第37話 正義
俗称『アーデル参り』。
私たちは、今や、軍の検閲部に行くことを、そう呼んでいる。
カレンドリアの街の至る所に、今や、兵士の姿を見ない日はない。片手にはガイドブックがあるのを見ると、心が痛む。
既に戦争は始まっているが、肝心の戦況は全く伝わってこない。敵はランドンだった。同じ神を崇めながら、相手を邪宗と決めつけたらしい。あのベラスケス副司祭の予想が当たったということになる。
街に入ってくる兵士は主に二通りだ。
休暇を楽しむか、医療を求めるか。
それが大多数であり、検閲部を含む軍官僚ははごく少数だった。
街を我が物顔で歩く兵士たちを縫うように、検閲部のある建物を、私はキノと二人で目指す。もはや既に、私たち二人がこの建物に行くのは名物なのだろう。兵士たちも咎めようとはしない。
長い廊下の長椅子に座り、二人で呼び出しを待つ。
二人で待つのは理由がある。作家だけだと、軍が難癖をつけて、懲罰房にぶち込むことがあるからだ。
それを避けるためにも、私が必要なのだ。
突然、扉が開いた。慌てて立ち上がる。
原稿を抱えた男が部屋から出てきた。
「では、再来週には製本いたしますので、よろしくお願いします」
男は扉の向こうの人物に何度も頭を下げて、退出していった。
先月から何度もこの男の顔を見た。
男は私たちに気付くと、にやりと笑って軽く会釈をしてきた。
「睨んじゃダメだよ」
とキノが制したが、相手は商売敵だ。
各地のペンドラゴン書店が閉鎖に追い込まれていく中で、新たな書店として生まれた、ニューウェーブ書店の人間だ。軍御用達の書店になって儲けている。
「次。ペンドラゴン書店さん。お入りください」
アーデル少尉は部屋の奥から声をかけ、我々を部屋に招き入れた。
部屋は殺風景で、扉の他は窓が一つだけあり、中央にアーデル少尉の机があるだけだ。執務用の椅子に深々と座り、無表情のまま、我々に席に着けと手で促した。
こっちは丸椅子。
これのせいで、腰が悪くなりそうだ。
「では、拝見いたしましょう」
アーデル少尉はキノから原稿を受け取ると、それを読み始めた。
「今回は、キノ・ペンドラゴンの新しい物語になります。今までの少尉からの指摘を活かした新機軸で、正義とは何かを考える物語になっています」
アーデル少尉の眉がピクリと動いた。
このアーデル少尉はほとんど無口なうえに、顔の表情もごく僅かだ。
ピクリと眉が動くときは、たいてい、何かよくないときだ。
……というか、よくない体験しかしたことがないから、関係があるかもわからない。
「今回の孤独な主人公『クロ・ワッ』は、それはそれは『正義が友達』というくらい、正義が大好きな人間でして、村の人を助けて回るという」
アーデル少尉が顔をあげてこちらを見つめた。
威圧感だけがすごい。
が、何を考えているのか、全く分からない。緊張だけが走った。
少尉は無表情のまま胸ポケットから煙草を取り出すと、それに火をつけ、燻らせた。そして、また無言で、原稿を読みだす。
それを覗き込むように、キノと二人で、アーデル少尉の視線を追った。
無言でぱらりと紙をめくる小さな音だけが、部屋に響く。
そして数ページ読むと、再び何かを考え込むように目頭を揉んだ。
「そこから、戦いが始まるのですが」
「すまない、神官。村を襲うこの敵は、一体、どういうものなのですか?」
説明を遮って、良く響くバリトンの声で質問をしてきた。
「この世界の汚れや穢れを擬人化した妖魔です」
「ふむ。妖魔……」
そういって、原稿に赤のペンで『妖魔』と書き込んでいく。
「ただ、村を襲うと言いましても、要するに悪戯をするという類でして」
「……悪戯」
「ええ。よくある子供の悪戯のようなもので」
「そうですか。それで登場のたびに『けっがれだよーん』と分かりやすくされたのか? 何回も出てきますが」
そしてまたぱらりとページをめくっていく。
「そう言えば、前回の物語では、女性でありながら、男性の恰好をした軍人の話を書きましたよね」
「あれは……申し訳なかったです」
