第6話 書式

 二人が交互にページを書き写すことになったために、色々な問題が発生した。


 文字の大きさ、開始位置、段落の組み方、行間の開け方など、統一しておかないといけない。ページを開くたびに印象が違うページが並ぶのは、よくないだろう。

 

 それと、二人が互いのページを把握していないため、しばらくすると、繋がりがわからなくなる箇所も出た。

 最初こそ原典を参照して「このページの次は、これだな」とやっていたが、似たような話もあるため、混乱してきた。この混乱を避けるために、キノは各ページに番号を振り、それをページ番号と呼ぶことにした。

 このアイデアはなかなかいい。管理しやすくなった。


 次に訳語の共通化と、訳による文字数増減の問題が出た。

 聖巻十二神話は、入門書とはいえ、やはり神代文字で書かれてあるために、格調高い。例えば、アスケディラスは時折、人妻に手を出すことがあるが、原典には「既に契りを結びものとの不逞なる契りキロ・ケスタム・イリデ・キロ・キス」という表現がある。これをキノは「寝取られた関係になったイリデナ・イリド・ガルナキスタム」と訳す。

 これによって単語は減るが、文字総数は一文字増える。

 他にも、「不意なる精漏エルスマ・デル・フォリナ」は「うっかり中だしハチベル・デン・フォリア」となる。

 これは逆に一文字減る。

 頻出するこれらの訳語は、統一するために、キノがひとつひとつ紙に書いて、共通化していった。

 そしてこれらの訳語による増減が、ページ内で収まればいいが、収まらないこともある。そのため、各ページ、上下に一行ずつ余白を作って、はみ出す部分を次のページで収めた。また、文字の間を詰めていくことで、多少カバーしたりした。


「……って、ちょっと待って? 『うっかり中だし』とか、使っていいの? ホントに?」

「いいよ。アスケディラスの物語って、神と人間の近さを教えてくれているだろ? より人間らしい言葉にしよう」


 ふむ。

 確かにそうだ。


 アスケディラスは神々を束ねる長ではあるが、人間社会や他の女性の神々にちょっかいを出し、罪を犯すことがある。

 非常に人間っぽい行動の多い神でもある。自重すればよいものを、そういう歯止めが利かない性格らしい。そのたびに、その妻である大母神カラキの嫉妬を引き起こし、神様らしからぬ罰を受ける。


 アスケディラスの物語は、全体を通して、『罪と罰』がテーマになっている。『神ですら罪を犯せば罰を受ける。いわんや人間をや』ということだ。この物語を通して、人は、神すら逃れることの出来ない『倫理』を知る。

 アスケディラスは人間と交わりながら、人間に冷たくもする。この世界が不条理に満ちる理由は、アスケディラスの呪いとも言われる。


 しかし、こうやって現代語訳で読むと、神々しさが抜けた分、はた迷惑なおっさんにも見える。どういうつもりでこんな話ばかり集めたのか分からないが、笑い話を集めた感じにも見えなくもない。片っ端から人妻に手を出すとか、倫理観を説く神とは思えぬ所業だな。


 確かに、人間と神の近さを教えてくれる物語だ。

 神は絶対だが万能ではない。

 ま、神が本当に全知全能であれば、人を作ったりはしなかっただろうけどね。


 キノが不安そうに紙を数えだした。


「リリカ。すまない。ちょっと出かけてくる」

「ん? どうした? 急に」

「いま気付いたんだけど、紙が全然足りない」

「どういうこと?」

「いま白い紙、数えたんだけど百九十枚しかない。油紙は全部で五十枚だ」

「足りないの?」

「油紙はギリギリだ。もしも間違えがあって差し替えたら、あっという間に足りなくなる」

「白紙は、百九十枚で足りない?」

「五十部作るんだろ?」


 ああ、そうだった。

 アスケディラスの物語は、原典のページが全部で八十ページある。

 これに沿って書いていくと、一冊作るのに、四十枚の白紙が必要だ。

 百九十枚だと、四冊作っておしまいだ。


「まずいわね」

「街の紙問屋に頼んでくるよ。あそこの大きな商店」


 よく知っている。

 教会にも出入りしているアランの店だ。その紙問屋は、この地の紙を手広く扱っている。紙は教会だけでなく、庶民も使う。主に手紙や帳面としてだ。


 アランの家が、代々私費でこの地の人々に文字を教えてきたせいもあり、ここカレンドリア市には手紙の文化が根付いているし、街の識字率は高い。

 文字を知れば手紙が書ける。手紙を書くには紙が必要だ。

 ……という、なかなかうまいビジネスを考えたものだ。

 アランの店では、多くの人の要望を満たすため、厚さや色味など、多くの紙を扱っている。


 確かに、そこなら白い紙と似たような紙を用意できるかもしれない。

 それに注文に応じて、カスタマイズしてくれるのもいい。

 アランはそこの三代目だ。まだ若い男だった。


 だがアランが、この紙を見たら、どう思うことか……。


「ならキノ、この白い紙を全部持って行って」

「全部もいらないだろ?」

「キノ。これと同じ紙をアランが用意するのは、ほぼ無理。こんな紙、教会でも見たことがないもの」

「そうなのか?」

「かなりの上質紙よ。冒険者ギルドには分からなかったかもしれないけど、この白さの紙は存在しないわ。アランのところの上質紙であっても薄いクリーム色。このレベルになると、もう素材から私たちの知っているものじゃないかもしれない。これをアランに売ればいいとおもう」


 キノはまじまじと紙を見つめ直した。


「そうか。現職の神官が言うのであれば、そうなんだろうな。わかった」

「あと油紙も。これは一枚でいいわ。それを見本にアランのところで作らせて」

「なるほど。あそこなら、カスタマイズもできるからな」

「いい? 白い紙は、アランが扱っている紙の中で一番高いのと同じ値段かそれ以上で引き取らせるのよ? 妥協しちゃダメだからね?」


 神妙な顔でキノは頷いた。

 事の重大さに気付いたらしい。


「必要な紙の枚数は、二千枚以上。同じくらいの厚さなら、多少色味がくすんでいてもいいわ。折り曲げて使うことが前提ね」

「わかった」

「油紙は、最悪、後でもいいわ。お金で取引しようとしちゃだめ。この白い紙と、二千枚の紙と油紙を交換するつもりで」

「難しいことをいう」


 キノが不安気な顔で出ていった。


 大丈夫よ。……お人好しだけど。

 商売をするなら、これくらいはできないと。



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