第43話 加護
すぐに母子の二人に加護の呪文をかけ、いくつかのパンを渡し、ゴンドアへ逃げるように伝える。
伝言主はリーヴだ。間違いない。どうやってか、私たちにランドンの襲撃のタイミングを教えてくれたのだろう。だが遅かった。
「なんだ? 何が起こった?」
二階へキノを連れて行ったシヴァが慌てて降りてきた。
「ランドンの攻撃らしい。リーヴが教えてくれた。ちと遅かったがな」
「リーヴが?」
「ああ、オストー村の子供を逃がしたんだろう。ほら」
幼女が残した剣を指さした。
「キノがリーヴに渡したって言う剣か? なんで剣を?」
「わからんが、この剣があるということは、あの幼女はリーヴの伝言を伝えたに間違いないだろう。ガングスタムの本もある」
「じゃあ、やっぱり、前にもらったあの手紙も暗号だったかもな」
「詮索は後だ。逃げるぞ」
「逃げるって、どこへ?」
「ゴンドアのリジャール士長を頼ろう。キノを連れて行ってくれ」
「おま、いま、上で寝かせたところだぞ?」
「死にたくなければ、逃げることだ」
シヴァがぶつくさ言いながら再び二階にあがった。
そこへ、また閃光が、そしてわずかに遅れた轟音がきた。
「シヴァ! 私は、教会へいく!」
他の神官や、正司祭さまが心配だ。
「わかった! お前も無理するな! ゴンドアで落ち合おう!」
シヴァの言葉の後ろに再び轟音が重なった。
空から魔法部隊を寄こしているに違いない。ランドンには優秀な空撃隊がいる。
書店から出ると、街が赤く染まっている。夕暮れなのか、業火によるものなのか判別もできないほど、不気味な赤さだった。
道には置き去りにされた兵士たちが「たすけて」と私を掴もうとする。
手当たり次第に、回復の魔法をかけ「ゴンドアへ」と伝えて回る。
そのうち、逃げ惑う街の人と、道に転がった兵達との間でいざこざが起き始めた。
「この野郎、消火の邪魔だ! どけ!」
「街を戦いに巻き込みやがって! 少しは役に立て!」
確かに動けない兵士たちが、こんなにも道に寝転がっていたら、市民たちの逃走の邪魔でしかない。
火の粉が舞う中を教会へ急いだ。
この街で最も目立つ建物は大聖堂。ついで大広場だ。そこを狙われたらまずい。
遅ればせながら、王国軍の魔法部隊がランドンの空撃隊に、迎撃を仕掛ける。空を見ると、相手はかなり遠くから撃ってきているらしい。相手の姿もよくわからない。夜になりかけている空に、王軍魔導士の雷撃が空しく消えていく。
教会も大変なことになっていた。
大聖堂はもとより、教会の敷地内はどこも重病の兵士たちで溢れかえっている。野戦病院代わりに使われていたらしい。その兵士たちをまたぎながら様子を見たが、祝福も回復も、恐らく手遅れだろうなと判断せざるを得ない。
「リリカじゃないの! 逃げて! 動ける兵士たちは、もう逃げたわ!」
同級生だった神官が私をみつけるなり叫んだ。
「ありがとう! シモンズ書写士を見なかった!?」
「シモンズ? あいつなら、書写室倉庫か図書館じゃない?」
教会の書写室倉庫に向かうと、まだ逃げていない赤いガウンの書写士で溢れかえっている。
「みんな、逃げなさい! 何してんの!」
「だめです。聖典と……ペンドラゴン書店の原稿が先です」
「命が先でしょ!」
倉庫の中にはまだ数十名もの書写士が、箱に本を詰めている。
「聖典と原稿を優先しろ! 製本は後だ! 順番はどうにでもなる!」
シモンズが号令をかけている。隣には老齢のウィグボルト書写士長が立っている。
「これは、これは。リリカ・ホークテイル神官」
挨拶をしている場合じゃない。
「書写士長も、逃げてください」
「私は最後です。書写士は、教会図書館を守り切りますのでご安心を」
「ランドンは空中から爆雷魔法をかけています」
「ふむ。ランドンごときのへなちょこ魔導士に、私の結界が壊せますかな」
そういうと、杖をトンと地面に突いた。
鮮やかな衝撃結界が、図書室に広がっていく。
「ほれ、このとおり。老いたとはいえ、まだまだ図書館くらいは、守れますよ。シモンズたちも、私が責任もってゴンドアまで連れて行きます。それよりも正司祭さまをお願いできますかな? 連日の蘇生や回復で、正司祭さまにはもう法力がのこっていないはず。教会の本棟や大聖堂は、大きすぎて彼女以外に結界がかけられるものでもないが、あの娘は言っても聞かんだろう」