「いや、いいんです。検閲部でも話題でしたよ」
「……そうですか」
いい話題の訳がない。
アーデル少尉が静かに首を横に振って却下の判を押した企画だ。
「キノ先生は、面白い設定をするものだとね。ただ、最終的に国に対する叛乱の指導をしては、さすがに無理でした。ですが設定は愉快でしたよ。幼馴染と恋愛関係に発展しそうな展開も、さすがでした」
「その節は、申し訳なかったです」
「蒸し返したいわけではないのです。キノ先生の想像力は、物凄いと検閲部でも評判だとお伝えしたかったのです」
緊張が走る。
前回は王都に迫る敵を倒す男装の令嬢の話を書き、女性でも勇気を奮って、国に尽くすのだという話をキノが書いてきたが、最終的に革命の流れに乗ってしまい、市民たちの戦闘指揮をして王国を倒してしまう物語だ。キノは「キャラが勝手に動き出して……」と言っていた。
確かに、これでは軍の検閲を通るわけがないが、聞いたときは、傑作だと思ったのだ。戦時下でなければ……。
「ですが申し訳ない。キノ先生。リリカ神官。今回の作品は読んでいても、いまいち、理解が追い付きません」
アーデル少尉が無表情のまま、告げてきた。
文章力の高いキノの作品に対して、そこまで言うとは。
「どこら辺がでしょう?」
「この、主人公の仲間ですが、主人公を育て上げるのが、パン職人というのが」
「彼は主人公の生みの親でして」
「パン職人が? それに、正義を謳う物語にしては、軍も出てきませんし」
「あ、すみません! 言い忘れていましたが、今回の作品は、五歳くらいの子供向けに書いたものでして」
「……なるほど」
「はい。主人公は、お腹を空かした子供たちに、食料を配る役をしていまして」
「食料を配る? それがパンということですか? 何故、子供はお腹を空かして?」
「……それは……」
突いてくるなぁ。
キノはソフトな表現をしているが、空腹の子供たちは戦災によって親を失った子供たちを暗喩している。
「我が国は豊かで、このような配給を必要とはしておりませんが」
「そこは、前回同様、空想の国ですので」
「……なるほど。空想と申しますが、私の理解が追い付かない。これは検閲以前の問題ですな。衛生的にもどうかと思います」
「どこら辺がでしょうか?」
「顔についているパンを食べさせているのは、どうも、気色悪いというか」
「あ、いや、顔にパンがついているわけではなく」
アーデル少尉が指摘しているところこそ、この物語の面白さだ。
「つまり顔そのものがクロ」
「意味が分からない!」
こちらの説明を遮るように、アーデル少尉が言い放つ。
しばしの沈黙とにらみ合いの後、少尉は新しい煙草に火を点けた。
「神官。そんなものに、我が国の正義を語らせる気ですか?」
「そんなものって……」
「顔がクロワッサンなのですか? それでは妖魔の姿ではないですか?」
少尉は静かに諭すように、こちらの知能を心配した口調で尋ねてきた。
「妖魔って、少尉。真逆ですよ。むしろ、正義の味方なのです」
「この必殺技『クロ・ワッ・サンダー』というのも、なんだか暗黒魔導士の技に聞こえます」
「冒険者にとって、雷撃系の魔法は、とてもありがたいと聞いています」
「だとしたら、今、こうして戦っている同胞に対して、侮辱になりませんか? ありがたい魔法をこのような異形の生物に使わせるとか」
「い、異形……ですかね?」
「もっと、誰もが憧れる主人公ならまだしも、こんな顔がポロポロ剥がれ落ちてしまうパンごときにやられる魔族というのも、どうなんです?」
「いやいや、少尉。これを読むのは、子供たちなのです。クロ・ワッは子供たちにも馴染みのある、クロワッサンでできた身近なキャラクターなのです」
「今は戦時です。むしろ兵士たちも読むことを想像してください。正義の兵である我々がパンと思われるわけにはいきませんから」
勢いよく『却下』の判が原稿に押された。
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