第30話 色校正

 書評を作って、半年に一度、自社で出した本のうち、いくつかを推してみるという本を出すことになった。

 それこそ薄っぺらく安い「読書ガイド」だ。

 リーヴに参加してもらって、その字を見て分かった。以前に短編賞の時に全作品の感想を書いたのは、この子だったのね。筋金入りか。


 読書ガイド自体はほとんど利益を産まないが、「読む前に読む」という読書体験は、ちょっとした立ち読み気分になったらしい。

 一方で作家に対するエールという意味もあり、それで拗ねる作家もいれば、発奮する作家も出た。


 だが、それよりも別の書店で、相変わらずうちの本のランキングが作られ、必然、売れない作家がランキングを目指すという文化になってしまった。

 一度始まると、止めることはできない。ランキングに人間は弱い。こちらは、面白いと思える物語を粛々と作っていくしかない。


 また新しい物語、新しい企画、新しい作家を探す日々が始まった。

 その中で、ちょっと変わった企画が飛び込んできた。一人の冒険者が持ち込んだ企画だった。


「旅行記?」

「はい。私は職業柄、いろいろなところに旅をすることがありまして、各地の街並みや、ダンジョンなどをこのように絵や地図にしています」

「拝見しても?」

「ええ、どうぞ」


 そのノートには、ここアリフィエント王国の首都クオラティを始め、聞いたことのある王国各地の街並みの見事なスケッチがあった。


 簡単な街の地図も書かれており、立ち寄った食堂のメニューやお薦めも書かれていた。

 カレンドリアからほとんど出たことのない私には新鮮な内容だった。

 各地方で名物も違えば、街並みの印象も違う。例えば山あいの街では、家は二階建て三階建てが基本で、道に面しているが、海沿いの街は、家は平屋が多いが、囲いがしっかりして庭が広い。


「これを題材に……物語とかは?」

「はぁ、ちょっとそういうのは苦手でしてな」


 と、その冒険者は頭を掻く。

 なるほど。


 キノたちが書く非現実なものを「物語」とすれば、この人は現実的な「情報」を書いて本にしたいという企画らしい。


「失礼ですが、お名前は?」

「ガングスタムと申します」


 ……昔、キノから「風来のガングスタム」という斧使いの冒険者の話を聞いたことがある。特定のパーティーに留まらず、各地のダンジョンに出没する名物冒険者だ。この人のことか。

 年齢は五十、下手をすれば六十にも手が届きそうな風貌だ。


 まさか、その節くれだった太い指から、こんな繊細な絵が出てくるとは……。

 いや、絵もさることながら、食事に関する書き方が、これまたすごい。


 食べたこともないのに、口の中がその不思議な肉汁で満たされ、かじってもいないのに果実のつぶつぶ感が伝わり、時にはくすぐられるような香ばしさ、時には顔をしかめるような酸っぱさ、時には汗を垂らしながらも手が止まらない辛さが、口の中に再現される。


 なかなかの名文だ。


 しかもこの国の主要都市のほとんどが書かれてある。国内を旅するものには、必要そうに感じる。確かに、これなら売れるだろう。


 だが、問題が幾つかある。


「この絵という部分、特に色が難しいのですが、よろしいですか?」

「どういうことでしょう? 色インクもあるように見受けられますが」


 ガングスタム氏は周りの本を見渡した。確かに、タイトルや装丁に色インクは使っている。だが、中身は相変わらず黒インクでしかない。


 色刷りは文字でしかやったことがない。

 絵……。簡単な絵なら表紙でやったことがあるが、ガングスタム氏の絵のように精緻なものはできるだろうか。


「ちなみに、絵の具はどのようなものを?」

「こちらの顔料を水で薄めています」


 小石のような顔料を出してきた。赤と青と黄色の顔料だ。


「三色? ではこちらの緑色は? こちらの森の絵は緑に見えますが」

「黄色で塗って、後から青を塗っています」


 目の前で見せてくれた。

 なるほど、黄色に青みがかかって、鮮やかな緑になる。

 顔料なら、インク屋に言えば、恐らく調達できる。問題は、どうそれを機械にかけるかだ。まさか一枚一枚、色付けするわけにもいかない。


 黒ペンで書かれた街並みや地図は可能だ。同じように書いて、黒インクで印刷すれば、同じようなものがでる。

 だが、そこに色となると、どうするべきか。

 ふむ? どうするんだ?


