作家

第13話 物語

 悪夢のような日から、あっという間にひと月が過ぎた。


 私は自宅で謹慎中だ。

 あの日から、ずっと家にいる。部屋を出ることもままならない。

 販売したお金をキノに託しておいてよかった。

 その場で所持しているお金は没収され、売り残っていた本も全部取り上げられた。

 

 教会には自浄の仕組みとして、教会の沙汰に対し、正司祭や、首都の本教会に訴える方法がある。地方教会が神の権威を使って暴走しないための措置だ。

 それを使って、嘆願を出したが、返事は「三ヶ月待て」だった。

 つまり、あと二ヶ月も待たないといけない。


 その間は副司祭の宣言した、神官位剥奪が有効になっている。

 神官としての活動は一切できない。街を歩くことも許されない。


 この謹慎を一時的にでも解くには、三千ギルの和解金が必要だが、そんなお金はない。死体二百人分の和解金なんて、嫌がらせでしかない。


 二ヶ月後の沙汰を待つしかなく、他にすることもない。

 神官服も取り上げられた。神官を名乗ることを許さないためだ。

 共犯者のつもりだったが、知らない間に主犯になっていた。


 無論、両親も心配しているし、怒っている。

 特にキノに対しては「あんなのを、家に上げなければ」と憤慨していた。

 そっちかよと思う。恩ある家に「あんなの」はない。幼馴染を否定されると、自分も否定された気持ちになる。


 否定すべきはやり方だ。


 聖典の入門書とはいえ、許可なく勝手に現代語に訳したのだ。

 だが許可を取るといっても、どこに許可を取ればいいのか、いまだにわからない。

 ただ、あの本が全神官の神経を逆なでしただろうことは、感覚的にはわかる。

 教会の権威とは神だ。神は聖典から感じ取ることができる存在だ。神を冒涜する気はなかったが、人によっては自分への冒涜と感じるかもしれない。


 だけど、あれを購入した人たちの笑顔は、どう説明したらいいんだろう?

 神へ怒りも、教会を見下したような態度も一切なかった。

 思い出すだけで、こちらまで笑顔になる。


 自分の手のひらを見つめた。陽光がその手に落ちて暖かい。その光を掴むように手を握った。


 みんな、本を読みたがっていた。本が面白いと気付いた。

 アスケディラスの物語を笑って読んでいた。

 きっと必要としている人はもっと多い。


 聖典が?

 いや……みんなを笑顔にしたのは聖典の力なのかな?

 笑顔になっていた。聖典は、数多くあれども、聖巻十二神話くらいしか、物語で笑顔になれそうな本はない。 

 近いもので言えば、吟遊詩人の語る英雄譚のような物語か?


 物語……。自分のことではない誰かの話に、人は心動かされる。


 ふと振り返って、机の上に置いたままの機械を見た。それにな布がかぶされて、埃が入らないようにしてある。

 教会もこれを没収することはなかった。

 これが何か、分かっていないからだ。

 本当ならキノに返すべきなのだろうが、キノはこの家に近寄ることすらできない。

 アランもだ。

 試作用にと油紙を何枚か置いたままにしているが、返せない。

 余った数千枚の紙と、石板や油紙は、そのままだ。


 教会からの謹慎の条件として「沙汰があるまで、家族と神官以外との接触を禁止する」とあるからだ。

 まだ罪が決まってもいないのに、罪人のような扱いだ。状況がどうなっているのか知りたいが、この一ヶ月、神官は誰も我が家に近づこうとしなかった。

 それもそうだろう。

 ベラスケス副司祭はこの教会のナンバー・ツー。実力者だ。

 それが直々に神官位を剥奪したのだ。誰もこの件に関しては、関わり合いになりたいとは思ってないだろう。


 退屈しのぎに、アスケディラスの物語よりも先に書写していた二つの巻を読んだ。聖巻十二神話のオラステリアの物語とイステンラドルの物語だ。オラステリアは青春神。イステンラドルは工芸神だ。


