第9話 出店

 結局本が出来上がったのは、バザールの当日の朝。いや、正確にはもうすぐ夜明けという時間だ。


 ここ数日徹夜で作業をした。

 さすがの神官の回復魔法も、寝不足までは回復しきれない。あの温厚そうなアランですら、最後は怒鳴りながら作業を進めていた。


 うちの家族は、きっと心配していることだろう。


 ペンドラゴン家の娘と紙問屋の若旦那が子分を引き連れて私の部屋に押しかけて、勝手に何やら作業をしているのだから。


 紙に釘で穴を開ける作業のたびに大きな音がして、父が家を壊されると心配して扉の隙間を開けたようだが、私たちの鬼の形相を見て、そっと扉を閉めていった。


 ちゃんと言い訳をさせて欲しいけど、今はその時間すら惜しい。


 みな限界までやってくれた……。

 キノが目の下にクマを作りながら、製本作業をしている。私も眠気の限界と戦っている。


 実はあと少しというところで、39ページ目に致命的な誤訳が見つかり、それの差し替え作業が発生したのだ。製本のやり直しはこれで三度目だ。アランは特別に紙を更に数千枚補充してくれた。


 これを差し替えたら、作業は終わりだ。

 39ページ目を折っては渡し、折っては渡しを繰り返し、キノが渡されたページを差し替えていく。


 紙を折るのは私の仕事。差し替えるのはキノの仕事。一冊分の紙束を整えるのがアランの仕事。

 その後、穴を開け、糸を通し、にかわを塗り、背表紙をかけるとこは、アランのところの子分さんがやってくれた。

 

 インクとにかわの臭いの中、みながリズムよく製本作業を繰り返している。

 どんどん手際がよくなっていく。

 もうすぐ終わりだ。


 思えばこの数週間、面白かった。


 アスケディラスの物語を現代訳にするのも、紙にそれを書き写していくのも、こうやって本を作るのも。全てが新鮮で楽しかった。

 ふと机の端を見ると、私が最初に書いた、ベラスケス副司祭の絵と「アスケディラスの物語」と書かれた紙が置かれてあった。


 なんだかもうすでに懐かしさすら感じる。

 この一枚から全てが始まった。この世界で最初に機械によって書かれたこの国の文字であり、絵だ。アランが神の絵姿と驚いたのも、つい昨日のように思える。


 そいつも綺麗に折りたたんだ。

 もう用はない。

 思えば、あのときから、私は運命の糸に導か……。


 ドスン。


 誰かが倒れる音がした。驚いて振り向くと、アランが横になっていびきをかいている。


 限界か。

 そうだ。みんなとっくに限界を迎えている。

 私はキノと目を合わした。

 キノがやさしく微笑んだ。


 そうだ。やりきった。後は本を売るだけだ。

 残り一枚だ。

 私は最後の紙を折ろうとして、急に辺りが暗くなるのを感じた。その暗くなる中で自覚もした。


 あー。私、いま、意識を失ってる最中だわ。

 

 私も限界だった。


  ◇


 どうやら私は辛うじてベッドに倒れ込んだみたい。


 体が限界でも、無意識に品の良さが出てしまったらしい。ベッドで迎える朝は、いつもどおりだ。半目で窓の外の眩しい光を眺め、伸びをした。

 外は明るい。陽はとうに出ていた。いい天気だ。


 ……って、まずいっ! 寝過ごしてるじゃん!


 立ち上がって机の上を見ると、本が全てなくなっていた。移動させたのか?

 床には紙問屋の連中がだらしなく横になり、いびきを搔いている。


「キノ! 起きろ! ……キノ?」


 キノの姿がない。

 どこ?


 ……一人でバザールに?

 よく見たら、昨日のうちに、バザール用で用意しておいた販売用の机や椅子や絨毯もなくなっている。


 ……やっぱり、キノはしっかりしているな。


 と、感心していた私は、自分の右手が何かを握っているのを見た。

 紙だ。39ページ目。


 ……え?


 中身は誤訳が修正されている。

 ……確かこいつは余計な枚数は刷っていない。

 …………まさか、このページが抜け落ちた本があるの?


 ああ! やってしまったか!

