第10話 販売
「あ、それはそうとキノ」
「ふふふ、面白かったわよ」
私が39ページの話を切り出そうとした時、近寄ってきた老婦人がキノに声をかけてきた。
「現代語訳にすると、アスケディラスの物語はこんなに面白くなるのね。うっかり往来のあるところで大笑いするところでした」
「ありがとうございます。そうなんです。おばさま。特に、浮気のところとか、笑えてしまいますよね」
「ふふ、そうね。これは世の男性が全員読むべきだわ」
と、老婦人は可愛らしいウィンクをしてきた。
「ひとつ……いや、もうひとついただけるかしら?」
「よろこんで。二冊で七十ギルになります」
「安いわね」
「ええ、教会で使われる本のように手の込んだ造りじゃないので、安くさせていただいております」
「ちなみに、これはあなたが書いたの?」
「あ、いえ、私と、こちらのリリカが」
急に話を振られて驚いたが、老婦人に微笑まれて、こちらも思わず会釈した。
「リリカは現職の神官です。彼女がいなければ、こんなに面白くはできませんでした」
「あ、いえ。私なんか」
「まあ、現職の神官でも、こんなに面白い物語に翻訳できるのね。ここの神官は皆さん、もっと頭が固いかと思いましたよ」
「よろこんでいただければ、幸いです。おばさま」
老婦人は、ほほほと笑っている。
「ところで、不思議な文字をお使いね。ちゃんと繋がっていない文字」
「ああ、それは、そうしないと穴が開いちゃうんで……あ、いや」
「穴?」
「こちらのほうが、格好いいかなと。あはは」
「……それにどの表紙もまるでハンコのように全く同じ文字ね」
「えーっと、それは……」
並べられた本はどれも同じように「アスケディラスの物語」と書かれてある。同じようにではない。同じ文字だ。
まずい。あの機械を使えば、全く同じタッチの文字が現れる。
今まで自分の字だから気付かなかったが、確かにまるっきり同じ大きさ、同じ書体、同じ癖の字が並んでいたら、おかしい。
「リリカは、神官なので、文字の練習をしてきました。同じような書体の文字を書くのは得意です」
キノが慌ててフォローする。
「今の神官は、こんなに文字の練習をするの?」
「はい。それはそれは、もう、厳しく文字の練習ばかりさせられます。本当は神の教えを広めたり、神の加護を広めていきたいのですが、なかなか」
それは事実だ。
神官学校時代からずっと書写の練習ばかりさせられている。
「あらあら。それは不本意でしょ?」
「いえ、もう慣れました」
苦笑いするしかない。
老婦人も笑って会釈をすると、後ろにいた従者らしき人に二冊の本を渡した。
佇まいからして、相当のお金持ちに見える。従者の男性は、こちらをジロリと睨むと会計を済ませ、本を袋にしまった。その袋はもう一杯になっている。バザールに出した店、一つ一つから何か買おうとしているのかもしれない。それくらい買いあさったのであろう様々な商品が袋の口から覗いていた。
目付きが悪いが、なかなかのイケオジ従者だ。まあ、あれくらい品のある方だ。どこぞの大富豪か、貴族かなのだろう。
二冊も買ってくれたせいなのか、その後ろ姿が神々しく感じられた。
「それはそうとキノ」
「面白かったわ、お姉さん。私も買っていくわ。子供に読み聞かせにね」
「ありがとうございます!」
39ページ目の話をしようとしたところを、今度は身重の母親に遮られた。
子供の手を引いて笑っている。まだ小さすぎる子供だ。
こんなことなら、子供が退屈しないように挿絵をいくつか入れておけばよかったかもしれない。
……いや、アスケディラスの物語は、子供に読ませていいものなのか?
いやいや、それよりもだ!
