第41話 不眠

「……驚きました。やればできるものですな」


 さすがのアーデル少尉も驚嘆している。

 たった一日で完璧に直してきたキノは、一睡もできなかったのだろう。

 顔が随分とやつれている。人間って、こんな顔色になるんだなというくらいに、顔色が悪い。土気色という奴だ。

 だが、天才が本気を出したら、これくらいのことは朝飯前なのだろう。


「早速、拝見しましょう」


 キノの原稿を早速読みながら、赤ペンを入れ始めた。

 途中、何度も考え込む様子を見せながら、物語を咀嚼するように味わっていた。

 その間、無言でキノと二人で、食い入るようにその顔を眺めるしかない。


「確かに直っていますね。素晴らしい原稿です」

「ありがとうございます。では」

「ただし」


 腰を浮かしかけた我々は「ですよね」と再び椅子に腰かけた。


「何点か、気にかかることが……」

「例えば?」

「大佐の……いや、このエレナという新しいキャラクターが、全体的に、かなり相手に対して暴言を吐いているというか、攻撃的な感じがします」


 キノが答えようとするのを私が制した。

 これ以上キノに負担を掛けたくない。修正はあと一回くらいで済ませたい。


「私がお答えします。それは、笑うタイミングを教える役どころです。前までは主人公が周りの理不尽ボケに対して指摘ツッコミを入れていましたが、エレナにその役を譲ったため、あらゆるところで、エレナが指摘を入れることになりました」

「なるほど。その為ですかね? 主人公グループが、全員、かなり的外れな会話を繰り広げるような感じですね。主人公もかなり奇天烈で的外れな性格に変わりました」

「的外れではなく、それがズレという部分ですね。登場人物の約八割がズレた会話になることで、エレナが都度修正をいれていくという頭の良い立ち回り役です」

「八割も会話がズレていくのは、現実的ではないですな」

「……でしょうね。これは、物語なので、現実的ではなくても」

「中には、そのズレですか? ちょっと外れたことを言ったまま、仲間との空気というか距離感が開く登場人物もいますが」

「それは、もう突っ込むことに疲れて、そのままにすることで、新たな笑いを産むという高等な技法です」

「かわいそうじゃないですか」

「……かわいそう?」

「ちゃんと話を聞きませんか。ここにも大佐の娘さ……エレナを登場させるべきではないでしょうか?」

「いや、ここは男子トイレなので、お嬢さんが登場するのはおかしいですよね。昨日、少尉も仰っていたかと」

「そうでした。ならば、たまたま覗いていたというのはどうですか?」

「なるほど。うん。……いや、ダメでしょ。それをしたら、大佐とお嬢さんの仲が、今まで以上に悪くなる気がします」

「ふむ。そうですよね。だが引っ掛かります。あ、あと、エレナがズレるシーンがないのは何故です? おかしくないですか?」

「それで正しいです。基本的に指摘役がズレた会話はしません。全員ズレはじめると、話が進みませんから」

「これだと周りがふざけているのに、エレナだけが、真面目過ぎる感じが」


 笑いから外せと言ったにも関わらず、エレナを笑いの輪から独りぼっちにするのは気が引けるらしい。


「……そ……うですね。わかりました。直せる? キノ」

「お願いします。もちろん、笑われるようなシーンも困ります。あと」

「あと?」

「例の枢機卿は、どこへ行かれたのですかな?」

「……彼は邪魔になったので排除しました」

「いや、それはいけないでしょ。出しましょう」

「しかし、ページ数の関係上、これ以上登場人物が増えると読者が混乱します」

「前は確か、主人公に自分の持っていた魔導書を渡す重要な役でしたが」

「その魔導書は偶然発見したことにしました」

「それは都合が良すぎませんか?」

「……そうですね。直せる? キノ」


 その後も、次から次へと疑問が呈され、その都度、黙ったままのキノに私が「直せる?」と聞き続けた。


 こんな直しを数十か所も入れられると、さすがに心が折れそうになるだろう。

 くそ、キノに負担をかけまいと頑張ったが、限界だ。

 