  ◇


「また無理難題を」

「いや、頼むよ。アランしか頼る相手がいない」

「そう言われましても……。むむむ。ガングスタム氏の依頼と聞いては、断りにくいですな。色刷りは……えー? どうするんだろう?」


 こんなことは、紙問屋のような制作側に聞くしかない。

 アランは腕を組んでしばらく考えていたが、ふと


「穴を……あけてみますか」


 と自信なさげに言う。


「穴?」

「そう、小さな針で穴を開けて、ほんの少しだけインクが出るようにします」

「切り取って、たっぷりインクが出るんじゃ、やっぱだめ?」

「油性のインクは水性絵具と違いますからね。べっとりと出てしまいます。狙った色を、点々と開けた穴から少量だしてみます。それか、その部分を、引っ掻いて線にするか。紙ももっと白い高級紙が良いでしょうね」


 なるほど。要するにインクの出し方の問題か。

 文字は油紙に描かれた部分にインクが染み込んで、それが紙に写し出される。

 色は、面で塗るわけにはいかないので、線か点で出すしかないということか。


 実験してみると、結果としては、どちらも、控えめに言って「元の絵の繊細さに比べると、原形を留めない」レベルでひどかった。

 それでもガングスタム氏に見せてみると、大笑いしていた。


「まあ、色なんてのは、読者が想像する程度でいいと思いましたが、線よりも点のほうが、まだマシですな」

「今の技術ではこのようなやり方しかできませんし、狙い通りのところに着色できるわけでもないので」

「いや、大丈夫です。本の作り方の仕組みを知らずに、無理を言いました。この緑の点がうっすらと出るだけでも、ここが森だということはわかりますし、川も水色の点があることで、より川らしく思えますから」


 その口ぶりから、色はどうも必須らしい。

 どうも一枚一枚書写をしていると勘違いしていた様子だ。同様に一枚一枚、紙に色を塗ると思っていたのだろう。

 誤解が解けたのは嬉しいが、色を付けるのはやめたいというこちらの主張が、全く通らない。しかし、その笑顔を見ていると、断るのも難しい。


「……では、最初の数ページだけ、色刷りでやってみましょうか」

「いいですな。何事も挑戦ですな」


 そう、ガングスタム氏は静かに微笑んだ。恐らく、冒険もその調子だったのだろう。その笑顔に釣られるように、我々もこの挑戦を試みるしかなかった。


 印刷部の若い連中は、この挑戦に前向きだった。

 どうやら、ガングスタム氏は界隈では有名らしい。印刷部の中でも「ガングスタムさんの為なら」と労を惜しまない様子だ。しかもインクの調合からやり直している。


 更に、色を塗るには、使う色ごとに油紙を必要とした。

 これにはさすがにたじろいだ。ガングスタム氏の使った色はたったの三色だが、交じり合って様々な色を作る。ぱっとみたところ、十四色くらいは必要になりそうだ。

 印刷部も、さすがにそれは難しいと感じている。


「例えば、緑ですが、黄色のインクと青のインクをドットで書いて、より濃いのなら青を多めに、より明るいのであれば黄色を多めに出来ませんか?」

「それで、緑が見えればいいが」


 実験の結果、「そう見えなくもない」レベルの絵になった。

 ドットが粗いために、目を細めて、想像力を働かせれば……という感じだ。

 インクを五色ほど予め作ってドットで出した方が、まだきれいだ。


 一方で、もっと難問が出た。位置ズレだ。

 既に印刷された紙に色を重ねて刷ると、どれだけ正確に狙っても多少のズレがでる。


「四色くらいが限界ですね」


 確かに絵としてギリギリ見れそうなのは、四色くらいだった。基本である輪郭線や陰を描く黒。空の青。森の緑。土や柱の茶色。

 しかも、刷る順番にもコツがある。

 青、緑、茶色、黒の順番だ。色が重なっても、その順番なら、まだ見れる。


「いやいや、見れるどころか、とても良い出来ではないですか」


 ガングスタム氏は笑い飛ばした。励ましてくれているのだろうとわかる笑い方だ。

 しかし、ガングスタム氏の描いた絵に比べれば雲泥の差だ。

 本当にいいのか不安になりながら、製本作業に移った。



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