老書写士長からすると、正司祭さまですら娘扱いなのか。
再び、空気が揺れた。かなり大きな魔法が使われ出している。
「急ぎなされ」
「はいっ!」
焦げ臭い教会の中を本棟に向かって走った。
中央、執務室、病棟と、正司祭がいそうな場所を探して回ったが、どこにもいない。正司祭さまどころか、神官も既に逃げた後だった。
となると、残った場所は大聖堂。
教会を飛び出し聖堂に向かう瞬間、背後で轟音が鳴り響き、爆風で体が弾き飛ばされた。受け身をとりながら、庭を転がり伏せたところに、遅れて爆風が走った。
教会中央棟に爆撃魔法が直撃したのだ。
危ないところだった。
爆音のせいで、耳がキンキンと煩い。幸いなことに、大聖堂は爆風で揺れこそすれ、壊れてはいない。
「正司祭さまっ!」
大聖堂の中は暗く、魔法の光源がポツポツと広がるだけだった。
「リリカ・ホークテイル神官ですか?」
ほっとするような正司祭さまの声がする。
「どこにいます? 逃げましょう! 外は爆撃魔法で」
「あなたこそ逃げなさい」
「ダメです。正司祭さまには、生きてもらわないと」
「カレンドリアの教区を預かっている正司祭が、聖堂や聖典のある場所から逃げ出せるわけがないでしょ? あなたこそ、逃げなさい」
「そんな。書写士長が、正司祭さまを助けろと」
「私は私の職務を果たすまで。早く、お逃げなさい」
正司祭さまは祭壇の上で祈りを捧げていた。
私は生きているのか死んでいるのか分からない兵士を跨ぎ越え、正司祭さまに近づいた。こんな時に、武装神官はどこに行ったのか。あんなに普段偉そうにしていて。
その時、地面が震え、恐ろしい音とともに衝撃が来た。
「ここまでね。結界が破られたわ。次で終わりよ。早く逃げなさい。リリカ・ホークテイル」
「そんな! ダメです! 正司祭さまを背負ってでも逃げます!」
「あなたには、この世界に物語を生み出すという職務があるでしょ? わがままを言わないで。これは命令です!」
「いやです! 私は、軍の命令を聞くのも、あなたの命令を聞くのも、嫌なんです! 私は、私の命令しか聞きません」
ようやくたどり着くと、そこには、法力を使い果たして、一歩も動けなくなった正司祭さまが座っていた。
「なんて、バカな子なの」
「もう誰かの言うことを聞いて後悔をしたくないんです!」
嫌がる正司祭さまを無理やり背中に背負った時、天井から大きな光が落ちてきた。
爆雷魔法だった。
くそ。ここまでか。
◇
「起きろ。ホークテイル」
「……地獄の神って、ベラスケス副司祭にそっくりなんだ?」
「誰が地獄の神だ。無茶をしおって。怪我はしておらんだろう。立て」
体を触ったが、確かに無事だ。
なんで? 起き上がると、結界の中に、正司祭さまと二人で横たわっていることがわかった。
「どれくらい……気絶していました?」
「三十分だ」
「正司祭さまは?」
「大丈夫よ。ちょっと立てないだけ。副司祭、ありがとう」
「……死んでないんですか? 私たち」
「副司祭が結界を張ってくれたの」
「大聖堂のような大きな建物は守り切れんが、正司祭さまくらいなら儂でも守れる」
……じゃあ、本当に私、生きているんだ。
「私も守ってくれたんですか!? ベラスケス副司祭さま」
「お前はついでだ。正司祭さまは、この国の宝だ。守るのが当たり前だろ」
「ふふ。それにしては、到着が遅かったわね」
「失礼いたしました。脱走後、武装神官たちとランドンと王軍の動きを探っておりました故、お許しください」
「それで、この先はどうされるのです」
「各地の武装神官らを集めて待機させております。もうすぐ到着すると思いますが、一旦は、街から退かざるを得ませんな。武装神官を統率する指揮官を探すのに、難儀いたしましてな」
正司祭さまは、ほっとしたように頷いた。
「ところで小娘。お前は、お前の守るべきものがあるだろ?」
ベラスケス副司祭の一言は私を立ち上がらせるのに十分だった。
「副司祭、私に加護を!」
ベラスケス副司祭が私の背中に加護の呪文を授けてくれた。
私は、瓦礫の山となった大聖堂を踏み越え、走り出した。
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