第7話 用紙
世の中にはお人好しもいれば、お人好しよりも、もっとすごいのもいる。
それを「物好き」というのかも。
紙問屋のアランは、例の白い紙を「最上級紙」として評価してくれた。
「悔しいですが、私たちの技術ではこの紙は作ることも叶いません。これは同じ面積の金箔に匹敵するほどの価値ある紙です」
代用紙を二千枚どころか五千枚も運んでくれただけじゃなく、この上質紙を手に入れた経緯を根掘り葉掘り聞くために、アランも私の家にきた。
「で、これが例の機械ですか?」
垂れる長髪をかきあげ、興味津々でテーブルの上の機械をじろじろと眺めている。
そうなるよね。
白い紙と引き換えに大量の紙を用意させて、その用途を内緒にしておくなんてのは、無理。特に、キノにはできないわ。全部喋ったらしい。
いや、これって、秘密にしておいた方が、ホントはよくない?
「アラン。この先も取引がしたければ、この機械のことは内密に。これがキノが発見した『書き写す機械』です。この新しい紙で実験しましょう。キノ、お願い」
キノは頷いて紙を挟んでハンドルを回した。
「おお、これは……。絵も描けるということですか?」
あ、そうか。しまった。前にセットした油紙のままだった。
ベラスケス副司祭の顔がべろんと機械から出てきた。
「この人物は……なんて読むのですか? ……ああ、文字が反転しているのですね。アスケディラス……と書かれていますが……まさか、神の御姿!?」
おっとっと。
神の姿を描くのは教会が禁止している。人の姿のように描いてはいけない。
アランがドン引きしている。神官のくせにと言う目だ。
「あー、これは、違うんだけどね。神様じゃないの。でも、まぁ、こういうことができる機械なの」
ベラスケス副司祭の顔というわけにもいかない。
それに、機械の詳しい説明は省いた。
言っても分からないでしょうし、私が詳しいわけではないから。
「神官のあなたが言うのであれば、これは魔界の道具というわけではないようですね。なるほど。版画のようなものでしょうか。これで何かを刷りたいと?」
お。いいところを突いてくる。
「そうなの。これで私たち、本を作ろうとしているの。安い本を」
「本!?」
いい反応。数日前の私を見ているようだわ。
「これがあれば、一度の書写で、何冊も本が作れるの」
「それは……教会の本の価値が下がってしまいませんか?」
……おっと、その視点はあまりなかったな。
「大丈夫よ。本といっても、現代語訳をした本だし、教会の豪華な装丁本とは比べ物にならないわよ」
多分。
「今作っているのは、アスケディラスの物語。これを現代語にして、この機械で大量に刷って、本を作ろうと思うの」
「なるほど。であれば、表紙と裏表紙も必要なのでは?」
……鋭いな。考えてなかった。
キノも感心して頷いている。
「そちらも五十冊分、納品いたしましょう。お代は」
「いや、いま、私たちはそんな金はないんだが……」
「そうですか。では表紙はなしにいたしましょうか?」
「そこで相談だが、今度の教会への紙の納品、少し口を利いてもいいよ? もう少し、グレードあげたいでしょ?」
「よろしいんですか?」
「うん。私、いま、購買管理もやっているし」
嘘じゃない。
物の値段や品質を把握しているのは、そういうことだ。
「今、教会に納めている紙、申し訳ないんだけど、すぐにペン先が引っ掛かるから、書き損じが増えるのよ。書写士たちも不満そうだし。うまく、教会を説得して、もう一段上等の紙を仕入れさせてもいいわよ?」
「わかりました。この表紙も裏表紙もこちらで手配いたしましょう」
「ありがたい」
キノが私の交渉に感心している。
まあ、商売に関しては私のほうが少し知っているからね。
「ちなみに、その、本を作るというのは、この先もお続けになるのですか?」
と私に聞いてきたが、私には何とも……。キノの顔を見た。
「続けると思います。成功すると思いますから」
キノが自信たっぷりだが、不安はある。
何と言っても、キノは「不遇の天才」だ。成功の一歩手前で失敗の道を歩むのが、キノの人生な気もする……。
「わかりました。紙は我々で手配いたしましょう。その代わり、儲けの一割を」
「おーっと、まったまった」
割って入らせてもらう。
こういうの、ほんと、商売人の悪い癖。
うまい条件をちらつかせて、この事業を絡めとろうとするのよね。
「簡単に約束はできないわ。まだ、この本が売れるかどうかわからないのに、キノに無用な借金を背負わせたりしないでよ?」
「滅相もない。手前どもは誠実な商売をして、新たな事業を支えたいというだけでして」
「そうやって、ペンドラゴン家は没落したんだからね、キノ? いい? 未来は極力約束しないこと」
「そうなのか? 未来の目標を持つのは良いことかと思ったけど」
「目標と約束は違うわ。目標が達成されたら、未来の約束を守ったということ。目標が達成できないときは約束を守れないでしょ?」
「それもそうか」
「約束を守れないとき、商人は『約束が違う』というでしょ? アラン」
「……まあ、言いますけどね」
ほらみろ。あぶない。
「ただ、商人たちも悪気がないのは知っているわ。アラン。これが成功するかどうかは、市民バザールでの実績を見て? そこから判断しても遅くないでしょ?」
「市民バザールをお使いですか。なるほど。変わった商品を売るのであれば、一番良い場所かもしれませんね」
アランは商人ギルドの幹部でもあるから、商売の仕組みが分かっている。
新規性の高い奇妙な商品は、商人ギルドを通じて扱われることはほぼない。売れるか売れないか分からない商品を扱えるほど、商人は寛容ではないのだ。
なので、大半の珍品は街の商店では扱われず、人目に触れることもない。
ただ、その手の商品は、売れると分かれば商人は皆、飛びつく。
「もしも、売れた場合、他の紙問屋に浮気をしたりはしないから」
「約束ですよ? このアスケディラスに誓ってください」
「浮気ばっかりしている神だけど、それでよければ誓うわ」
ちなみにアランが指さしているのはアスケディラスではなくベラスケス副司祭だけどな。
「なるほど、商売人というのは、そうやって話を進めるのか」
「キノも覚えるんだよ? この先も、この商売をやっていくんだろ?」
「ああ。おじい様や父が苦労したのも分かる気がするよ」
アランはニコニコと笑っているが、彼の家もペンドラゴン家を助けなかった側の人間だ。そういう意味では私もそうだ。助けられなかった側だ。
親友が生活できるまでは、支えていこうと誓ったのだ。
なんとしても、この本は成功させなくてはいけない。
約束はできないが、目標であることには違いない。
「それはそうと、例の油紙の試作をお持ちしました」
アランは箱から、薄い紙を三つ取り出した。
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