第39話 笑劇
カレンドリアに少しだけ雪が降った。
戦況は芳しくないらしい。
しばらく前に国境を越えたアリフィエント王国軍だったが、その敵地ランドン領内で、進むことも退くこともできない状況だという。
お蔭でカレンドリアに駐留する兵は随分少なくなったが、前線への指示や補給を出す方面軍の本部が作られ、苛立つ兵の姿を見ない日はない。
その理不尽な苛立ちは市民たちにも伝搬したようで、皆が暗い冬を迎えている。
いよいよ、教会の街であり聖地と呼ばれたカレンドリアも、軍の街であり前線基地という言い方のほうが似合ってきた。
ペンドラゴン書店は相変わらず売る本が一冊もなく、検閲を通った本を扱うニューウェーブ書店も、案の定、閑古鳥だ。軍の言いなりになった話が面白い訳もない。
その読者の怨嗟は軍だけでなく我々にも向けられた。
「なんで、もっと面白い物語を書いてくれないんですか?」
と読者は言うが、頑張っても検閲が通らないのだから仕方がない。
だが、キノが予想した通りともいえる。
読者はペンドラゴン書店の本を読みたいのだろう。なんとかして検閲を通すしかない。
「ということで、キノの十三作目の検閲審査に行ってきまーす」
「おう、頑張ってこいー」
シヴァは毛布を被って、今や誰もいなくなった書写室で企画を書いている。
育てた作家たちは王国各地に散り散りになったままだ。シヴァやキノが企画を通せないのだから自分には無理だと諦めてしまった者も何人かいる。
今や、カレンドリアだけでなく、アリフィエント王国全体で、検閲は行われていた。作家は、唯一、軍の検閲を通せるニューウェーブ書店から本を出すしかなくなったが、噂によるとかなり制限がキツいらしく、戦いが終わるまでは筆を断つしかない作家も現れている。
「軍は我々が教会よりも力を持っていることに気付いている」
キノはそういうが、この書店にそんな力があるとはとても思えない。
「本を待っている作家や読者たちに希望を与えたい」
とキノは十三回目の企画書を作り上げた。
キノが初めて喜劇に挑戦する。はたから見ても無謀な挑戦だ。キノがお笑いに興味があるとは今まで見たことも聞いたことがない。
「私も研究を重ねている」
と、キノは自信満々だが、お笑いはさすがに研究でできるものなのか、正直、私には自信がない。ああいうのは、センスの問題ではないだろうか? だが恋愛経験ゼロでも恋愛モノが書けてしまうキノのことだ。お笑い経験ゼロでも、書けてしまうのかもしれない。最初に作った『アスケディラスの物語』も素で笑える作品に仕上げているではないか。偶然ではなく、あれが計算だったとしたら……。
……いや。
計算だったとしても、アーデル少尉が笑うところを想像することができない。
だが、それを言ってもキノは聞かないだろう。
悪い想像しかできない。
◇
「……とても興味深い企画ですな」
アーデル少尉はいつもの通り、企画書を読み終えると、煙草を燻らせた。
「一応、正義と勇気と神を背負って戦うという条件はクリアしていますし、今回は軍の要望に沿った形と」
「ホークテイル神官。分かっています。この企画は有望ですな」
……え? …………ええっ?
いけるの。これ?
