感を感じているのだろう。


「残念です。あと、こちらの表記ですが、時制が正しくないようです。過去完了形をとられていますが、大神にとっては現在完了形ですよね?」

「……ああ、そうですね。それは確かに」

「それと、こちらの表記ですが……」


 リジャール士長はこのような指摘をわざわざ言いに来たらしい。

 どれもこれも重箱の隅をつつくようないらいらとする指摘だが、言われてみれば確かにとしか言いようがない。

 小言が言いたいだけかと思ったが、そうでもなさそうだ。

 少なくとも性格は細かいのは確かだ。


 結局、綴りのミスを、更にいくつか見つけ、言い回しの修正を十数か所、そして明らかな誤訳と思われる部分を二か所。そして、文章が冗長として、改善の要求を数十か所。更に、訳し方が難しく解釈が別れるとされている箇所をいくつか指摘してくれた。


「以上になります。もしも次、お書きになるときは、このような箇所を修正していただければと思いまして」


 リジャール士長は澄ました顔をしているが、聞かされたこちらは気が飛びそうになっている。ほとんどのページが修正だ。

 だが、全てごもっともな指摘でぐうの音も出ない。

 それに、十二神話を深く知っていないと間違うような指摘もあった。

 さすが書写士長だ。


 それに、指摘された文章を直しておけば、もっとスムーズに、そしてより面白味を増すだろう。惜しい。もしも書写中に彼に逢っていたら、仲間にしたのに。


「ありがとうございます。リジャール士長」

「いえいえ。細かいと思われるかもしれませんがお気を悪くなさらないように。これは書写士にとっては癖のようなものです。リリカ殿には正式な書写士の経験がないというのに見事な翻訳でした。折角の試みでしたので、次の機会に活かせられればと、余計なこととは思いましたが」

「ですが、我々には……今のところ次の機会がなさそうです」

「どうしてですか?」


 リジャール書写士長は、この事件のことは何も知らない様子だ。


「聖巻十二神話の翻訳は少なくとも私の教区では禁止になるかもしれません。私は、その罪で神官資格を剥奪されそうになっております」


 リジャール士長は顔色も変えずに聞いてきた。


「なんと。では、これは、カレンドリアの教会からの指示ではなかったのですか?」

「はい、私が勝手に行ったものです。罪深きことです」

「これほどの偉業をされたのに」


 偉業ねぇ。

 どうやら私は、いやキノを含んで私たちは、普通の人では考えることもないことをしてしまったらしい。

 私も、あの機械の使い方をキノが理解するまで、書写した本を安く庶民に売るなどという行為が存在するとは思っていなかった。


「それで謹慎中だったのですか……ふむ。なるほど」


 何度か頷いて膝を叩いた。


「ここの教会の連中にあなたの住所を聞いたところ、やけに冷たくて無礼な態度を取られたのは、そういうことだったんですね」


 鈍感か。

 しかし、隣町の書写士長にそう思われるほどだから、相当無礼な態度を取ったのだろう。つまり、私はそれくらい自分の教会内に味方がいない。


「ええ。なので、リジャール士長が、ここにいらっしゃったことも、快く思っていないことでしょう」

「いや、私は何とも思いませんので大丈夫です。教区も違いますし、影響はないでしょう」


 そう言いながら、短い顎髭を撫でた。


「いやぁ、そうですか。残念です。てっきり私は、次の聖巻に着手しているのだろうとばかり思っていたので、早くお会いせねばと思っていましたが、そういうことだったんですね」

「心苦しいですが」

「ちなみに、これらの本を作るのに、あなたは何日かけましたか?」

「えーっと、二週間くらいですかね?」

「……に……二週間? 五十冊を?」


 いけない。確かに本を刷り始めて製本したのは二週間くらいだが、その前の書写にはもっと時間をかけている。

 機械のことを知らないと、変に思うだろう。


「失敬。二ヶ月です」

「ああ。二ヶ月。……二ヶ月にしても早い。しかも相当書き慣れていらっしゃる」

「いえいえ、そんな」


 汗がでる。


「二冊の字体を見比べて、あなたたちが全く同じ字を何回も書けるということに、驚嘆いたしました。もしも、カレンドリア教会が許してくれるのであれば、我がゴンドアに招待し、書写士たちにコツを教えていただきたいくらいなのに」


 機械で写したんです。……とは口が裂けても言えない。あの機械は、書写士の仕事を奪うに違いないから。


 自分の家なのに、居心地が悪い!


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