「おう、俺も買っていくよ。支払いはツケでもいいかい? 俺の家まで取りに来てくれよ」
でた。値段交渉よりも面倒な相手だ。
この国では価格は交渉で決まるし、支払いはツケ払いが横行している。
これが商人ギルドを介さない取引の泣き所だ。商人ギルドはツケ払いの取り立てもしてくれるが、このバザールでは関与していない。
「申し訳ありません。ここではツケはできませんので」
「え、そうなのかい? けち臭いこというなよ。いま、手持ちがないんだ」
「申し訳ありませんが、ここは神官のいる店ですので」
こういうのには毅然とした態度が必要だ。
神官や教会にはその場で現金払いが基本だ。
借用書は神との取引に使えないのが、この国の常識だ。
キノの実家であるペンドラゴン家の没落の原因になったのがツケ払いだ。
ペンドラゴン家のツケも、ペンドラゴン家へのツケも、トラブルの原因だったとうちの父が言ってた。
「神官さまのお店なら、仕方がねぇな。三十五ギルな」
そういうと少し不服そうに男は去っていった。
「リリカ。ツケ払いは何故ダメなんだ?」
「後で回収するのが大変なのよ。それにちゃんと払ってくれるか分からない相手だし」
要するに相手に信用がなければ売るわけにはいかないのだ。
「それにお金というのは、誰よりも早く手に入れ、誰よりも遅く支払うのがいいの。お金が信用されているうちはね」
商売の基本だ。人よりも現金が信用されているのだ。
キノもそのうち理解できるようになるだろう。
それよりもだ。
「キノ、実は」
「あら、キノじゃない?」
女性が声をかけてきた。魔法杖を持ち、黒い帽子。伝統的な魔女のいでたちだ。恐らくキノの顔見知りの冒険者だろう。
「あんた、最近、冒険者ギルドに顔を見せないと思ったら、何これ?」
「本……を」
「へぇ。魔法の?」
どうやら魔導書の類と思っているのか目を輝かしている。
魔法使いの魔法は、基本的には神官の使う魔法とさほど違わない。訓練を受けずに野生の力で魔法を駆使する才能に恵まれている。それだけに、いろいろな流派があり、それぞれが秘伝の魔法書を持っている。
キノが返事に困っている。苦手な相手なのか?
「まさか。これは聖典の中の『聖巻十二神話』の第一巻ですよ」
「聖典? そんなもん売れるの? みんな、神代文字なんか読めないでしょ?」
「現代語訳をしています。これが大変好評でして」
壁際のベンチを指さした。
笑っている読者がいる。
「こんなの買って、何が嬉しいの? 冒険者には不要よね」
「いやいや、旅の暇な時間にいかがです? 良い暇つぶしですよ。眠れない野営の日とか、馬車で移動中とか、退屈で死にそうでしょ?」
「……なるほど。退屈しのぎか」
「ええ。いかがですか」
「どんなものかもわからないのに買わないわよ」
なるほど。そういうことか。
こういうやり取りがあって、キノはお客様をベンチに
「ではあちらで、少しお読みになったらいかがです? あそこのベンチ、自由に使っていいですよ」
「え……勝手に読んでいいの?」
「もちろんです。気に入ったら、是非買ってください」
そういうことならと、一冊手にしてベンチの方に歩いていく。
「あ、そうそう。キノ。ギルドに顔出しなさいよ?」
キノは終始黙っていた。
「まだギルドには、冒険者を辞めたの、言ってないの?」
「ん? ああ。まあ、この商売がうまくいったら言おうかなって」
「あの人は?」
「何回か一緒に潜ったんだけど、人使いが粗くてね」
「ま、魔法使いは後衛攻撃役だしね。前衛攻撃役とはあまり気が合わないらしいじゃない?」
「私が悪いんだ。後衛のことを考えずに突っ走るから」
へぇ。キノがそんな弱気なことを言うとはね。
まあ、自分のことしか考えられないのはキノらしいけど。
「それよりも! 言い忘れてた! ページが抜けている奴があるの!」
私は握りしめていた紙を渡した。
「これ、多分、製本の時にキノに渡せなかった奴だと思う」
キノが真っ青になって、残っている本を全て確認した。
「全部正しい39ページだ」
「……えー! じゃあ、既に売れちゃった本の中にあったのかな」
「こんなことなら、今売った分だけでも、確認するべきだったな」
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