第32話 旅日記

「大事な剣だったんだろ?」

「もう私の冒険は終わった。持つべきものが持つのが相応しいんだ」


 キノはそういうが、少し寂しそうで、それでいてさっぱりした様子だった。


「ペンドラゴンの始祖は、アリフィエント王国の騎士団長だった。双剣の使い手だったという。もう一つの剣は、売られた屋敷を探したが見つからなかった。恐らく他の人の手に渡ったのだろう。バラバラになった双剣の片割れだ。もう片方の剣に引き寄せられたら面白い旅になる」


 キノらしく、物語を想像して微笑んだ。

 それは確かに感動的な旅になるかもしれない。


 そして数週間後、リーヴから手紙が届いた。まだ生きているらしい。

 魂保護の管理下に置かれたダンジョンならまだしも、野原フィールドで死んでしまえば、蘇生は不可能だ。便りがあるだけで、心配は減る。


 リーヴの手紙には、カレンドリアから更に国境に近い小さなオストー村での状況が綴られていた。花売りの貧しい家の幼女と友達になったとある。

 そこで初めて、自分が恵まれた環境にいたことに気付かされたと書いてあった。


 なんだかんだで、カレンドリアは辺境とはいえ大都市だ。仕事もあるし、経済が成立している。大聖堂もあれば、冒険者ギルドも充実した街だ。


 それに比べて、オストーは寒村だ。本を読む機会のない子供たちを見て、思う所があったらしい。良いことだ。


 封筒には、ガングスタム氏がなかなか味のある絵を同封してくれた。

 雪の山脈を背景に、二人の女性が道を進んでいく絵だ。片方は背嚢を背負った剣士で、もう片方は女魔導士だった。

 なかなか素敵な絵じゃないか。将来は彼の絵だけでも本が出せそうだ。もしも色印刷ができるようになったら、これを画集と呼ぶことにしよう。


 手紙には、この先、国境を越える予定とある。

 ある程度、手紙が集まれば『リーヴとガングスタムの旅日記』というタイトルで本を出してもいいかもしれない。

 次の街にたどり着いたら、また手紙がくることだろう。


 それよりも私は、急な教会からの呼び出しで忙しくなっていた。


  ◇


「失礼します。何事でしょうか? 正司教さま」


 教会の正司教さまの執務室に呼ばれるというのはよほどのことだ。

 執務室には正司教だけでなく、見慣れない服を着た赤毛の男がいた。


「リリカ・ホークテイル一等神官。こちら、アリフィエント王国軍のフレーベル大佐です。あなたを呼び出したのは、軍の依頼がありましてね」


 私は慌てて男に礼を取った。王国軍の軍服だったのか。初めて見た。

 でも王国軍が一体、何の用だ。正司祭さまを前にして、わざわざ私から祝福を受けたいわけでもあるまい。


「あなたが、ペンドラゴン書店の経営をされているという方ですかな?」


 フレーベル大佐は大きな口ひげを上下に揺らして話してきた。


「ええ、まあ。えっと……どのようなご用件で?」


 歯切れが悪くなるのも仕方がない。

 神官として軍に同行を依頼される仕事が、稀にあると聞くが、まさか書店の話を持ち出されるとは思ってもいなかった。


「今から話すことは軍の機密に関わることです。口外しないことを約束いただけますかな?」


 正司祭さまを見ると、険しい顔で頷いてらっしゃる。

 ここは抵抗するなということだろう。


「わかりました。神官にとって約束とは生涯をかけた重大事です。命に代えても口外いたしません」

「そんなに堅苦しい話ではありません。実は、もうしばらくすると、カレンドリアに軍がやってくることになります。私は先遣隊になります」

「軍? 珍しいですね。何をしに?」


 どこぞのダンジョンで魔物でも溢れかえったのかと思ったが、それなら、街の冒険者たちが増えるはずだし、その手の話は聞いたことがない。


「……神官。軍です」


 大佐の目が光った。

 なるほど。察しろと。

 どこぞの国がきな臭いのか。どうも軍事侵攻、それも国同士の戦いがあるらしい。国境に近い街となると、カレンドリアに軍が駐留することもあるだろう。


「で、私に何を?」

「この街のガイドブックを作っていただきたいのです」


 つまり軍の仕事を請け負えと。


「かなりの兵数で向かっています。なるべく、街の住人とトラブルを起こしたくないので、一部の士官こそ、宿泊は街の宿屋を使わせていただきますが、兵は城壁の外でテントを組んで駐留します。ただ、当然、街の方々との交流も考えておりますので、カレンドリアの中で兵士の食事ができるところや、飲み屋、または街のルールをガイドブックにしていただきたいのです」


