第40話 修正
アーデル少尉の部屋には相変わらず、煙草の煙が漂っていた。
初の原稿まで進んだキノの作品ができあがり、すぐに校正をかけ、急いで仕上げた作品だ。
アーデル少尉は煙草を燻らせたまま、遠慮なくその原稿に赤線を入れる。カットする部分の指示や、疑問のメモとして原稿を使っていた。
喜劇なのに、全くニコリとしないアーデル少尉が原稿を読み終わった後に深いため息をつき、私たちは無言でそれを見守った。
どう考えても、神官学校で悪戯をした時の職員室の光景にしか思えない。
「『クイン・サーガ』ですか。どうも、この鳥頭の魔法使い『クイン』には、私は感情移入ができませんな。前のクロワさん……でしたっけ? 頭がパンで出来ている」
「クロ・ワッさんですね。ワッさんです」
キノが冷静に対処する。
「ペンドラゴンさんは、頭部の異形がお好きですな」
「確かに異形ですが、クインは、とても気のいい奴ですよ」
いくら気のいい奴でも、異形は誰でも嫌だろう。
そこについてはアーデル少尉の意見に心の中で同意する。
「いっそ、途中でクインを消してしまいませんか?」
「……それは、どのように?」
「例えば、我が軍のために、一人で陣地に残るとか」
「見せ場か……」
キノの目が輝いている。
それに気付いたアーデル少尉が首を横に振った。
「異形に相応しい無様なシーンでいかがですかな? 敵に騙されてしまうとか、味方を裏切るとか」
「なるほど。では密かに敵対行為を疑われるようなキャラに」
「いいですな」
「で、味方を窮地に。盛り上がります」
「ふむ。そういう登場人物がいても、悪くはない」
「で、主人公たちは、クインと対峙して、彼を捕まえてしまう」
「話が変わりますが盛り上がりますね」
「わかりました。書き直しましょう」
やけにキノが素直だ。
「あと『記憶力を高める本』のくだりですが」
そこは、枢機卿が騙されて何冊も同じ本を買うシーンだ。
「本棚に同じ本が二冊とは?」
「ああ。つまり、それは、枢機卿が家族にボケを疑われて、気に病むシーンですね。加齢で物忘れが激しくなり、『記憶力を高める本』を買ったら、既に本棚に同じ本が二冊あったという」
「それだと、この本では記憶が高まっていないことにはなりませんか?」
「記憶を高めている本のはずのに、高まってない。つまり、その本はニセモノで、枢機卿の物忘れがホンモノだと」
「ですから、それだと、あまりにも、かわいそうではないですか?」
いや、かわいそうだけどもよ?
笑いの中身を説明させられる側もかわいそうだ。
「この枢機卿も最終的には敵にしましょう」
冷静に対処しているが、キノが劣勢だ。
味方の予定の枢機卿を敵側にするつもりか……。
「できますか? 鳥頭のクインだけじゃなく?」
「クインの仲間ですからね。枢機卿は」
ああ、そうでしたなとアーデル少尉が納得している。
「そういうことでしたか。それは失礼しました。それならば納得です。でもやはり枢機卿がかわいそうなので、やはり記憶力はよくなったことにしませんか」
「わかりました。それでいきましょう」
くそ。いいのか、キノ?
