書店
第23話 書店
騒動から三年が経った。
教会は、キノの機械を参考に、街の鍛冶屋に依頼して、同じ機械を大量に作ることに成功した。
その制作費は、紙問屋のアランの寄付で賄った。その代わり、アランの提供する紙を使うことを前提にね。お蔭でアランは大儲けしている。
あの人、商売うまいわ。
ちなみに開発したのはそれだけじゃない。
一番の難題だったインクの開発にも成功した。
油紙も、本に使う紙も、私たちの実験でコツを掴んでいたものの、インクに関してはまだ研究途上だったため、この問題が解決したのは大きい。
インクに油を混ぜていることは分かってても、どんな油が最適なのかを知るには、相当苦労したらしい。様々な油が試されたけど、最終的に「酸化したクルミの油」が最も適していたらしい。
これなら手に入りやすく、よく伸び、粘着性があって、乾きやすいという、元々缶に入っていたインクの特徴にも合致していたわ。
これによってほぼインクは再現。
ただし、酸化したことによって、あの臭いまでも再現することになったけどね。
インクの色も増やせたが、本を読むのに最適なのは、黒か紺だということも判明した。
「もしかしたら、何か面白いことに使えるかもしれません」
アランのところのインク職人たちは、様々な顔料を調合して実験を始めている。
今のところ、インクを混ぜ合わせて別の色を作ったりしているが、本が読みやすい色が分かっている以上、あまり期待はしていない。
ともあれ、印刷用のインクが自作できるようになったのは、小さな一歩だけど、これによって、印刷に必要な全ての材料が一通りそろったことになる。
つまり、元々の機械に頼る必要がなくなりはじめていた。
そうこうしているうちに、ベラスケス副司祭の翻訳した聖典があがってきて、それを大量に印刷する仕事が舞い込んできたわ。こうして、印刷と製本を手伝って、あの諮問会の約束を果たすことができた。
もっとも、制作途中でベラスケス副司祭の訳の分からない要求が何度も何度もあって、本当にこのプロジェクトから降りてやろうかと何回か思ったんだけど、黙って最後までやり遂げた。
自分を誉めたい。
ちなみに、残念だが、ベラスケス訳の聖典は、あまり売れていない。それくらい、キノの現代語訳は優れていたということだろう。
これで私も決意した。
この先、自分よりも地位の高い人と、この事業はやるべきじゃあないわ。とにかく、修正を素直に受け入れられない人や、我儘を言う人との仕事は無駄な時間だ。せっかく作っても、読まれないものに付き合う時間が惜しい。
それはともかく。
これらの技術発展は、カレンドリア市を豊かにしていった。
この街に本の出版という新しい商売が出現した。最初は規模も小さかったが、教会の印刷機を自由に使えるようになってからは、たったの数年で一大産業と化した。
来年には、商人ギルドから独立し、単体で出版ギルドが設立される予定。
初代ギルド長は、何故か、アランだけどね。この先、他都市でも生産設備を作ることになるだろう。アランが。
実質、出版に関しては、私が関わっているんだけど。
アランは、機械のメンテナンスや紙、更にはインクの補充なども引き受けたため、ほとんどアランが、この印刷機や技術を保有しているようなものだった。
ちなみに私たちは、教会が機械を使っていない時は自由に使ってよいという許可ももらっている。
アランに全てを奪われてしまうと、内心ヒヤヒヤしたが、アランには印刷と販売ができても、肝心の物語を作るという部分ができない。
なので、仕事を取られるということはなかった。
出版には次の三つの要素が必要だ。
・印刷する内容、物語
・印刷から製本するまでの設備
・製本された本を読者に届けるための手段
このどれもが必要になる。
アランは一番最初の要素を手に入れてない。
これだけは簡単には真似できないため、アランも他都市への展開がなかなかできない。
つまり、私たちの作る安い本はカレンドリアの特産物になりつつあった。
一方でキノは、あれから年に数冊ペースで物語を書いている。
自分の才能に目覚めたというのは、恐ろしいものね。
たくさんの恋愛物語を生み出し、カレンドリア女子から圧倒的な支持を得ているわ。まあ、読んでいると、こっちがデレデレするくらいの話もあれば、悲劇的な結末を迎えるものもある。
さすが、幼少のころから、聖典を読み漁っていただけはあるわね。
一方で、キノにそこまでの恋愛経験があるとは思えない。
これには数年間の冒険者の経験が役に立ったと言っている。
まず物語を思い浮かべる前に必要なのは「観察」と「想像」だそうだ。
それを冒険者時代に培ったという。
それを多くの人が思うだろう形で展開させ、その世界の中に違和感なく読者を包み込む。そのうえで、前面に立った物語が読者を惹きつけ、完全に読者がそちらに集中したところで、読者が目をそらし放置していた設定で絡めとって叩く。
「叩く?」
「ああ。魔物が前衛の剣士に気を取られたところを、後衛の魔術師の極大呪文で叩くのと一緒だ」
「叩いちゃダメでしょ」
「叩くのは比喩だ。その一撃で、読者はガツンと不意の衝撃を食らうんだ。ここぞというタイミングで放たないといけない」
キノは天才肌だが、説明は苦手だ。感覚的な部分もあるのだろう。
例えがよく分からないが、とにかくキノの物語は、読者の想像をはるかに超えていく進行、登場人物の複雑な絡み方、そして読んだ後の放心と、読者を掴んで離さなかった。
一つの物語を百冊作ってもまだ売れる。何度も刷り直しが発生した。
一番売れた物語は、千冊までは数えた。
今や、売れっ子だが、そのお金でキノは、またもや変なことを始めた。
『ペンドラゴン書店』
この名の看板を掲げた店を小さな路地裏に作ったのだ。
それまでは市民バザールや配送販売だったが、ついに店を持つまでになった。
これはなかなか面白い発想だ。
常時、本を売る場所となったために、本を読みたい人が集まるようになった。
とはいえ、最初、その店はキノの本と、教会から委託販売で聖典を扱うくらいだったけどね。
売り上げは9対1でキノの本。
ま、最初から勝負にならないわよね。ベラスケス副司祭の現代語訳じゃあ。
聖典を並べてはいるけど、ほとんどキノの物語を売る専門店と化した。
だから書店にくるのはほとんどが女性で、たまに男性が気まずそうに聖典と一緒に、キノの本を「ついで」を装って買っていく。
男性も読みたいらしい。
「他の本も置こう。一人紹介したい奴がいるんだ」
キノは自分の本を常時売るために、この店を作ったのだと最初は思っていたけど、そうじゃなかったのはびっくり。他の本とは聖典のことじゃない。他の人の書いた物語だ。
そう。キノの成功に続く作家が生まれた。
ただし、一番最初の奴は気に入らない態度だった。
「ここか? キノの物語を売っているって店は?」
吟遊詩人のシヴァ・ローグワン。
最初は偉そうにして鼻もちならなかったけど、実は、彼がキノの最初の物語となった「ラクレオスと竜の姫」の原案者だった。
キノは私が自宅謹慎を食らっている時に、シヴァと知り合い、その英雄譚からあの話を思いつき、結末についての相談もしていたらしい。
私がいないところで、そんなことになっていたとはね。
「で、どんな話なのよ」
「なんで、神官に話さないといけないんだよ」
「悪いけど、ここの店に置くのなら、それなりのレベルじゃないとね。本を作るには、本当に多くの人が関わるの。だからレベルの低い話なら、お断りよ」
シヴァは、最初はイラっとしていたけど、キノが
「リリカは、売れるかどうかを見極める能力があるから」
と諭してくれて、ようやく物語の内容を話し出した。
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