 教会から預かっていた十二神話は、当然、謹慎中は取り上げられてしまった。

 この二冊も、面白いには面白いが、いかんせん、自分で書写したものだ。全ての話のオチを知っているし、幼い頃にも、神官学校でも何回も読んだものだ。


 さすがに飽きた。これを六周も読んだ自分が偉いと思う。

 こんなことなら、現代語訳だけでも、キノにやらせておけばよかった。


 キノなら、オラステリアをどう翻訳するか楽しみだ。

 青春神には片思いの恋愛の話が数多くある。これがどれもきゅんきゅんさせる話であり、人と神との道ならぬ恋が切ない。

 神官学校で、よくオラステリアの話の妄想をキノに力説したが、いまいちわかってもらえなかった。あの子は恋愛にはちょっと疎いからね。

 一方でキノが好きなのは冒険神ペラルキラスだ。

 いろいろな国を愛馬とともに旅する話が好きなのだそうだ。


「リリカ。お客様よ」

 母親がドア越しに語り掛けてくる。

「断って」


 神官以外は逢ってはならない決まりだ。

 時折、神官以外の訪問客があるが、きっとベラスケス副司祭が私を試しているに違いない。そういう底意地の悪いところが、あの人にはある。


「それが南町のゴンドアの教会からいらしているの。神官さまよ」


 ゴンドア?

 ここから四日ほど王国街道を南に歩いたくらいの街だ。割と大きな街で、交易が盛んだ。

 そこの神官? どういうことだろう? 教区の違う街だ。


「待ってもらって」


 これ、禁を犯してないよな?

 神官としか逢ってはならぬと言われているけど、どの町の神官なのかは聞いてない。着替えて玄関までいくと、そこには白い神官服に赤いガウンの男性神官が立っていた。年のころは二十代中盤くらいか。


「……おお。あなたが?」

「私がリリカです」

 頭を下げると男も頭を下げた。


「はじめまして。リリカ殿。私はゴンドア教会の神官、リジャールと申します。ゴンドアで書写士長をやっております」


 書写士長にしては、随分と若い気がするが、確かに書写士を示す赤いガウンだ。その長を務めることを示す金の縁取りがされている。

 ゴンドアには他に人材がいないのかもしれない。カレンドリアに比べると商人ギルドのほうが権力のある街だ。ゴンドアには教会はあれど、聖堂はない。カレンドリアは大聖堂があるし教会中心の街だ。

 恐らく出世の勝手も違うのだろう。

 それよりも、書写士が訪ねてくるということが珍しい。彼らはほとんど街はおろか、教会からも出たりしない存在だ。


 もちろん、心当たりはある。

 本のことだろう。何かを聞きに来たのだろう。


「……どうぞ、お入りください」


 声のトーンが三段階くらい下がった。「失礼」とにこやかに入ってくるリジャール士長とは対照的だ。


「あの本のことでしたら、本当にごめんなさい。反省しております」


 アスケディラスの物語が、もう隣町でも噂になったと知って戦慄すら覚えた。このままでは、三か月後には王国全土に知れ渡ってしまわないか?


「反省? いや、私は、教会の使いではなく」


 懐から例の本を出してきた。


「あー、そういうことでしたら、お帰りいただかないと……。私、教会から謹慎令を食らっている最中でして」


 苦笑いするしかない。


「ええ、こちらの教会から聞きました。教会にリリカさんのご住所もお聞きしましたし、許可を取っていますから大丈夫です」

「……でしたら、お話をお伺いします」


 教会め。私の居場所をペラペラと喋ったのか。

 もはや、私のことを守る気もないらしい。


「早速ですが、こちらを拝読いたしました」

「申し訳ないです。本を勝手に作りまして」

「あなた方はこれを百冊もお作りになったと聞いています」


 話がでかくなっている。

 まあ、冊数で罪が変わるわけではないと思うが。


「五十冊ですよ。さすがに百は」

「いや、五十冊でもすごいことです。それも全部同じペースで書かれていらっしゃる。一人の仕業とは思えません」


 懐から、もう一冊、私たちの本を出してきた。

 二つを比べたのだろう。

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