……いや、顔色に出すな。こういう時こそ、慎重に行こう。自分。
「ようやく、ペンドラゴンさんも境地に達したようですな」
「ありがとうございます」
キノも警戒しながら様子を見ている。
「何度もあなたがたの企画を目にさせていただき、ようやく、あなた方の普通が、私の普通になった気がします。首から上が鳥になった男が現れても、違和感なく受け入れることができるようになりました」
大佐の声が心なしか、疲れているようにも聞こえた。
「ただ、どうでしょう。今回は、笑わせるということを目的にしているように見受けられますが……」
キノが頷いた。
「この戦時下に、笑いというのはいかがなものかと」
そう言って、アーデル少尉は煙草を燻らせた。
「少尉。私も戦時下でなければ、笑いというものを書こうとはしなかったでしょう」
「どういうことです?」
「市民も兵もここ最近は暗く元気がありません。私は元冒険家ですが、パーティがやられそうな時にこそ、誰かの笑顔は誰かの希望となります。軍の皆さまも守りたいのは、この国の未来であり、笑顔だと思いますがいかがですか?」
「……なるほど。確かにそうです。ですが私は笑いに詳しいわけではないので、正しい評価が下せるか……」
「私も、笑いに詳しいわけではありません。ですが、少尉は、私の冒険活劇や恋愛物語について、正しく評価をくださっています。検閲に通らないのは口惜しいですが、あなたの評価は正しかった。なのできっと笑いでも理解できるはずです」
キノは少尉に何を期待しているのか。
少尉もまたキノをじっと見つめた。
「ならば言わせてもらいますが、頭が鳥の人間が出てきたくらいでは、人は笑いませんよ?」
「そうでしょうか? こんな不思議な姿の人間が縁日で後ろから声をかけてきたら、きっと読者は笑い出すと思いますが……」
「……キノ先生。私は、本当に、この手のことに詳しくはないのですが、そういう時は、人はリアクションで笑うのではないでしょうか?」
「……リアクションとは?」
「例えば、この声を掛けられた少年が『お、お、おとうさーん! 変なのがでたー!』と怖がったりしたら、人は笑うのでは?」
「……」
「それで、この鳥人が『驚かなくてもいいよ。私はただの鳥人間』のように返事をして……」
「いや、驚くでしょ……ということですか?」
「そうですね。読者は心の中で笑うのでは?」
キノは得心して頷いた。
「少尉。あなたは、私よりも笑いがわかっているかもしれません。検閲に相応しいでしょう。そのシーンを是非入れたいです」
言われた少尉のほうがしまったという顔をし始めた。
どうも乗せられたことに気付いたらしい。
「ふむ。では、細かいところは、原稿を見て判断することにしましょう。一度、原稿を仕上げていただきますか?」
アーデル少尉の答えに思わずキノの顔を見た。
「わかりました。我が国の為にも、この原稿を仕上げたいと思います」
「ええ、我が軍の為にも、是非、この物語を仕上げてください」
そこからどうやって部屋を出たのかも思い出せないくらいだ。
書店に戻って二階の書写室にいたシヴァに報告したが、シヴァは喜ぶと思いきや、頭を抱えた。
「ああ。ついに来たか」
「どういうこと?」
「嫌がらせが次の段階に来たということだ。あいつら、原稿を書かせては修正に次ぐ修正をかけてくるつもりだ。書き直し地獄だな」
「え? え?」
「作家の心が折れる三大要因は『企画が通らない』『無限の書き直し』『読者がいない』だ。お前、今まで、企画を通さなかったり、無限の書き直しで、何人も作家の心を折ってきたことを知らないでいたのか?」
「ええ? 知らなかったよ? そ、そうなの?」
慌ててキノを見るが、キノは否定も肯定もしてくれない。
「少尉は、まさに同じことをやっていくのさ」
シヴァは毛布に体を包んで身震いしている。
キノも頷いた。
「シヴァの言うことは当たりだろう。ここからが本番の勝負だ」
「え。なんか、私、一人で喜んでいた。ごめん」
「大丈夫だよ。リリカがいなければ、ここまで来れなかった。カレンドリアもアリフィエント王国も、文化に誇りを持てなかっただろう」
改めて、キノが背負ったものに戦慄した。
ペンドラゴン家の再興のために筆をとったキノだったが、今や、カレンドリアだけでなく、王国の民衆すら背負っていたのか。
「気負うな。キノ・ペンドラゴン。お前は目の前の読者のことだけ考えろ」
シヴァが冗談とも本気ともつかない発破をかけてきた。
キノはコクリと頷いて、紙とペンを取り出し、机に向かった。
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