 つまりカレンドリアガイドを作れと。

 ガングスタム氏がガイドブックを作ったばかりだ。街の人も「次は紹介してくれ」

と言っているくらいだから、協力はしてくれるだろう。

 軍ということを伏せても、取材はできそうだ。


「製作は可能ですが、何冊作ればよろしいのですか?」


 どれくらいの兵士が来るかもわからない。全員に配るのだとしたら、数百冊は刷らないといけないだろう。


「二千冊でいかがでしょう」


 おっと桁が違った。思わず、拳を握ってしまった。


「ガイドブックには絵や地図なども書き込みます。その為、少々値段が張りますが、よろしいですか?」

「そうなのですね。予算上、一冊百ギルまでの出費が限界なので、その中でやっていただけますかな」

「なるほど。では、百ギルまでの定価を定めることにしましょう」


 百……。十分すぎる。

 五十くらいで考えていた。値段交渉がないのはありがたい。


 しかし、王軍が二千もの兵を駐留させるとなると、厄介な話だ。ここが前線になることはないだろうが、物騒になるのは間違いない。

 冒険者と違って兵や傭兵は気が荒い。


 街の文化を兵士たちが壊さないためにも、やりがいのある仕事だと思えた。


「それともう一つ、お願いが」

「なんでしょう」


 私の顔は、無意識にニヤついていたに違いない。

 私は神官だが、そんじょそこらの商人よりもヤリ手の自負がある。王軍を相手にひと商売。こいつは面白い。


「街の女性が、軍の兵と恋に落ちる物語をひとつ書いていただきたい」


  ◇


「断れ」


 キノの反応は冷たかった。


「いやぁ、キノ。気持ちはわかるが、こいつは、軍の依頼だからさ」

「リリカ。正気か? 軍の狙いはわかるだろ?」


 やはりキノはすぐに気付いたか。私は軍がここに駐留することも、近々戦争が起きることも一言もしゃべっていない。

 キノの頭の良さのお蔭で、嘘をつくこともなく、伝達できるのは嬉しいが、頭が良すぎると、こういう時に融通が利かなくなる。


 軍の狙いは、キノが考えている通りだ。軍の駐留に好意的になってもらいたいということだろう。つまりそれだけトラブルが予想されているのだ。


「すまないな。リリカ。書きたくない」

「そう言わずにさ、キノ。こんなの」

「おっとリリカ。それ以上、言うなよ? 君ならわかるだろ? 私たち作家は、どんな作品も『こんなの、ちょろっと書くだけだ』とは思ってないからな?」


 ……その通りだ。

 私が間違っている。

 やはり大佐には申し訳ないが、ガイドブックだけにさせてもらおう。


「わかった、わかった。断っておくよ」

「賢明だ。それよりも、企画の話なんだがな、前にラブレターの落とし主の話を書いただろ?」

「ああ、あの『手紙』は久しぶりに売れたな」

「あれで思ったんだが、事件のようなものを解く作品が作れないかなって思っているんだ」

「事件?」

「ああ。例えば、人が殺されたとして、その犯人を捜すような」

「ラブレターの差出人を探すように?」

「ああ、ヒントは読者にもわかるように散りばめていく」


 面白い。

 キノは恋愛物語を辞めてから、そういった新機軸の実験をしている。

 キノは分かっているのだろう。

 誰かが新しい型に挑戦し、新しい面白さを発掘しないと、マンネリ化していくことを。山ほど似たような恋愛話を書いたキノが至った境地らしい。


 一つ物語を作れば、それと似た物語を作る作家が山ほど出てくるのだ。


 確かに、今更、街の人と兵士の恋愛を書く役をキノがする必要はない。うちの作家たちも同様だ。彼らには書きたい作品があり、読者には読みたい作品がある。ただそれだけだ。


 大佐には、申し訳ないが断ろう。


 ──だが、それは、思わぬ方向に着地することになった。

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