 眠気の中で作業をしたから、一ページまるまる落としたに違いない。幸いにも、ちょうど39ページ目から始まり40ページ目で完結する短編だ。

 無かったとしても、変には思わないだろう。もし思うとしたら、相当熟知している人だ。初めてアスケディラスの物語を読む人なら、分からないかもしれない。

 まあ、気付かれないか。


 ……いやいや。


 ページ番号を振ったんだ。こいつのせいで、この本に39ページと40ページが足りていないことは一目瞭然だ。仕方がない。キノに謝ろう。まだ売れてなければ大丈夫だ。


 皆を起こさないように、そっと神官服に着替える。

 男ばかりの部屋で着替えるのは落ち着かないが、みんな寝ているからいいだろう。


「あ……あれ? おはようございます。リリカさん? もう朝ですか?」

「眠れ」


 起きたのはアランだった。

 すかさず眠りの呪文をかけてしまった。……みられたか?

 いや、アランは後ろにいたから、尻だけか?

 くそ。下着はつけていたから、大丈夫だ。だが……


「記憶よ飛べ」


 念のため、眠っているアランの記憶を消しておいた。

 しかし、心許ない。


「悪夢よ。かの者に死に勝る苦しみを」


 悪夢を見る呪文をかけておいた。これで、思い出すのも困難になるだろう。眠りながらガクガクと震えているのは可哀相だが、仕方がない。

 いや、そんなことはしてられない。

 着替えを済ませた私は、すぐに広場に出掛けた。


  ◇


「キノ!」


 広場を探しに行ってから、随分と時間が経っていた。

 ようやく、キノを、広場の中でも日当たりの良くない、南の壁沿いに見つけた。


 広場で商売と言えば、まず噴水の近くだろうと思ったが、見つからなかった。一番目立つ特等席が取れなかったのか、その噴水の周りの道や、通り沿いを探したが、全く見つからなくて時間を取られてしまった。


「ああ。リリカ。随分と気持ちよさそうに寝てたな」

「探してたんだよ」


 キノが半笑いで迎えてくれた。

 その笑顔に元気がないのは、目の下のクマのせいだ。キノこそ寝てない。


「なんで、こんな場所なの? 噴水近くのほうが、人がいっぱいいるのに」


 キノが取った場所は、広場の中心とは言えない、むしろ人気の少ない南の城壁近くだった。昼から日陰になってしまう場所だ。


「噴水の近くは、水しぶきが跳ねるから本にはよくないだろ? それに、ああいう騒がしい場所って本を読むって感じにならないかなと」


 なるほど? 振り返ると、まだ昼前だというのに、噴水前は随分と騒がしい。

 確かに、騒がしいところで売るのが相応しい商品と、静かな場所で売るのが相応しい商品がある。


「で、売れたの?」


 キノがニヤリと笑った。


「もう五冊売れた。いま八冊くらい読んでもらっている」

「どういうこと?」

「あそこを見てごらん」


 壁際にずらりと並んだベンチに、お年寄りや女性が座っている。

 全部で八人いる。

 みな、バザールで疲れたのかと思っていたがそうではない。

 皆が手にしているのはウチの本だ。


「え? あの人たちも買ってくれたの?」

「まだだよ。買うか迷っていたから、そこで読んでもらっているんだ」

「ん? じゃあ、タダで中身を見せてるの? だめだめ」

「大丈夫だよ。ほら」


 ベンチの端に座っている男が堪えきれない様子で笑い出した。

 その声に釣られるように、隣に座っている身重の女性が口を押えている。


「おい、ねーちゃん! この本もらっていくわ! いくらだい?」

「ありがとうございます。三十五ギルです」


 笑っていた男性が、キノに近づいてお金を払っていく。


「いやぁ、聖典って難しい話が書いてあると思ったけど、おもしれぇな」

「ふふふ。ありがとうございます」


 売れた……しかも三十五ギル?


「少しだけ値上げしたんだ。アランさんたちに報酬ださないとって。ほら」


 キノが指さす方向に、値札がついていた。

 そこには『一冊 三十五ギル』と書かれてあった。


「ちゃんと定価の商売にしたのね」

「最初は、誰も価値が分からないからさ。神官のやり方のほうが、本を売るには都合がいい」


 なるほど。商人は相手を見て値段を決める。

 金持ち相手にはふっかけ、貧乏人なら安く売る。

 だが神官はそのやり方を否定し、どの教会のどの神官が誰に魔法をかけても一律の料金にしている。そっちのほうが、人々が安心するのは確かだ。


「それに、これは聖典のひとつだからね。神官方式が合っていると思うんだ」


 なるほど。やはりキノは天才に違いない。

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