「以上でよろしいですか?」

「はい。以上になります。あ……あと付け加えるとしたら、主人公に『王国万歳』と言わせてもらいたいのですが」

「どこら辺で?」

「最初と、真ん中と、最後の三か所でどうですか?」

「……三か所」

「……やはり、少ないですかな? なら後は……」

「その三か所で検討してみましょう。できるよね? キノ」


 尚もどこに入れようか迷っている少尉を遮るように、原稿を奪い返した。

 そもそもこの主人公は「王国万歳」と叫ぶようなキャラクターではない。そんな台詞の後に、どう笑いの要素を入れればいいのか。

 

「心強いですな。王国軍のために尽くしてくださりありがとうございます」


 少尉が頭をさげた。

 渋い顔で、それでも微笑もうと努力したが、引きつった笑いになっていたことだろう。キノはと言えば、完全に無表情だ。


「では明日。お待ちしております」


  ◇


「……って、やれる?」

「修正点は全部、メモした。アイデアもある」


 キノの顔色を見ればわかる。限界が近い。


「すまないが、私に回復の魔法をかけてくれ。あと、眠らない魔法も。あるだろ? 神官魔法に」


 キノも神官学校で学んだ経験がある。隠せない。だが、土気色がどんどんひどくなっているように見える。


「続きはシヴァに書いてもらおう。あいつも、喜劇は書けるだろうし」

「いや、これは最後まで私が書くから。頼む。回復魔法を」

「どうなっても知らないよ?」


 体を壊してまで書かなきゃいけない話なのか。


「読者が待っているんだ。頼む。リリカ。回復魔法を」


 親友の思いを踏みにじることもできない。


「……わかった」


 回復魔法と、不眠の呪いを掛けた。

 不眠の呪いは解除されるまで眠ることができない呪いだ。様子がおかしければ、すぐに解除しよう。


 魔法をかけられたキノは、一心不乱に机に向かって原稿を書いた。

 あんな大幅な変更に耐えられるとは思えない。

 そもそもにして、要求がどれも理不尽だ。


 だがキノの頭の中で、何かが動き出しているのだろう。物凄い勢いで書き始めた。


「キノ……」


 もはや、こちらの声も聞こえないようだ。

 いますぐ呪いを止めて、すぐに眠りの魔法をかけようか迷うほどだ。

 呪いの解除のために、手をかざしたところを、後ろから肩を叩かれた。


 シヴァだった。

 指で階下の書店にこいと指さしている。


「まあ、心配なのはわかるが、書かせてやってくれ」

「だけど」

「キノも必死なんだ。ここが正念場だろう」


 同じ作家のシヴァならわかると言いたげだ。

 私は作家じゃないから、分かりたくても分かり得ない。悔しい。


「それよりも、手紙だ」

「誰から?」

「書評家だよ」


 封筒を見ると、リーヴの字だ。

 慌てて中をみようとしたら、既に封が開けてある。


「悪いが見させてもらった。俺も心配だったからさ。でも中身は三行詩だったよ」

「三行詩?」


 中をみると、確かに紙に三行で書かれた詩が書かれてあった。

 リーヴの字に間違いない。


「なにこれ?」

「わからん」


 旅の過程で人間の限界をしったようだが、何か希望めいたことも書いてある。

 

「詩集でも出す気かしら? まあ、生きているだけよかったわ」

「書いた場所はランドンだぜ? 封筒に書いてある」


 裏返すと差出の地名は確かにランドンだった。


「じゃあ、あの子たち、いまランドン……って、どうしよ!?」


 いまアリフィエント王国が戦っている相手がランドンだ。二国の国境は閉鎖されている。敵地に入ってしまい、帰ってこれない状態かもしれない。よく手紙だけでも出せたものだ。


「その手紙も、何か、暗号のようなものかもしれないが、何も聞いてないのか?」

「……え? いや、何も」

「透かして見ても、特に変わったところはない様子だが、なにか、おかしな手紙だ……。ニ……ん? テ……わからんな」


 どうにも悪い予感しかしない。

 だがリーヴが生きていることが分かってそれだけでも安心だ。


 と、その時、もう夜分にも関わらず、通りを大勢の人の声がした。

 呻くような声や奇声……だけでなく、多くの軍靴の音か。

 それも行進ではない。


 シヴァと顔を見合わせ、書店から出ると、そこにはボロボロになった軍人たちが体を引きずりながら歩いていた。


「帰ってきた? え? 何があったの?」

「……見ての通りだ。こいつは……王国軍が負けたな」



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