それだと単純に、枢機卿が主人公に敵対して、ボケることを禁じられただけだ。
しかし、キノがそれでいくというのだから、いけるのだろう。もはや、物語の結末がどこにいくのか、私にはわからない。
少尉の顔も無表情だが、本当にこれで面白くなると思っているのか。
……上司であるギブソン少佐かフレーベル大佐からの命令なのだろう。
難癖をつけて、とにかく跳ねつけ続けるつもりだ。
だが、それなら、難癖をつけてキノと私を牢にぶち込んでおけば済むことだ。若しくは出版を禁止するか。手っ取り早い方法を取ればいいのに。
「ああ、それと。実はフレーベル大佐には娘さんがいるんですが」
「娘さん?」
へぇ。結婚していたことも意外だったが、その娘の話が出てきたのも意外だった。
「ペンドラゴン氏の作品の大ファンだそうでしてね」
「……後ほど、キノのサインでもお送りいたしましょうか」
なら少しでも媚びておくに越したことはない。どうせ、この後、少佐と大佐に出版の許可を取らなくてはならない。
それに、もしかしたら、大佐が我々に強権を発動しきれないのは、このせいかもしれない。愛娘と軍の威厳の板挟みかもしれない。
ここは恩を売っておこう。
「いやいや、そうではなくて。いま、大佐とペンドラゴン氏が一緒に仕事をしていると知って、大層、羨ましがられたそうでしてな。実は、ここだけの話、大佐と娘さんは、あまりうまく行ってなく、大佐も相当、気に病んでらっしゃる」
「はぁ」
「お二人ならわかるかもしれないが、年頃の娘さん特有のものらしい」
キノと二人で黙って聞いているが、一体、何を聞かされているのか、よくわからない。
「そこでですな。もしも、君の作品に、大佐の娘さんが出ていたとしたらどうだろうかと? 面白くなりはしまいかと?」
「いや、そんなことで面白くは……」
「なるかもしれませんね!」
キノがうっかり否定しようとしたのをすかさず、私が遮った。
嘘は言ってない。面白くすればいいだけの話だ。
「リリカ。登場人物はもう」
「あと一人くらい、大丈夫じゃない? わかりました。チョイ役で出しましょう」
「ホークテイル神官。大佐の娘さんが、チョイ役というのは……どうだろう」
「なるほど。確かに! でしたら、いっそ主人公の名前を、大佐の娘の名前にしてみましょうか? 性別も変えて」
「いや。リリカ。それだと、中盤で男子トイレで、隣の男に話しかけられる話が」
「そこは女子トイレに行けばいいだけでは?」
「女子トイレで用を足している途中で、隣の男に話しかけられるシーンは、面白いを通り越して、倫理的にどうなんだ?」
「よし。そこは声を掛けてくる側も女にしよう。いけるでしょ?」
「リリカは今まで、女子トイレで隣の女に話しかけられたことはあるか?」
ない。
「ホークテイル神官。大佐の娘さんの用を足すシーンは、さすがにどうかと」
アーデル少尉が乗っかってきた。
まるで私だけが分かっていない感じじゃない、これ。
「最終的に主人公が恋をする相手としてはいかがだろう? ペンドラゴン氏は、恋愛物語がお上手だと伺っておりますが」
お上手どころの騒ぎじゃないが、キノは渋い顔をしている。
登場人物が一人増えるというのは、簡単なようで難しい。
昔、シヴァとその件で口論になったことがある。
三人の話なら、コミュニケーションラインは三つで済む。
やりとりが三つしか発生しない。
しかし四人になると、コミュニケーションが六つに増える。
しかもシーンによっては、一人の時、二人の時、三人の時、四人の時と、パターンだけで、十五種類になる。三人なら七種類しかない。
登場人物を増やしてもこのラインを減らすという手もあるが、そうなると登場人物の関係性が薄味になっていくし、限られた枚数の中で人物背景の深掘りができなくなる。
なので、物語には適正な登場人物量があるし、シヴァのように超長編を書くようにならない限り、登場人物は少ない方が話が引き締まるのだ。
「ちなみに、娘さんのお名前は」
「エレナ・フレーベル」
くそ。エレナテレス枢機卿の名前までかぶっている。
枢機卿の名前を変える必要も出てきた。
「出来ないかね?」
「……やれる? キノ」
キノは黙ってうなずいた。
「あ、娘さんは、笑いとは無関係な立ち位置でお願いします。笑われるのも笑わせるのも得意ではないはずでしょうから」
じゃあ、なんでこんな喜劇の話に出てくるのか。
キノは、それでも頷いた。
やるしかない。
「それと、ホークテイル神官。ついでの話になりますが、ベラスケス副司祭にお会いしていませんか?」
「いえ? 釈放されたのですか?」
アーデル少尉は首を横に振った。
「脱走しました」
顔色を変えずに部屋から出るのが精一杯だった。
ついにやったか。あんな副司祭だが、無事を祈ろう。
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